プーチン氏訪中 それぞれの思惑「中距離ミサイル製造開始」発表の意図【5月15日(水)#報道1930】| TBS NEWS DIG
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シャープー6 千里から天理へhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/537c474a7326419e43459021da8b0b4e
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創業者・早川徳次が亡くなり、佐伯旭の院政
1970年一月一日、シャープ株式会社に社名変更しました。 社名変更の理由は二つあります。
一つは、半導体などエレクトロニクスの新分野で意欲的な活動を展開していくにふさわしい社名にしたいということです。
もう一つは、社名とブランド名を一本化して、国内だけでなく海外でも企業イメージを強力に浸透させたいという思いがありました。
社名から創業家の早川の名前が消えました。
1970年9月、76歳の徳次は会長に退き、53歳の佐伯が満を持して代表取締役社長になりました、
「マネされるものをつくれ」。
革新的な技術を生み出す文化をシャープに根付かせた創業者の徳次は1980年6月、86歳で亡くなりました。 松下電器産業の創業者松下幸之助が弔辞を述べました。
佐伯は1986年に取締役会長になり、わずか1年後の1987年に相談役に退きました。日本経済がバブルの絶頂期です。
佐伯が社長に就いてからの17年間が、シャープ大躍進の時代でした。
「佐伯の引き際はみごと」との称賛の声が上がりました。
しかし、実はそこからが、佐伯による長い院政の始まりでした。 佐伯が92歳で大往生するのは2010年。
院政は、その少し前の2008年まで続くのです。
佐伯は、経営陣を自分の隕石で固め、お世話になり、公私ともに育ててもらった早川家の縁者は遠ざけられました。
早川姓を名乗る徳次の義理の息子(住江の夫)や、その子供(徳次の孫)たちが要職に就くことはありませんでした。
早川家の関係者の中には、「佐伯旭に会社を周到に乗っ取られた」という人もいますが、「創業者に経営を任された」というのが佐伯側の言い分でしょう。
佐伯のしたたかな周到さ故に、早川家から佐伯家への権力の移行は、表向きには、お家騒動が起きることもなく静かに完了しました。
(関連情報)
・シャープ-1 創業者 早川徳次
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/18208c4d7876b9fcd0464ca596bb5b13
・シャープ-2 シャープペンシルの発明https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eef30031fbb6e4a3341eea462d24a044
・シャープー3 大阪に移転https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/04fceb8b99dcb258e2b1cb572df1eb04
・シャープー4 『中興の祖』佐伯旭(さえきあきら)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c96c2265e2ad0cdaca015d4db4006cd7
・シャープー5 経営権を掌握した佐伯旭https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5f2c43e6cb8a536dd142fe0d14bca760
・シャープー6 千里から天理へhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/537c474a7326419e43459021da8b0b4e
・シャープー7 創業者・早川徳次が亡くなり、佐伯旭の院政https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4395f73139d1d80596a4b78085a3d122