岡崎市美術博物館
徳川四天王本多忠勝と子孫たち ―岡崎藩主への軌跡―
期間:7月7日(土)~8月19日(日)
「本多家は忠勝以降、上総大多喜より三河岡崎まで10回の転封を重ねており、各地に本多家の足跡を示す様々な資料が伝わっています。本展では本多忠勝所用の黒糸威胴丸具足(重要文化財)をはじめとする本多家ゆかりの名宝を一堂に会し、譜代大名本多家の全貌に迫ります。」(公式より)
本多忠勝所用 鑓 銘 秋廣作 主 本多中務大輔忠勝所持
本多忠勝が所持していた鑓で、上総国の刀工が作ったとされる。本多家から岡山藩池田家に伝来した。
本多忠政所用 刀 金象嵌銘 義弘本阿(花押)
越中の刀工である郷義弘の作とされる。忠勝の嫡男で桑名藩主であった本多忠政が所持したところから「桑名江」と呼ばれる。
本多忠朝所用 本小札二枚胴具足
本多忠朝が大阪夏の陣で討死した時に着用していたとされる具足で、草摺がなく胴の胸部分に穴が開いています。
忠朝は本多忠勝の次男で大多喜藩主であったが大坂夏の陣の最後毛利勝永隊と戦い討死した。
本多忠刻所持 太刀 金粉銘 則長 琳雅(花押)
本多忠政の嫡男で、大坂夏の陣で豊臣秀頼を失った千姫と婚姻した本多忠刻所持の太刀。
この他、本多忠勝所用で鹿角の脇立が特徴的な黒糸威胴丸具足やその具足を着用した忠勝の肖像画。歴代本多家藩主の甲冑等見どころ満載でした。
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