明治天皇は暗殺されていて身代りの南朝系天皇だった
徳川14代家茂(20歳で暗殺)の時に倒幕、佐幕運動で騒然としていた時の孝明天皇は
家茂を信任して鎖国攘夷の佐幕に固執していた為に岩倉具視と長州志士に暗殺された。
その為に15代に大政奉還された時、明治天皇となる為に幼君の睦仁親王を擁立した。
しかし、この睦仁親王が明治天皇になる器で無いとして、父と同じ岩倉具視一派から暗殺
された。そして長州の伊藤博文や桂小五郎が山口県田布施町に匿っていた大室寅之助
を睦仁親王の身代りで明治天皇にした。この大室寅之助は南朝最後の熊沢天皇の末裔
である。従って明治維新は南北王朝交替でもあった。その身替りの証拠は睦仁親王は顔
に疱瘡がある、虚弱体質で臆病、政務に無関心、書は下手、乗馬もしない男である。
これに反して大室の明治天皇は、あばたは無い、威風堂々として巨漢である、書は達筆、
乗馬は得意と総て正反対である。この大室の明治天皇と典侍の柳原愛子(事実上の皇
后)との間の15人の子の中から大正天皇が出るのである。昭憲皇太后と呼ばれている
正妻との間には子供が出来なかったからである。この話には尾ひれが付いて橋本竜太郎
元首相は大室の遠い親戚筋にあたり皇族であると騒がれた時期もあったが否定された。
この身替りの事実は皆に知れ渡っても、誰もが口に出すのはタブーになっている。
鹿島昇著「裏切られた3人の天皇・明治維新の謎」より