空が泣いている。
怒っているのか、悲しんでいるのか、
いや、呆れているのだろう、人間のやることなすことに。
震災後、体調を崩した。
被災した友達を支援していた折、支援の難しさに直面した。
ひとを救う、ひとを幸せにする、ひとを勇気つける怖さを知ることとなる。
絶望している友人を目前に、わたしは寄り添うことしかできなかった。
そして、自分の無力さ、不甲斐なさが露呈したことで、
それを受容するかのごとく、体調を崩して、
毎日、空ばかり眺めていた。
いままでとどこか違う空の青色、
雲には消した炭を混ぜ込んだように、軽さがなくなってしまった。
空が語りかけてくれる。
わたしたちがどこへ向かおうとしているか、と。
テレビも新聞も本当のことを言わないのは、
できるだけ賠償対象者または地域を少なくしたいためと、
今回の出来事から原発反対へ世論が舵をきることは困るためだろう。
たどり着く先には必ず利権や莫大な金が蠢いていて、
先の大戦や水俣病の問題から、日本がなにも変化していないことを示唆する。
わたしたちひとりひとりの小さくてかけがえのない幸せを奪う権利だれにもない。
国家にも利権複合体にも、だれにもあるはずがない。
けれど、現実を眺めてみたとき、
空が怒ったり、悲しんだり、呆れてしまう人間の仕業が
空の色に投影されているような。