日本製鉄とUSスチールは経営統合をアピールする広告を米国の空港やバス停などに掲げた
(写真はワシントン・ダレス国際空港)
日本製鉄が米鉄鋼大手USスチールの買収計画を巡り、「場外戦」で挽回を図っている。
株主の賛同を得た買収計画は現在、米当局の審査待ちの状態が続く。一方で、米労働組合や競合の鉄鋼メーカーがネガティブな発言を繰り返しており、市場は買収成立に懐疑的になっている。
日鉄とUSスチールは競合メーカーを名指しで批判するなど異例の対応で場外戦での出遅れを取り戻し、買収成立への世論を醸成する。
「(日鉄による買収を巡り)当社や投資家、従業員、取引先を標的とした長期の誤報キャンペーンが続いており、情報を訂正する必要がある」。USスチールは21日、米鉄鋼大手のクリーブランド・クリフスが誤情報を流していると反論する書簡を発表した。
取締役会を通じて競合他社を名指しして批判するのは異例だ。
クリフスのローレンコ・ゴンカルベス最高経営責任者(CEO)は「労働者の支持なしに買収が成立することはあり得ない」と主張するなど、日鉄によるUSスチール買収に批判的な発言を繰り返してきた。
クリフスは日鉄より安い価格でUSスチールに買収を提案して断られた経緯がある。発言を続けるのは全米鉄鋼労働組合(USW)という後ろ盾があるためだ。
USWは金属や工業など幅広い産業の労働者が加入する。85万人のうち、USスチールの組合員は1万人。クリフスの組合員は鉱山会社を含めると1万4000人とUSスチールよりも多い。クリフスは「USWが当初からクリフスによる買収を支持してきた」とも主張している。
クリフスを名指しで批判するなど強い措置を取るのは、競合からの横やりや労組の反対という域を超え始めているからだ。買収では通常、労組が大きな影響力を持つことはない。
日鉄は労使紛争や訴訟リスクを覚悟すれば労組が反対しても買収は完了できる。株主総会での賛同を得た今、手続き上は対米外国投資委員会(CFIUS)など米当局の審査が通れば買収は成立する。
しかし、交渉を分析する関係者の1人は「USWの支持が取り付けられなければ、CFIUSの審査は進まない」と指摘する。日鉄幹部も「USWの問題は、もはや組合問題ではない」と明かす。
背景には11月の米大統領選がある。共和党の候補指名が確実なトランプ前大統領は買収計画に反対。バイデン大統領も慎重な発言を繰り返し政治問題へと発展している。
買収にはUSWが当初より反対しており、労組票が重要な票田になるなかで両氏とも労組の意向に反することは選挙結果にも影響を与えかねないとみるためだ。
日鉄はこれまで場外戦で劣勢を強いられてきた。労組やバイデン氏、トランプ氏の発言などを受けて市場では買収が不成立に終わるとの見方が強まっている。
日鉄のTOB(株式公開買い付け)価格は1株あたり55ドルを想定しており買収発表後は一時49ドルとなったが、現在は36ドルと発表前の水準に沈む。
劣勢挽回のため、米世論への訴えを強めている。
「より強靱(きょうじん)な米国がここでつくられる」。4月、米国の首都ワシントンの空港やバス停など至る所に日本製鉄とUSスチールによる合同広告が提示された。米議会の慎重論を意識し買収の利点をアピールする狙いだった。日鉄は岸田文雄首相の訪米やUSスチールの臨時株主総会が重なったタイミングも意識し、広告を活用したとみられる。
見解の発信はUSスチールのウェブサイトでも展開している。サイトを開くと両社のロゴと「BEST STEELMAKER」の文字が並び、顧客と投資家、地域、従業員などそれぞれのステークホルダー向けのページが設けられ買収計画の利点を解説している。
大統領選を控えて政治問題化していることを受け、政治への働きかけにも力を入れる。日鉄は2023年12月に米国でロビイストと契約。5月には共和党のトランプ陣営と近いロビイストとも新たに契約を結んだ。
4月に米上院議員が調査会社のリポートを根拠に日鉄の中国事業を安全保障上の問題だと声を上げると、日鉄はリポートには誤情報が含まれていると指摘した。調査会社のリポートは後日修正に追い込まれた。一連の対応にはロビイストが機能したとみられる。
交渉役の森高弘副会長兼副社長も現在訪米中だ。今回の訪米は「何かの前進を見込んでいるわけではない。前進させるための訪米だ」(日鉄幹部)といい、すぐに状況が好転するわけではないようだが、ペンシルベニア州の行政関係者やUSスチール拠点の従業員らを訪ねて、意見交換を進めている。一方、USWは日鉄との面談依頼を断っているとみられる。
近年は米シリコンバレーバンクがSNS(交流サイト)で拡散した情報により増資発表から2日後に破綻に追い込まれ他行にも影響が広がるなど、企業にとって情報との向き合い方がこれまで以上に難しくなっている。
日鉄は買収完了の時期を、当初の9月末までから12月末までに延期した。長丁場が確実になる中で、審査当局の判断に影響を与えかねない言説を看過せず、1つひとつ立場を明確にしていくことが買収成立に向けて重要になってくる。
(ニューヨーク=川上梓、大平祐嗣)
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日経記事2024.05.24より引用