きのうは、お寺の役員さんの会議があって。
会議の後は、みなさんで(全11名)お食事だったので
午後から若院と一緒に、買い出しに行き
お母さんのお手伝いをしながら
せっせと、お食事の準備をした
メニューは、豆乳鍋、くじらご飯、ブリのお刺身、
あら煮(ブリ大根)、オードブル、苺などなど。
わたしはチョロチョロ&モタモタ
お母さんの味付けは、本当に美味しい
「味」というのは、手前でも、通り越えてもダメで。
ジャスト、ここだぁっ
という点、ツボ?があって。
まさに、お母さんの味は、ドンピシャリ
なんだなぁ~
さりげなく、上品で、でも深い味。
ん~いつかわたしも、ああいうふうに作れるようになりたい
食事をしながら、いろんな役員さんのお話を聞き。
昨夜はずいぶん、あたたかい言葉の数々が胸に響いた・・・
なんでみなさん、あんなに一生懸命、熱心に
お寺のことを考えて、して下さるのだろう、、、。
自分の為でさえ、頑張れなかったりするものなのに
いわゆる損得で言うところの、メリットがある訳じゃなく。
むしろ骨を折るばかりなのに。
すべては仏法相続と、あらゆる命の幸せを願ってのもの。
本当に頭が下がる、、、。
そして言葉のひとつひとつが、胸にしみる。
「便利とか損得とか、自分の事だけじゃなくて。
先代からのものを受け継いで守り、それでいて新しい時代に応じた
やり方で、次世代のことを考えてゆく・・・」熱く熱く語られる方。
「例えば体を調べて、どこかが悪いなんていうことは
誰にもあり得ることで。われわれは、明日何をしようと考えているけれども
明日がないかもしれないということを、わかっていない・・・」
静かに語られる方。
そこに住職の熱い言葉が、グサリと心に。
「いっしょに頑張って、いっしょに死んで行こう」
・・・
これはもう、役員会とかお寺とか、そういった枠組みを超えた
あらゆる世界に共通する事であると、わたしは思うんです。
人類の歴史は短いようで、長くもあり。
この世で、同じ時代を共にする命が、
一体どれだけの数、存在しているというのか。
われわれはまさに、
いっしょに生きていっしょに死んでいく仲間だ。
それぞれの、命の短い長いはあっても、
それが絶妙なタイミングで、まさに今、ここで
リンクしている。繋がって、ともに生きている。
すごいことなんだ・・・。
住職の身から出た言葉は、あまりに衝撃的だった。