風の生まれる場所

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軽度外傷性脳損傷(MTBI) 愛と障害を語る

2013年03月13日 05時07分57秒 | エッセイ、随筆、小説


最近、朝方の疼痛と麻痺がひどいなぁと思っていたら今日の強風で納得。
気圧などに体が影響を受けることなど、健康なときには考えもしなかった。
健康を他者の過失によって損なったことは残念だけれども、
「日本のクレイジーさ」から一抜けることができたのは、本当に有難いことだと思っている。

「普通」ってなんだろう・・・と思う。
だれを基準とした「普通」が語られてしまうのだろうかとしばし考えてみる。
空気を読めない、他者とのコミュニケーションに問題が生じると「発達障害」として判断されてしまうから。

霞が関ビルのペントハウスにある会社の元上司であり代表取締役社長は
怒鳴る、罵るは日常化していたし、コンプレックスの強さ、気の小ささも尋常ではなかった。
しかも、面接に来た女性を昼間からホテルに連れ込み、同伴した新人のみ採用。
「普通」じゃない(笑

いまならパワハラ・セクハラで訴えられることもできるだろうが、当時は耐えるしかなかった。
社用車のわずかな傷を見つけ、夜中の2時3時でもわたしの携帯電話を鳴らした。
まるで、ストーカーのように、出るまでかけ続けるのだ。

さて、日本を外から、特に「愛の国」といわれるフランスから眺めると
正直、日本人がロボットのように映る。
家族を大切にする時間など持てるはずもなく、ただ会社と自宅との往復でその一生を終えていく。
フランスのすべてがいいわけではないが、少なくとも「家族優先」という考え方は
「愛の成せる技」だとわたしには思えてならないのだ。
だから、日本ではなく渡仏の選択をした。
会社の犠牲になるのはもう懲り懲りだから。

考えてみれば「空気を読む」などということは、
その人材や人物を都合よく扱いやすくするための口実なのではないかとあまのじゃく的に受け取ってしまう。
愛に飢え、愛を希求する反面、経済活動に知らずうちに巻き込まれていく様は、
日本にいるといつしか焦りを感じてしまい、社会の都合よい「普通」を強要されているとすら感じるのはわたしだけなのだろうか。

23階にある自宅マンションは、この強風によって凄まじい騒音を部屋中にまき散らしている。
明日も痛みが強いのかと思うと正直げんなりするが、それも人生、楽しんだもの勝ちなので、
痛み以外に目を向けよう。