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ロスチャイルド財閥-167   ロスチャイルド財閥(ユダヤ)vs ロックフェラー財閥(WASP)

2023-01-17 22:55:43 | 国際政治・財閥






ヨーロッパの絶対王者、ユダヤ系ロスチャイルド財閥。 ぢ一次世界大戦で世界覇権が大英帝国からアメリカ帝国に移行。 そして台頭するWASP(White [白人]Angro-saxon[アングロサクソン系]Protestant[キリスト教プロテスタント])のロックフェラー財閥とモルガン財閥。

同じ資本主義社会の中ですが、ロスチャイルド財閥(ユダヤ)vs ロックフェラー財閥に国際政治やグループ企業が真っ二つに割れ、激しい戦いが20世紀以降、繰り広げられました。 私は欧州でグローバル企業のDirectorしてましたが、実際企業活動の中では、顧客との昼食に、コカ・コーラ(ロスチャイルド系)を出すか、ペプシコーラ(ロックフェラー系)を出すか悩まなければならない始末。

マクドナルドはロスチャイルド系でですから、世界中にあるマクドナルドでペプシコーラを置いてる店は1件たりとてありません、 すべてコカコーラです。 出張・旅行などでマクドナルドで食事する事も多いともいますが、ペプシコーラを置いてある店を見つけたら、是非、コメント欄え連絡ください。





まあ、この財閥間の死闘は、元々ロックフェラー財閥は、ロスチャイルドと親戚のクーンローブ商会のユダヤ人ジェイコブ・シフが、指導・支援し育てた巨大財閥であり、モルガン財閥に於いてはロスチャイルドがアメリカ紫綬に参入しようとしたとき、ユダヤ人差別で参入できなかったので、英国ウェールス出身のモルガン一族(WASPの英国エスタブリッシュメント)を代理人として使い、モルガン財閥はGM・GE・ATT・USスチール・カーネギー・NY鉄道などを所有する大財閥となり、アメリカの影の政府とよばれるまでになりました。 結局はどちらもロスチャイルド財閥のひも付きです。

そして第二次世界大戦では、ロスチャイルドを敵に回してしまい、東京大空襲と原爆2発で廃墟と化した日本ですが、不死鳥の如くよみがえり、ハイテク産業と経済で欧米を脅かし、世界第二位のGDPになるまでに至りました。

そして2012年5月30日付のロイターの記事 にあるように、「英ロスチャイルド家のジェイコブ・ロスチャイルド氏が率いる投資会社RITキャピタル・パートナーズRCP.Lは30日、米ロックフェラー・グループの資産運用事業の株式37%を取得することで合意したと発表した。運用事業で、大西洋を挟んだ名門による提携が実現する。ロスチャイルドにとっては、米国に基盤を築くことにもなる」

https://jp.reuters.com/article/tk8141462-rothschild-rockefeller-dJPTJE84T00520120530



と、ロスチャイルドがロックフェラーを買収し、共通の敵である日本に対抗するため、に両国際財閥は合弁・合併・共同事業を展開してきました。


・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af41696ec05203f68b46d63b897e9b3d



我ら日本は、また、出る杭を打たれているのが現状であり、両財閥のパワーバランスは言うまでもなくロスチャイルドが上です。 何が起こってきたのか、何が起こっているのか? そして、日本の将来について投稿してゆきたいと思います。






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ロスチャイルド財閥-166 影の大物フィクサー ユダヤ人大富豪アイゼンベルグ

2023-01-17 02:21:28 | 国際政治・財閥


シャウル・ネヘミア・アイゼンベルグ(Shaul Nehemia Eisenberg,1921年9月22日ー1997年3月27日)
ユダヤ人の実業家で大富豪の大物。イスラエル政府の国策企業、イスラエルコーポレーションを創立。



https://www.youtube.com/watch?v=GJGcgOavRsk


翼の党・黒川あつひこ氏の動画、ほぼ正しく、アイゼンベルグに関して、情報が少ない中、良く調べられていると思います。



・ロスチャイルド財閥-162  イスラエル最大の軍事コングロマリット アイゼンベルグhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/557abd6abe9210332fce7e6d498121c9

・ロスチャイルド財閥-164 イスラエル・コーポレーションhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1492b2d6a0ca6ca5e3b0d747b6810467



幼少期

アイゼンベルグは、1921年、ドイツのミュンヘンに生まれました。彼が17歳の時、ナチ党の台頭があったので、やむを得ずドイツを離れることになりました。

父のデイヴィッド・アイゼンバーグ(David Eisenberg)はワルシャワ出身のユダヤ人。母のゾフィー(Sophie)はクラカウ(Krakow)の生まれ。

ちなみに、シャウルは六人兄弟の五番目で、兄のラファエル(Raphael)はラビになっています。( Aron Shai,China and Israel : Chinese,Jews; Beijing, Jerusalem, Boston : Academic Study Press, 2019, p.108.)
 
 


上海への移住

1938年の迫害、「水晶の夜(Kristallnacht)」が起こった後、アイゼンベルグ家はポーランド沿いの国境へと向かい、そこから安全なスイスへと逃れました。

異国の地に辿り着いたシャウルは、この地でリンゴ屋台を曳きながら10日ほど働きますが、彼らはヨーロッパに留まらず、無国籍のユダヤ人が群れる上海へ移住。

この国際都市には1933年から1941年にかけて、約3万人のユダヤ難民が押し寄せ、上海の一画には「無国籍難民限定地区(Restricted Sector for Stateless Refugees)」というゲットーまで出現していたのです。
 
ユダヤ人は、ヨーロッパ人というアイデンティティを持っていて、どんなに嫌われても片思いのヨーロッパ人と一緒に暮らしたがります。

それゆえに、「難民」となっても、新天地や定住先は歐米諸国ばかり。支那人ばかりの上海とか、満洲族が混在するハルピンとかハバロフスクに暮らそうとは思いませんでした。



日本への移住

どうにかして、オーストラリアや北米に移住しようと考えます。シャウル・アイゼンベルグも上海のゲットーが“好み”に合わず、支那大陸を棄て高級な日本へと渡ることにしました。 

しかし、ブルジョア階級のヨーロッパ人じゃないから、ユダヤ難民は優雅な在日生活とは行かず、シャウル青年は路上でカーペットを売りながら生計を立てるしかありませんでした。

これは東欧から北米に渡ったユダヤ移民と同じで、アメリカでもユダヤ人の行商人(peddler)は珍しくありませんでした。

単独で動き回るユダヤ商人は、ジョージアとかフロリダといった南部の都市、あるいはゴールド・ラッシュで沸くカルフォルニアへ赴き、外出を好まない白人女性の注文を取ったり、鉱山労働者を相手に生活雑貨を売り歩いていました。

そして、「よそ者」でしかない出稼人は、ある程度の銭を貯めると故郷の兄弟を呼び寄せ、家族経営の小売店などを始めたりします。

 
例えば、デニム・ジーンズ、すなわち鉱山労働者の作業着を売っていたリーヴァイ・シュトラウス(Levi Strauss)は、ドイツのバイエルンからやって来たユダヤ移民で、当初は織物製品の卸業者でありました。

もう一人有名なのは、証券業界の魁(さきがけ)たるヘンリー・リーマン(Henry Lehamn / Hayum Lehmann)で、彼もドイツからのユダヤ移民でした。

この異邦人はアラバマ州のモンゴメリーで雑貨店を開き、充分な貯金を手にすると、実家から弟のエマニュエル(Emanuel Lehman)を呼び寄せ、1847年に「リーマン商店(H. Lehman and Bro.)」を創業。

そして1850年頃になると、今度は末っ子のマイヤー(Mayer Lehman)が兄を頼ってアメリカに渡ってきます。

リーマン三兄弟は店の名前を「Lehman Brothers」と改めますが、彼らは最初から証券業者や金融業者になった訳ではなく、綿花の取引で生計を立てていました。


日本で商売をしていたアイゼンバーグは、路上でカーペットを売っていた時、在日オーストリア人のヘルマン・フロイデルシュペルガー(HermanFreudelspelger)と出会います。

ヘルマンはウィーンの藝術大学を出た美術家で、日本での滞在歴は20年にも及んでいました。彼は絵描きを生業にしていたそうで、華族や銀行家の肖像画を描いていたといいます。(Aron Shai, 上掲書 p.110.)

ヘルマンは茨城に住む日本人女性と結婚しますが、当初、夫人の両親は外人との縁組みに猛反対。

この二人には「ノブコ」という娘と「アリトモ」という息子が生まれ、フロイデルシュペルガー家では日本語が「公用語」となっていたそうです。


こうしてシャウル・アイゼンベルグは、日 本人の血を引く異民族の娘「ノブコ(Lea Nobuko Freudelsperger)」と結婚します。

結婚後、しばらくは東京で暮らしますが、米軍の空襲が激しくなり、彼らは長野県に疎開し、ここで終戦を迎えました。

二人は焼け野原になった東京に戻り、御徒町で小さな家を借りると、一から生活を立て直そうとしました。 一家の大黒柱のシャウルは占領軍の将校に近づき、様々な物資を調達する仲介業を始めました。


そして1950年代になると一端の実業家になり、「ユダヤ・コミュニティー・センター(Jewish Community Center)」を設立するまでになります。

東京の渋谷にある「日本ユダヤ教団」の建物は彼の寄贈。ここは高級住宅地でもある広尾の三丁目にあり、すぐ側には東京女学院があります。

坂道を挟んだ反対側に目を向けると、一般住宅のような外観をもつシナゴーグがあり、日本赤十字社医療センター前の信号から、國學院大學の渋谷キャンパスに向かう途中にあります。

ただし、ダビデの星が刻印されたプレートだけしか見えないので、近所の住民でも気がつかない人がいるかも知れません。

これとは別になりますが、横浜墓地にあるユダヤ人区域もアイゼンベルグの寄贈です。





世界進出

アイセンベルグのビジネスは日本だけに留まりませんでした。彼韓国にも進出して工場を造ったし、東南アジアでは貿易に加えて、不動産、電気通信、銀行、エネルギー産業などに手を伸ばしました。

さらに、アイゼンベルグは中国へと進出し、共産化された独裁国で複数の工場を所有していました。

日本でGHQとの人脈を築いていたアイゼンベルグは、軍需物資の商売に関わり、戦車や軍用車輌の部品や廃棄された金属、主に鉄屑を購入して、それを日本政府に売りつけていたました。
  
敗戦後の日本ではバケツを持った在日朝鮮人がウロウロしていて、彼らは鉄屑を集めて日銭を稼いでいました。朝鮮人労働者が集まる大阪などでは、朝鮮人のオッサンや子供が、焼け跡の工場にいって銅や真鍮などの金属片を拾っていて、ちょっと頭のいい者は磁石を使って路上に落ちている釘などを集めていたといいます。

さらに、朝鮮戦争が始まると金属需要が増えたので、結構、朝鮮人のスクラップ屋が儲けたようです。




武器商人への変貌

やがてアイゼンバーグは外国貿易のブローカーやイスラエルの武器商人へと変貌します。

1979年2月、彼はボーイング707機に搭乗し、イスラエルのベングリオン空港から旅立つと、一路支那へ向かって北京の空港に降りました。アイゼンベルグのプライベート・ジェット機には約20名の「外人集団」が乗っていたそうで、このグループにはモサドの副長 官で対外交渉役のデイヴィッド・キムヒ(David Kimchi)や国防省の役人が含まれていたといいます。

そして、この集団を率いていたのは、イスラエルの兵器会社である「IAI(Israel Aerospace Industries)」のCEOを務めるガブリエル・ギダー(Gabriel Gidor)でありました。
  
この極秘交渉には両国の切迫した事情が絡んでいたといいます。文化大革命で国内が滅茶苦茶になった中国は、軍の近代化に後れてしまい、何としても高度な軍事技術を習得する必要がありました。それゆえ、北京政府は先進国並みの兵器を求めていたのであります。一方、イスラエルも新たな顧客を求めていました。

イスラエルはパーレビ(パフラヴィー)国王時代のペルシア(「イラン」)と癒着し、軍事的貿易を行っていたのです。ところが、1979年、ペルシアでイスラム革命が起こってしまい、亡命していたホメイニ師がフランスから舞い戻ってきました。

当時、たまたま外国にいたパーレビ国王(Mohammad Reza Shar Pahlavi)は、動乱の祖国に帰ることができず、そのまま亡命する破目に。この政府転覆により、イスラエルは大口の顧客を失ってしまいました。という訳で、メナヘム・ベギン(MenachemBegin)首相を始めとするイスラエルの首脳部は、ペルシアに代わる貿易相手を探していたのです。


密航に同行したイスラエルのビジネスマン達は、事前にベギン首相とエゼル・ワイズマン(Ezer Weizman)国防大臣の了解を取りつけ、様々な武器を北京政府に提示していたといいます。本格的な武器の供与は1981年から始まったそうです。

後に、第7代目の大統領になるワイズマン大臣は、初代大統領に就任したハイム・ワイズマン(Chaim Weizmann)の従兄弟です。

ハイムはロシア帝国領だったベラルーシの生まれでありましたが、化学を専攻して博士号を取得すると、スイスのジュネーヴ大学で教鞭を執りmす。その後、英国に渡ってマンチェスター大学の講師になり、1910年に英国籍を取得しています。この書類手続きを手助けしたのが、後に首相となるウィンストン・チャーチルでした。

 
マーバラ公爵の嫡男であるウィンストンは、本当に驚くほどのユダヤ贔屓で、当時のイギリス貴族が眉を顰めたくらいユダヤ人と親密でした。

浪費家のチャーチルはいつも金欠で、ユダの金貨に目がありませんでした。 彼はイギリス兵を犠牲にしてもドイツのユダヤ人を救いたかった売国奴です。

日本の知識人が描く「英雄伝」なんかは真っ赤な嘘であります。(ユダヤ人歴史家であるマーティン・ギルバート(Martin Gilbert)の著書『Churchill and the Jews』)
 
 
新たな顧客を摑んだイスラエルは、中国との通商を盛んにし、1992年の貿易額は1億ドルにも達していました。さらに、この商売が20年続くと、80億ドルの貿易額に跳ね上がっていたといいます。

イスラエルは空中警戒システムの「EL / M-2075」、通称「ファルコン(Phalcon : Phased Array L-band Conformed Radar)」を中国に売り込もうと図りました。しかし、この取引が後の致命傷となります。


イスラエル製の「AWEC&C(Airborne Early Warning Command & Control)」システムは2億5千万ドルもする高額商品で、「IAI」の子会社である「エルタ電子産業(Elta Electronics Industries)」が造っていました。

イスラエルはボーイングに搭載するつもりでしたが、北京政府はロシア製の航空機「イリューシン(Ilyushin)を使っていたから、それに搭載したかったようであります。イスラエルの技術者は困ってしまいます。

そこで「IAI」の社長であるモシェ・ケレット(Moshe Keret)がモスクワに飛び、ボリス・エリツィンと話を付けたのですが、問題はアメリカにありました。
 
 
イツァク・ラビン首相や、後のエフード・バラク首相は、イスラエルの兵器を中国に販売したかったのですが、交渉相手が天安門事件をやらかした独裁政権なので、アメリカの左派がこれに噛みついてきたのです。

厄介なことに、イスラエルの武器供与に反対の声を上げたのは、「ミスター・ニューヨーク・タイムズ」と呼ばれた、あのユダヤ人コラムニスト、エイブラハム・マイケル・ローゼンタール(Abraham Michael Rosenthal)でありました。


ローゼンタールは元々イスラエル贔屓で、「イスラエルの政府が何であれ、イスラエルは私とユダヤ人のほぼ全て、さらに数多くのキリスト教徒にとって特別な存在である」と述べていました。

それなのに、愛すべきイスラエルは野蛮な支那に武器を渡そうとしているのです。ローゼンタールは憤懣遣る方ない。社会正義を掲げるユダヤ人によれば、この取引は「デモクラシーの灯籠」たるイスラエルを曇らせる背信行為であるといいます。

リベラル派のベテラン・コラムニストは、次のように不満を明らかにしました。
 
 
私は拳銃一丁でさえ支那に売るべきではない、と書いてきた。(A. M. Rosenthal, 'On My Mind : The Deadly Cargo',The New York Times, October 22, 1999.)
 
 

主流メディアが騒げば、当然ワシントンも騒然となります。 共和党の大物議員であったトレント・ロット(Trent Lott)上院議員は、他の共和党議員4名を従え、中国への売却を考え直すようバラク首相に懸念を伝えていました。

共和党の下院議員も同じように反対し、「外国事業・プロログラム下院歳出小委員会(House Appropriations Subcommittee on State, ForeignOperations and Related Programs)」の委員長を務めていたソニー・キャラハン(HerbertLeon “Sonny” Callahan)議員が猛反対。民衆党にも賛同者がいて、デイヴィッド・オーベイ(David Obey)下院議員も反対に廻っていたといいます。


キャラハン議員は「アメリカの対イスラエル支援金を激減させる法案を出すぞ !」と言い出します。ユダヤ人をパトロンに持つビル・クリントンは、これから28億ドルをプレゼントしようとする矢先だったから大慌てです。

せっかく摑んできた海外援助なのに、2億5千万ドルも減らされたのでは、イスラエルのお偉方に何をされるか分かりません。
しかし、なぜアメリカ国民が毎年毎年、何十億ドルもの大金をイスラエルに貢がねばならないのか?


こうした法案や反対議員の勢力を懸念したイスラエルは、アメリカの輿論を宥めようと図りました。 
早速、IAIのモシェ・ケレットがワシントンに駆けつけ、あれやこれやとロビー活動を行いましたが、思ったような成果は得られず、残念な結果を手にして帰国するしかありませんでした。

さすがに、強力なコネを持つイスラエルでも、今回の商売は失敗に終わり、兵器売却は「キャンセル」というhメになりました。確かに、イスラエル政府の落胆は当然で、20億ドルの契約が水の泡になったんだから、天を仰ぎたくなるじゃないですか。
 
 
イスラエルの対外政策はともかく、ブローカー役のアイゼンベルグは核兵器技術の輸出にも、一枚だけじゃなく何枚も噛んでいました。その一方で、彼は次々と新たな事業も興していました。





イスラエル コーポレーション

アイゼンベルグは「Israel Corporation」というイスラエル最大の持ち株会社を創設し、

その傘下には化学製品会社の「Israel Chemicals」、半導体や電子機器を製造する「Tower Semiconductor」、大手海運会社の「Zim Integrated Shipping Services」、エネルギー産業や投資ビジネスを各国で行う「Kenon Holdings」、石油精製を手掛ける石油化学会社の「Oil Refi neries, Ltd.」などがあります。
 
 
実は小生Renaissancejapanは、この「Tower Semiconductor」と関係は深く、毎月のようにイスラエルの政府機関、大学、企業を訪問していました。

Tower Jazz社は半導体ファブメーカーですが、2008年5月に、イスラエルのTower SemiconductorがアメリカのJazz semiconductor社を約6千900万ドル約3135億円))で買収して出来た会社です。

このTower semiconductor社を創設したのが、世界の名門大学の一つで、最近では、MITよりも上と評価されているイスラエル工科大学(テクニオン)のエレクトロニクス分野の教授かつ、IEEEフェローのProfessor Yale Nemirovskyというおばちゃんです。

女性でIEEEフェローは、そうなれるものではありません。 かなり優秀な先生です。 私はイスラエルで何度もお会いし、何度も技術談義をさせて頂きました。


この「Israel Corporation」は、ジュネーヴに本部をもつBCI(Banquedu Credit International)の創設者、ティボー・ローゼンバウム(Tibor Rosenbaum)とフランス・ロスチャイルド家のエドモン・ド・ロスチャイルド(Baron Edmond Adolph Maurice J.J. de Rothschild)が、2億ドルの資金を投じて創らせた会社であります。


ちなみに、このエドモン・ド・ロスチャイルドは、以前私のこのBlogで紹介したナディーヌ・ロスチャイルドの主人です。


エドモン・ド・ロスチャイルド男爵(Baron Edomon de Rothshild)



ナディーヌ・ロスチャイルド (Nadine Rothschild)

・ロスチャイルド財閥-17 ナディーヌ・ロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a67d598c7a507698b3cac13586d7313d

★WOMAN and TIME: baroness Nadine de Rothschild
https://www.youtube.com/watch?v=3wZ_aZfPZyM





BCIはスイスとイスラエルを結ぶ銀行で、経営者のローゼンバウムは「モサド(イスラエル諜報機関)」のエージェントでありました。
(Douglas Valentine,The Strength of the Wolf : The Secret History of America's War on Drugs, London : Verso, 2004, p. 373.)

この裏稼業が判れば、どうしてローゼバーグがCIAの長官になったジェイムズ・アングルトン(James Angleton)と親しかったのかが理解できます。




シャウル・アイゼンベルグのイスラエル最大の個人邸宅「Beit Eisenberg」(Ariel David, 'Israeli Showplace Blends East and West',InternationalHerald Tribune
, September 6, 2013 )


極東の日本で一介の行商人から身を起こし、心の祖国に尽くして、免税特権を付与されるほどの大富豪になったんだから本当に凄いことです。

彼は「Beit Eisenberg」という屋敷まで建てていました。これはイスラエル最大の個人邸宅であるといいます。
(Ariel David, 'Israeli Showplace Blends East and West',InternationalHerald Tribune, September 6, 2013 )
 
 


シャウル・アイゼンベルグのイスラエル最大の個人邸宅
「Beit Eisenberg」(Ariel David, 'Israeli Showplace Blends East and West',InternationalHerald Tribune, September 6, 2013 )


極東の日本で一介の行商人から身を起こし、心の祖国に尽くして、免税特権を付与されるほどの大富豪になったイスラエル・コーポレーションの総帥、シャウル・アイゼンベルグは、50社ほどの株を保有し、約30ヶ国でビジネスを展開していました。

しかしながら、1997年3月27日、旅先の中華人民共和国 北京にて息を引き取りました。シャウル・アイゼンベルグ享年75歳




シャウル・アイゼンベルグの墓


。彼は日系人の妻ノブコとの間に五人の娘エステル(Esther)、エルフリーダ(Elfrida)、リズ(Liz)、エディス(Edith)、エミー(Emily)、および一人息子のエルウィン(Erwin)をもうけています。

イヴァンカ・トランプと同じように、ノブコ夫人もシャウルとの結婚でユダヤ教に改宗したそうです。


ユダヤ教徒の誡律である「ハラハー(Halakhah)」では、母親の血筋で「ユダヤ人」と見なされますが、実際のところ、父親がユダヤ人であれば母親が異教徒であっても、その子供は「ユダヤ人」となる。

つまり、西欧人や日本の知識人がどんな理屈を並べようとも、片方の親が「ユダヤ人」なら、その息子や娘は信仰に関係なく「ユダヤ人」となるそうです。
 
 

裸一貫で巨大企業連合体を築いたシャウル・アイゼンバーグは、単なる国際ビジネスマンではありませんでした。この政商も熱心なシオニストで、イスラエルの青年運動(Betar)やイルグン(準軍事組織)にも関与していました。






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