玉造温泉2日目晴れ。(11月27日 月曜日)
5時30分に起床して、すぐに今度は1Fの風呂に入る。これは気持ちの良い風呂だ。
美肌の湯と言う位、肌がすべすべになった。
朝食は6時40分からの和・洋・中バイキングで何でもござれだ。
やはりバイキングだと、おかゆを取る。納豆、豆乳豆腐、マグロカツ、ハタハタや目玉焼き、等にフルーツ。最後にはカフェラテも飲んだ。
ここは全てに美味しく、精算後に「ここが今までで一番おいしかった」と、鞄を運んでくれたおっさんに伝えた。
さあバスにと思ったところ、妻が「旅行社のバッジが無い」と騒ぎ出した。慌てて妻は探しに部屋に戻ったのだが、無かったと言う。
仕方なくバスに乗り込んで添乗員さんに訳を話したら「いくらでもありますからいいですよ」と優しく行ってくれた。
ところが最終日に私が犯人だった事が判明したのだった。
バスの座席は指定されて6列目の右側だった。10分程度で「まがたま伝承館」に着いた。
ここで勾玉(まがたま)を制作するのだ。
これは日本一の大きさの勾玉だ。
通常はこのような「メノ―」を加工するが、我々は加工しやすい「ろう石」で製作をした。
あらかじめ、ある程度の形にしてくれてあるので、ひたすら紙やすりで磨き、水洗い後はワックスでさらに磨ぎをかけた。
色々の形のビーズを工夫して紐に通し、何とか勾玉ができ、ネックレスになった。
これは私の作品である。センスはどうだろうか?
ある御婦人は旅行中、勾玉を付けていた。
出雲大社に行く前に、歴史博物館に寄る。
ここでビデオによる出雲大社の説明を聞いたり、展示館を見た。
2000(平成12)年には境内遺跡から本殿の巨大柱(宇豆柱)が一組3本出てきて、いかに本殿が高い所(48m)にあったかが証明された。
これは縮小された当時の模型である。
ついに出雲大社に来た。
10月、大学の出雲駅伝はここの石段下がスタート地点だ。(今年は東海大学が優勝)
ここが入口かと思ったが、二の鳥居である。
すぐ目の前には「スターバックス」があった。出雲大社は島根県である。
鳥取県知事の「鳥取にはスタバはないが、砂場はある」が有名だったが私は、ここかと思った。
とにかく鳥取県知事のアイデアには、島根県も負けるそうだ。
参道は珍しい下り参道で、下りきったところに拝殿がある。1959(昭和34)年の総ヒノキ造り。
パンフやテレビで見るしめ縄とは違い、随分小さいなと思ったら、大きいしめ縄は別のところにあるとは知らなかった。
屋根だけが見える御本殿には一般客は中に入れず、屋根しか見えない。
日本最古の神社建築様式で、1744(延享元)年に完成。60年に一回屋根の葺き替えを行う。
我々は周りをぐるっと回っただけだった。
旧暦10月10日に神迎祭が行われるが、今年はちょうどこの日(27日)で、夜7時から行われたそうだ。
神楽殿。これが噂の大しめ縄である。
ここで結婚式が良く行われおり、家内のお弟子さんも今年ここで結婚式を挙げたそうだ。
昔私がT百貨店に勤務の頃の後輩が会社を辞めて、この近くに帰ったと思い、調べてみたらまさに大社町だから、近くに住んでいるのだろう。
大社見学後、このC社ツァーは特別に「カニ汁」をいただけた。
この地方には珍しい良い天気に恵まれて、暑い位だった。
昼は割と近くの「島根ワイナリー」に行って、バーベキュー。ここでも島根牛の美味しい肉をいただいた。先ず赤ワインで乾杯。4人で丸卓を囲んでそれぞれ焼いた。
場所を移して、土産物店ではワインの試飲もさせてくれて、300mlの甘い白ワインを買った。
急いでいたので甘口を買ったのだが、辛口は別の場所にあったのだ。
出雲大社を後にして、一畑(いちばた)電車(通称ばたでん)の出雲大社前駅に向かう。
2両編成の電車を貸切である。この電車は特別臨時電車で、1両を改装して全席が同じ窓ガラスの方を向いている。
乗った時は全員左側を向いており、宍道湖は右側のハズだ。
おかしいと思ったが、謎は途中の一畑口駅で解けた。
運転手は今度は後ろの運転席に移って、スイッチバックとなり、左側が宍道湖方面になったのだ。
この日は未だ夕映えではなかったが、実は出雲に来たかったもう一つの理由は、舩川利夫が作曲した「出雲路」を思い出したからだ。
出雲路は「清水寺の暮色」「祭」「宍道湖の夕映」の三部になっており、4年前のおさらい会で演奏していたのだ。(箏2面、十七絃、尺八)
途中でカラフルな電車に会い、その都度ゆっくり走ったり、ここは停車もした。
鉄っちゃん垂涎のビューポイントだ。
主に京王線の中古だと言うから、もしかして昔私が乗っていた電車なら、奇遇である。
電車内では2人の若い女性ガイドが仲居さんのような衣装を着けて、沿線の説明や抹茶と和菓子のサービスがあった。我が飯田線もこのように考えればいいのになと思ってしまう。
駅名が難しく、クイズになった。
秋鹿町、伊野灘、園、旅臥、美談、川跡、武志、遙堪など読めるかな?
読み方の答え(あいかまち、いのなだ、その、たぶし、みだみ、かわと、たけし、ようかん)
バスも一畑バスの大型で座席に余裕があったし、バスガイドがよどむことなく上手かった。
彼女は松江出身で、歴史も風景の説明も立て板に水であった。
中海を左手に見て、安来市を通る。
「やすき」と思ったら「やすぎ」が正解だった。
バスガイドさんは歌も上手く、鳥取県民謡「貝殻節」も歌ってくれた。
ホタテガイが大量に取れた時の労働歌だった。
この曲には思い出があり、若い頃尺八を教えていた頃、弟子の会社の人達と新宿の歌舞伎町スナックで飲んだ時に、その知人が大きな声で貝殻節を歌っていたので、覚えたのであった。
2日目の宿泊は境港市の南側、皆生(かいけ)温泉つるや。
ホテルから見た大山(だいせん)は1709m。中国地方の最高峰であり、雪をいただいた大山は山陰の象徴であろう。
因みに同じ漢字でも、神奈川県にあるのは大山(おおやま)である。
先ず、大浴場と露天風呂に入る。日本海に面しており塩分を含むらしいが、石鹸は泡立ち、いい湯であった。
夕食は食前酒に始まり、冷酒の久米桜を注文した。純米酒で無く、味は今一つだったかな。
料理は和牛しゃぶしゃぶ、ののこ飯、メバルの煮付け、茶わん蒸し、天婦羅、水菓子などであった。
ここのカニは食べやすかったし、和牛は柔らかく美味かった。
食事がほぼ終わった頃合いを見て、我々だけに特別に鳥取荒神神楽(かぐら)を鑑賞させてくれた。
大黒様が福の種を授ける舞など。
修了後は、恵比寿様ともども五円玉を紙で包んだものを投げてくれて、みんなで拾ったりした。妻は上手くつかんだが私は上手く受け取れず、下に落ちた子供用のお菓子だけ拾った。
有名人が泊まった折に書いた色紙が、壁に貼られていた。杉村春子、仲代達矢、有馬稲子など。
この色紙は立川談志である。
5時30分に起床して、すぐに今度は1Fの風呂に入る。これは気持ちの良い風呂だ。
美肌の湯と言う位、肌がすべすべになった。
朝食は6時40分からの和・洋・中バイキングで何でもござれだ。
やはりバイキングだと、おかゆを取る。納豆、豆乳豆腐、マグロカツ、ハタハタや目玉焼き、等にフルーツ。最後にはカフェラテも飲んだ。
ここは全てに美味しく、精算後に「ここが今までで一番おいしかった」と、鞄を運んでくれたおっさんに伝えた。
さあバスにと思ったところ、妻が「旅行社のバッジが無い」と騒ぎ出した。慌てて妻は探しに部屋に戻ったのだが、無かったと言う。
仕方なくバスに乗り込んで添乗員さんに訳を話したら「いくらでもありますからいいですよ」と優しく行ってくれた。
ところが最終日に私が犯人だった事が判明したのだった。
バスの座席は指定されて6列目の右側だった。10分程度で「まがたま伝承館」に着いた。
ここで勾玉(まがたま)を制作するのだ。
これは日本一の大きさの勾玉だ。
通常はこのような「メノ―」を加工するが、我々は加工しやすい「ろう石」で製作をした。
あらかじめ、ある程度の形にしてくれてあるので、ひたすら紙やすりで磨き、水洗い後はワックスでさらに磨ぎをかけた。
色々の形のビーズを工夫して紐に通し、何とか勾玉ができ、ネックレスになった。
これは私の作品である。センスはどうだろうか?
ある御婦人は旅行中、勾玉を付けていた。
出雲大社に行く前に、歴史博物館に寄る。
ここでビデオによる出雲大社の説明を聞いたり、展示館を見た。
2000(平成12)年には境内遺跡から本殿の巨大柱(宇豆柱)が一組3本出てきて、いかに本殿が高い所(48m)にあったかが証明された。
これは縮小された当時の模型である。
ついに出雲大社に来た。
10月、大学の出雲駅伝はここの石段下がスタート地点だ。(今年は東海大学が優勝)
ここが入口かと思ったが、二の鳥居である。
すぐ目の前には「スターバックス」があった。出雲大社は島根県である。
鳥取県知事の「鳥取にはスタバはないが、砂場はある」が有名だったが私は、ここかと思った。
とにかく鳥取県知事のアイデアには、島根県も負けるそうだ。
参道は珍しい下り参道で、下りきったところに拝殿がある。1959(昭和34)年の総ヒノキ造り。
パンフやテレビで見るしめ縄とは違い、随分小さいなと思ったら、大きいしめ縄は別のところにあるとは知らなかった。
屋根だけが見える御本殿には一般客は中に入れず、屋根しか見えない。
日本最古の神社建築様式で、1744(延享元)年に完成。60年に一回屋根の葺き替えを行う。
我々は周りをぐるっと回っただけだった。
旧暦10月10日に神迎祭が行われるが、今年はちょうどこの日(27日)で、夜7時から行われたそうだ。
神楽殿。これが噂の大しめ縄である。
ここで結婚式が良く行われおり、家内のお弟子さんも今年ここで結婚式を挙げたそうだ。
昔私がT百貨店に勤務の頃の後輩が会社を辞めて、この近くに帰ったと思い、調べてみたらまさに大社町だから、近くに住んでいるのだろう。
大社見学後、このC社ツァーは特別に「カニ汁」をいただけた。
この地方には珍しい良い天気に恵まれて、暑い位だった。
昼は割と近くの「島根ワイナリー」に行って、バーベキュー。ここでも島根牛の美味しい肉をいただいた。先ず赤ワインで乾杯。4人で丸卓を囲んでそれぞれ焼いた。
場所を移して、土産物店ではワインの試飲もさせてくれて、300mlの甘い白ワインを買った。
急いでいたので甘口を買ったのだが、辛口は別の場所にあったのだ。
出雲大社を後にして、一畑(いちばた)電車(通称ばたでん)の出雲大社前駅に向かう。
2両編成の電車を貸切である。この電車は特別臨時電車で、1両を改装して全席が同じ窓ガラスの方を向いている。
乗った時は全員左側を向いており、宍道湖は右側のハズだ。
おかしいと思ったが、謎は途中の一畑口駅で解けた。
運転手は今度は後ろの運転席に移って、スイッチバックとなり、左側が宍道湖方面になったのだ。
この日は未だ夕映えではなかったが、実は出雲に来たかったもう一つの理由は、舩川利夫が作曲した「出雲路」を思い出したからだ。
出雲路は「清水寺の暮色」「祭」「宍道湖の夕映」の三部になっており、4年前のおさらい会で演奏していたのだ。(箏2面、十七絃、尺八)
途中でカラフルな電車に会い、その都度ゆっくり走ったり、ここは停車もした。
鉄っちゃん垂涎のビューポイントだ。
主に京王線の中古だと言うから、もしかして昔私が乗っていた電車なら、奇遇である。
電車内では2人の若い女性ガイドが仲居さんのような衣装を着けて、沿線の説明や抹茶と和菓子のサービスがあった。我が飯田線もこのように考えればいいのになと思ってしまう。
駅名が難しく、クイズになった。
秋鹿町、伊野灘、園、旅臥、美談、川跡、武志、遙堪など読めるかな?
読み方の答え(あいかまち、いのなだ、その、たぶし、みだみ、かわと、たけし、ようかん)
バスも一畑バスの大型で座席に余裕があったし、バスガイドがよどむことなく上手かった。
彼女は松江出身で、歴史も風景の説明も立て板に水であった。
中海を左手に見て、安来市を通る。
「やすき」と思ったら「やすぎ」が正解だった。
バスガイドさんは歌も上手く、鳥取県民謡「貝殻節」も歌ってくれた。
ホタテガイが大量に取れた時の労働歌だった。
この曲には思い出があり、若い頃尺八を教えていた頃、弟子の会社の人達と新宿の歌舞伎町スナックで飲んだ時に、その知人が大きな声で貝殻節を歌っていたので、覚えたのであった。
2日目の宿泊は境港市の南側、皆生(かいけ)温泉つるや。
ホテルから見た大山(だいせん)は1709m。中国地方の最高峰であり、雪をいただいた大山は山陰の象徴であろう。
因みに同じ漢字でも、神奈川県にあるのは大山(おおやま)である。
先ず、大浴場と露天風呂に入る。日本海に面しており塩分を含むらしいが、石鹸は泡立ち、いい湯であった。
夕食は食前酒に始まり、冷酒の久米桜を注文した。純米酒で無く、味は今一つだったかな。
料理は和牛しゃぶしゃぶ、ののこ飯、メバルの煮付け、茶わん蒸し、天婦羅、水菓子などであった。
ここのカニは食べやすかったし、和牛は柔らかく美味かった。
食事がほぼ終わった頃合いを見て、我々だけに特別に鳥取荒神神楽(かぐら)を鑑賞させてくれた。
大黒様が福の種を授ける舞など。
修了後は、恵比寿様ともども五円玉を紙で包んだものを投げてくれて、みんなで拾ったりした。妻は上手くつかんだが私は上手く受け取れず、下に落ちた子供用のお菓子だけ拾った。
有名人が泊まった折に書いた色紙が、壁に貼られていた。杉村春子、仲代達矢、有馬稲子など。
この色紙は立川談志である。