きのう夜。うちのお寺で、研修会がありました。
全12回ある内の、第11回目
問い:「環境破壊や脳死・エイズなどの問題は
信心の生活とどのように関係するのでしょうか」
先生の問題提議→3つの班に分かれて話し合い→まとめの講義
と、いつものように進められました☆
臓器移植なんぞは、いまタイムリーな問題で。
「人間の死」が何であるかを、可決されたとか何とか
ニコニコ笑顔で拍手している、政治家達を
新聞の一面で、見た時なんかには
わたしはイラッとするんだけれど。(→血の気が多い?)
まぁ、ひと言では表せない、非常に難しい問題です。
みんなで、こうと決めましょう!というのも
じゃあ、個人個人にお任せしますね!というのも
違うと思うんだよなぁ、、、、、
人間の領域を、明らかに越えている。と思う
わが班では、いろんな意見が出ました。
脳死や臓器移植について
「自然じゃないのは、わかるけれど
自分の身内や、身近な人だったら、やっぱり何をしてでもすがりたい」
「死んで人の役に立つなら、それもあり。待っている人が」
「ドナーカードを持っていたけれど、今は自然がいいかな」
「延命じゃなくて、そのままがいい、これもまた人生」
「臓器をもらう側が若い人だったら欲しいのかも、
年を重ねてくると、自然も受け入れられる」
エイズについて
「昔はみんな、予防注射でも、同じ注射器だった」
「正しい知識を持つ」
「あまり身近じゃない、わかりにくい」
環境破壊について
「ゴミの分別や、下水など、都会と田舎では違う」
「米のとぎ汁は、環境に悪い」
などなど。
わたしは、気づいたことを、ひとつだけ発言した
「みなさん、どの問題も、自分だったらと
自分のこととして話して下さるので、すべての意見が心に響きます。
テレビなどで、一般論を聞いた時には、それって本当ですか?
自分の事でも同じ事が言えますか?と思います。
そういった意味で、みなさん、すごいです」
すると年配の男性が
「飾らず、仏様の前で、自分だったらどうかを話せるのが
信心の生活ではないでしょうか?」と言われた。
・・・ジーーーン感動。なるほど!
エイズに関しては、他の班でも「正しい知識をもって~」
という意見が出ていたようだけれど。
それについては、引っかかるものがあった。
正しい知識を持てば、差別や偏見がなくなるという意味なのか
正しい知識を持てば、自分がエイズにならなくて済むという意味なのか
どちらにしても、今エイズに苦しんでいる方が
エイズじゃなくなる訳ではなくて。
エイズも「病のひとつ」に過ぎないと、わたしは思う。
癌やインフルエンザと一緒「人間の苦」のひとつだ。
班の発表を受けて、先生のまとめは
「教えを聞くと、命やお金など、いろんなものに
執着していいのかと気づかされることがある」
「保身や恐れから、差別や偏見が生じたりするような
自分であると気づかせて下さるのが、信心のはたらきである」
「悲しみ、罪の意識、複雑な感情を抱えながら
生きていくわたしを、導いて下さるはたらきに出遇うこと」
でした。
研修会が終わって、若院と話し合う
若院はポツリと、ひと言。
「環境破壊も脳死もエイズも、、、
すべては、失われていくものやからなぁ」
なるほど・・・・・
ちなみに若院は、研修会で
お経についての指導を、がんばりました
夜10時すぎ、帰ってビール
暑い日々。一日を終えたビールは、最高に美味でした
全12回ある内の、第11回目
問い:「環境破壊や脳死・エイズなどの問題は
信心の生活とどのように関係するのでしょうか」
先生の問題提議→3つの班に分かれて話し合い→まとめの講義
と、いつものように進められました☆
臓器移植なんぞは、いまタイムリーな問題で。
「人間の死」が何であるかを、可決されたとか何とか
ニコニコ笑顔で拍手している、政治家達を
新聞の一面で、見た時なんかには
わたしはイラッとするんだけれど。(→血の気が多い?)
まぁ、ひと言では表せない、非常に難しい問題です。
みんなで、こうと決めましょう!というのも
じゃあ、個人個人にお任せしますね!というのも
違うと思うんだよなぁ、、、、、
人間の領域を、明らかに越えている。と思う
わが班では、いろんな意見が出ました。
脳死や臓器移植について
「自然じゃないのは、わかるけれど
自分の身内や、身近な人だったら、やっぱり何をしてでもすがりたい」
「死んで人の役に立つなら、それもあり。待っている人が」
「ドナーカードを持っていたけれど、今は自然がいいかな」
「延命じゃなくて、そのままがいい、これもまた人生」
「臓器をもらう側が若い人だったら欲しいのかも、
年を重ねてくると、自然も受け入れられる」
エイズについて
「昔はみんな、予防注射でも、同じ注射器だった」
「正しい知識を持つ」
「あまり身近じゃない、わかりにくい」
環境破壊について
「ゴミの分別や、下水など、都会と田舎では違う」
「米のとぎ汁は、環境に悪い」
などなど。
わたしは、気づいたことを、ひとつだけ発言した
「みなさん、どの問題も、自分だったらと
自分のこととして話して下さるので、すべての意見が心に響きます。
テレビなどで、一般論を聞いた時には、それって本当ですか?
自分の事でも同じ事が言えますか?と思います。
そういった意味で、みなさん、すごいです」
すると年配の男性が
「飾らず、仏様の前で、自分だったらどうかを話せるのが
信心の生活ではないでしょうか?」と言われた。
・・・ジーーーン感動。なるほど!
エイズに関しては、他の班でも「正しい知識をもって~」
という意見が出ていたようだけれど。
それについては、引っかかるものがあった。
正しい知識を持てば、差別や偏見がなくなるという意味なのか
正しい知識を持てば、自分がエイズにならなくて済むという意味なのか
どちらにしても、今エイズに苦しんでいる方が
エイズじゃなくなる訳ではなくて。
エイズも「病のひとつ」に過ぎないと、わたしは思う。
癌やインフルエンザと一緒「人間の苦」のひとつだ。
班の発表を受けて、先生のまとめは
「教えを聞くと、命やお金など、いろんなものに
執着していいのかと気づかされることがある」
「保身や恐れから、差別や偏見が生じたりするような
自分であると気づかせて下さるのが、信心のはたらきである」
「悲しみ、罪の意識、複雑な感情を抱えながら
生きていくわたしを、導いて下さるはたらきに出遇うこと」
でした。
研修会が終わって、若院と話し合う
若院はポツリと、ひと言。
「環境破壊も脳死もエイズも、、、
すべては、失われていくものやからなぁ」
なるほど・・・・・
ちなみに若院は、研修会で
お経についての指導を、がんばりました
夜10時すぎ、帰ってビール
暑い日々。一日を終えたビールは、最高に美味でした