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 宇野信夫作  六代目三遊亭円生の噺、「小判一両」

2015年01月01日 | 落語・民話

 宇野信夫作
 六代目三遊亭円生の噺、「小判一両」(こばんいちりょう)によると。

 

 今戸の八幡様境内に茶店があって、そこにザルや味噌こしを商う安七(やすしち)が昼時弁当を使うので寄っていた。

今日も女将から、小金を残しているのでしょうと冷やかされていた。

冷やかされるようになれば一人前と親父によく言われました。

女房子供も居たが、子供は5歳の時に亡くし、追うように女房も亡くなり、ヤケになって博打、喧嘩をやり自由気ままにしていた。

名前の安七より賭場では半目が好きでグニ安と呼ばれていた。

親父が亡くなると聞いて、枕元に行くと「もう堅気になってくれ、これは一生掛かって貯めた金だ」と言って、布団の下から小判一枚を出した。

それで生まれ変わって働くようになった。

と、女将に述懐。


 女将は用が有るからと店番を頼んで出掛けた。

 まだ年端も行かない子供が凧を抱えて自分の物だと言い張っている隣で、凧屋が落とした凧だからけぇせと怒鳴っている。

その仲人としてざる屋の安七が凧屋に嘆願して、子供にくれてやってくれと言うが、凧屋は頑として受け付けない。

称福寺裏の長屋に住んでいるから、親に談じ込むんだと鼻息が荒い。

商売物をくれてやっていたら切りが無い。

どんなに頼んでもイヤだと言う。

買ってあげたいが、今日の商いは一つも無いからお金が無い、ザルと交換しようと言っても納まらない。

子供も納得しない。
 買ってやるよ。

小銭が無いんだ。親父からもらった、1両出すからお釣りを出せ。

お釣りは無い。

出せ、出せないの繰り返しをしていると、女将が帰ってきて立て替えてくれた。

釣りはいらないと、顔面を殴って、喧嘩になった。

そこに浪人風の男が現れ、みんなに謝り、ざる屋とお茶を飲みながら、「私はそこの称福寺裏の弐兵衛店(だな)という長屋に住む小森孫一という浪人者です」。

「鳥越に住んでいる安七というざる屋です」、

「越後の高田から浪人として出てきましたが、妻は病で亡くし、私も病気がちで1年もすると手元も使い果たし、落ちぶれました」、

「お侍様は二度の主取りはしないからでしょ」、

「そうです」、

「貴方が悪いのでは無く、浪人させる世の中が悪いのだ。やな世の中だ」。

早く家に帰って、凧揚げをしようと子供がせがむので、先程の小判を子供に握らせた。

浪人は狼狽したが鳥居の脇から侍が出てきたので、顔を伏せるようにして引き下がって行った。

 今の経緯(いきさつ)を鳥居の影で見ていた身なりの良い侍が、ざる屋を今戸橋の慶応寺を過ぎたあたりで呼び止め(右図;呼び止められた安七。

辻斬りと間違えて)、料亭・金波楼に案内し酒肴をご馳走して先程の行いを褒めた。

しかし、ざる屋は試し切りのつもりだろうと腹の中をうかがっていたが、それが目的で無いと分かるとホッとし(右図下;緊張が解けて)、酒の旨さも堪能した。

凧屋との一件を見ていて感服したと浅尾信三郎、人の世の美しさを見せてもらったと、金子を出したが受け取らなかった。

気持ちよく飲んでいたが、ざる屋が突然言うには、「酒は旨くない。貴方はでくのぼうだ。酒をご馳走するぐらいなら、浪人の生き方を一言褒めてあげないのか」、

「人の心は、侍同士だとなおのこと、遠慮しなくては成らないことが有る」、

「そんな人情の無い人と飲むのはイヤだ。もう帰る」、

「まて、わしが悪かった。謝る」、

「じゃ~、一緒に称福寺裏の小森孫一の所に行きましょう」。

 長屋に入ると入口に「手習い指南所」の看板が掛かっていた。

入口が開かないので強く叩くと戸が外れ、仏壇に灯明が着いている。

おかしいと慌てて覗き込むと孫一は割腹して果てていた。

枕元に手紙と小判一両が置いてあった。

手紙を黙読すると浅尾は落涙している。

分かるように安七に話をするには、「大家さんに部屋を汚して申し訳ない。麻布古川町の縁者のところに子供を預けて欲しい。

浪人をしていて子供一人養えず、行きずりの他人から恵みの金子をいただき、我が身のふがいなさを見た」、

「行きずりの他人て言うのはこのざる屋の俺か。

恵んだのでは無い、あれは親父の形見の小判だ」、

「親切が仇になった」、

子供は親にしがみついて泣いている。

「こんな分からないことが有るか。坊や泣かないでくれ、考えているので静かにしてくれ。頭の中がこんがらがっている」、

「安七、良く聞け。およそ生ける者は、自負を持っている。橋の上の乞食、道ばたの物乞いでも、他人が見るほどさもしいとも哀れだとも思っていない。浪人は自負も望みも持っていたが、今日我が子の行い、見ず知らずの者に恵みをもらい、我が身を振り返った。その姿を己で見てしまった。もう生きていても用の無い自分を悟ったのだ。世に捨てられた人間の心が分かった」、

「・・・、わしが悪うございました。人の心が分かりました。『侍同士情けを掛けぬのが情けだ』と言った意味が初めて分かりました。私みたいな人間に情けを掛けられ、世の無常を感じた先生に申し訳ない。人間が分からないこんな屑のために、立派な人を死なせてしまった。生まれつきのお節介が、肌身離さず持っていた親父の形見の小判一枚が、とんだアダになってしまった。坊やここに来な。お前のお父っつぁんを殺したのはこの俺だ。俺がお父っつぁんの仇だ」、

「安七。済んでしまったことは悔やんでも仕方が無いことだ。情けがアダになったことは残念だけれども、そちのしたことは決して間違ってはいない。今の気持ちを忘れるなよ」。

 浅尾信三郎の情けで小森孫一をねんごろに葬ってやり、麻布の縁者から小市を養子にもらい受け、信三郎は立派に小市を育て、安七も親戚同様の付き合いをした。

 

  


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彼から結婚して欲しいって言われたの

2015年01月01日 | 面白画像

娘「彼から結婚して欲しいって言われたの」
母「良かったじゃない」
娘「でも両親と一緒に住んでるから、ちょっとね」
母「心配しなくても大丈夫よ、雑煮の作り方を教えるわ」

  


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【緊急速報】 元旦から本日にかけ、日本全国で詐欺事件が多発しています。

2015年01月01日 | 面白画像

【緊急速報】 元旦から本日にかけ、日本全国で詐欺事件が多発しています。

被害は小学校低学年までの児童がほとんどです。

犯人は『お母さんがお年玉あずかっておくね』と声をかけ、金銭を要求しているもようです。

当局からは「今後も被害が拡大する可能性がある」と厳重な注意を呼びかけています。

  


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マネキン人形の部屋

2015年01月01日 | 面白画像

お正月を実家で迎えた私は明日から始まる仕事のために帰宅した時、
アパートの前で大家さんと例の部屋の隣に住みはじめた女性が
何かモメている様子がありました。
何かあったのかしらと思ったのですけど、
私が首を突っ込むわけにもいかないですし。
駐輪所に自転車をした時に、何となく上を見ると、
あの部屋の扉のところに、あのマネキンの姿が。
冷ややかな戦慄が走るというのはこういうことでしょうか。
確か、清掃トラックがあのマネキンを持っていくところを
見ていたはずなんですけど。
モメていた原因はあれだったのですね、と私も2人の話に加わりました。
私は不思議なこともありますねと言うと、
「不思議どころじゃないわよ!!」とかなり興奮気味。
その後、大家さんが直接、清掃業者を呼んで、
手渡しであのマネキンを捨てました。

そして明くる朝、私は女性の叫び声に似た悲鳴で目が覚めました。

 

何事かと思って外に出てみますと、
例の部屋の隣に住んでる女性が泣きわめきながら
階段駆け下りて大家さんの家へと向かっていくのが見えました。
もしかしたらと思って駐輪場へいって上の階をみてみると、
案の定、あのマネキンの首だけが
あの部屋の扉のところに置いてあったのです。
それからまた大騒ぎになったのは言うまでもありませんが、
その後、あのマネキンの首は大家さんが直接、
お寺に持ってくということで回収したそうなんです。
それなのに、何故なのでしょうね。

帰宅した私を出迎える様に部屋にあるのは

  


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三遊亭円窓の噺、「徂徠豆腐」(そらいどうふ)

2015年01月01日 | 落語・民話

三遊亭円窓の噺、「徂徠豆腐」(そらいどうふ)によると。
 

 正月二日、江戸の小商人は早々に商いにやって来た。
 豆腐屋七兵衛さんが芝増上寺門前の貧乏長屋に入ってきた。転げ込むように住んでいた二十五、六の若者。朝から晩まで書物を読んでいるか、筆をとっているかの毎日。
 注文で1丁売った。ガツガツ食べて4文の金が無いから、明日まとめて払うと言う事になった。翌日も同じようにガツガツ食べてツケにした。3日目も同じで、七兵衛さんが聞くと、学者の勉強をして、世の中を良くしたいと言う。それなら出世払いで良いからと、翌日から差入れが始まった。
 味付きのおからがメーンで、あとは日替わりの売れ残り。三日に一度はお握り。女房の心尽くしのおつけ。若い学者は涙を拭きながら食べました。この長屋では「おからの先生」って言われるようになった。
 ある時、七兵衛さん風邪をこじらして寝込んで商いに出られなくなた。
 マクラも上がって、長屋を訪ねたが、もぬけの殻で、行き先も分からなかった。長屋で名前を聞くと「確か、お灸がツライ、とかなんとか言っていたよ」。
 その後何回か足を運んだが戻らなかった。縁がなくなって夫婦の頭から先生の事が消えていった。

 元禄十五年十二月十四日。赤穂浪士の吉良邸への討ち入り。

 翌十五日の夜中。豆腐屋の隣りから火が出まして、あっという間に辺り一帯が全焼しました。

 明けて十六日の朝。まだ焦げ臭いものが立ち込めた無残な増上寺門前。
 大工の政五郎が豆腐屋七兵衛さん宅に火事場見舞いに訪れたが、着のみ着のままで焼け出され、魚濫坂下の薪屋さんに避難しているという。
 薪屋さんで七兵衛さん夫婦に会い、ある人から頼まれて10両の金を持参したので受け取って欲しいと渡した。受け取った七兵衛さん、嬉しいが分からない金に手を付けられないと、薪屋と相談の上、神棚に上げ、困った時に使う事にした。

 元禄十六年二月四日 四十七士の切腹。街では「なんてぇこった。あんな立派な義士たちをさッ」。とか「まったくだ。誰なんだい、そんなこと決めやがったのはッ」との声が大勢を占めた。

 10日後政五郎が訪ねてきた。腰を痛めた七兵衛さん夫婦を大八車に乗せて、芝増上寺門前の焼け跡へ。
 焼けたはずの店が建ってる。棟梁に聞くと七兵衛さんの店だという。そこに現れたのはあの、おから先生で過日のお礼を述べた。「あれから増上寺の了也僧正にもお世話に相成り、五年後、僧正のお口利きでご大老の柳沢美濃守さまのお引き立てをいただきまして、仕官が叶いました。また、なんらご挨拶もせず長屋を出ましたこと、お詫びを申し上げます。訪ねてきた友人たちに『このままでは体がもたない』と連れ出されたも同然で。」と詫びた。それから「火事にあって焼け出されたことを知り、すぐにお見舞いをと思いましたが、ご存知の赤穂の討ち入りがありました。以来、それに掛かり切りになりまして、お顔出しのいとまもありませんでした。この二月四日、赤穂の面々が腹を召し、ようよう動けるようになりまして、やっと、お詫び方々お目にかかることができました」。
 10両も、おから先生が届けたものであった。

 おから先生の本当の名前を聞くと、『お灸がつらい』ではなく、「荻生徂徠」だと言う。おぎゅう…? そらい…?と聞いて、七兵衛さん思い出した。「岩田の隠居が言ってた。『赤穂の義士に切腹をって、言い出した学者が”おぎゅうそらい”だ』って。その学者って、お前さんかいッ?」と訪ねると、その通りだという。
 それだったら使い込んだが10両と、この家はいらないと言う。

 徂徠が言うには、「ご主君を失った家臣一同、仇を討ちたしの一心は当然のことでありましょう。まさに義の一字でしょう。しかし、仇討ちはご法度、徒党を組むことも禁じられております。天下の大法を犯しております。法を曲げるわけには参りません」。ですから「私は法を曲げずに、法に情けを注いだのです」。
 「仇を討ち、本望を遂げたのでしょうが、方々にはもう一つ思いがあったはずです。ご主君のおそばへ馳せ参じることです。それゆえ、わたくしは『赤穂の浪士に追い腹を』と言上したのでございます」 。
 「そんなのは、学者の理屈だよ。」と言う七兵衛さん。

 「いえ、これは武士の本分に通じることなのです。七兵衛さん。武士の差しまする大小二本の刀はなんのためでしょうか」。「人を斬るためだろうが」。「まさに大のほうは人を斬るためでしょう。討ち入りで存分に使われました。では、小の脇差はなんのためでしょう」 。「そんな・・・」。
 「己で己を斬るためです。武士の本分、魂は小の脇差にあると、私は思っております。常日頃から己で己を切る覚悟のない武士はまことの武士ではございません。切腹は武士の誇り、誉れなのです。打ち首や獄門などとは比べようのないものなのです。また、散り際をいかにいさぎよくするか、武士というものはそこに生涯のすべてを懸けていると言っても過言ではないのです」 。

 「切腹については浪士の方々から異議を申し立てる声は一つもございませんでした。二月四日、切腹の様子を検死役の方々が異口同音に申しておりました。『赤穂の方々、皆一様に清々しいお顔で、ご主君のそばに馳せ参じる喜びを現わしておられた』と。本望の叶ったことは間違いないと、私は思っております。 法を曲げずに、情けを注ぎました」。
 「法を曲げずに情けを注いだというのは、七兵衛さん。あなたもなさっています。十年前、私は銭を払うような素振りで、都合、三丁の豆腐を食しました。無銭飲食です。法に触れた行いです。しかし、あなたはそのことには 触れず、『出世払いでいい』と情けをくださったではありませんか。あなたは天下の法に許す限りの情けを注いでくださったのです」。「そんなつもりじゃねぇんだよ」と、七兵衛さん。
 「そのおかげで、私はなんとか世に出ることができました。私も、赤穂の浪士に法を曲げずに情けを注いだつもりです。十年前、長屋で七兵衛さんに言われました。『腹を減らしてここで死んではならぬ。どうせ死ぬのなら、世に出て見事に花を咲かせてから死ね』と。十年たった今、私、その言葉を赤穂の面々に言っているような気がしてならないのです。『見事に花を咲かせたのであるから、見事に・・・、見事に散れ!』と」。

 七兵衛さん「焼け出されたときは焼き豆腐になっちまったが、今、先生の話を聞いているうちに、泣き豆腐になっちまった。なぁ、おっかぁ。武士に意地があるんなら、情けもあるはずだ。ご主君のそばへ送ってやるのも情ですね、先生」。「わかっていただけて、私も嬉しいです。ですから、十両もこのお店もお受け取りください」。「ありがとうございます。貰ったり返したりいたしまして。お豆腐だったら、とうに崩れてしまってます」。

 徂徠は、「増上寺の了也僧正に七兵衛さんの話をいたしました。すると『寺でもその豆腐にあやかりたいものじゃ』とおっしゃいました。いかがですかな、増上寺へのお出入りは? 」。
 早速納める事にしたが、名前をいただいて『徂徠豆腐』と付けた。
 「徂徠豆腐を泉岳寺へ持ってって四十七士にもお供えし、四十七士に喜んでもらえれば、こっちの自慢になりますよ。それにしても切腹した赤穂浪士も立派だが、先生もてぇしたもんですね」 。
 「いや、私は豆腐好きのただの学者ですよ」。
 「いや、そんなことはねぇ。この店を見りゃぁわかります。先生はあっしのために自腹を切ってくださった」。

  


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お正月の挨拶・・

2015年01月01日 | 面白画像

お正月の挨拶・・え~と、たしか「絵を売るのが商売の人」のような言葉だったと思うんだけど・・。
 あ、思い出しました。 「賀正(画商)」

  


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お正月に

2015年01月01日 | 面白画像

半鐘はいけないよ、おジャンになるから・・・・・

お正月に車がぶつかっちゃって「ガンターン!」

歯医者さんの歌を唄いま~す!
♪ハ、ドシタ~ ハ、ドシタ~

船の歌を唄いま~す!
♪アラ、ヨット アラ、ヨット

ブラジャーをつけようとして、うまくつけられなくて
ぐるっと体を一周して、これがほんとの「ちちかえる」なんつって

この間なんか舞台から落っこちちゃって、前にいたお客さんが
「よっ、落伍者!(落語者)」なんつって・・・・・

  


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おけら参り行ってきました

2015年01月01日 | 面白画像

トルコ人がさっき泣きながら帰ってきた。

トンカツが食べたくて神道に改宗しようとして神社に行ったら、

「日本の神様はよその神様も他国のお友達みたいに思ってるから、改宗とかカリカリしなくて大丈夫だよ、ゆっくり考えておいで」(意訳)みたいなことを言われて感動したとか。

  


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