シャープー5 経営権を掌握した佐伯旭https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5f2c43e6cb8a536dd142fe0d14bca760
からの続き
千里から天理へ
1970年は、佐伯旭にとって最大の決断のときでした。 奈良・天理市に総合開発センターを建設するか、大阪・吹田市で開かれる日本万国博覧会(大阪万博)へ出展するか、決めなければなりませんでした。
天理市の土地買収費用が15億円、大阪万博への出展費用も同じく15億円。 どちらかを選択しなければならなかったのです。
大阪万博は、戦後、高度成長を成し遂げ、米国に次ぐ経済大国となった日本を象徴する一大イベントです。
1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業、研究者、建築家、芸術家が総動員されました。
岡本太郎が制作した『太陽の塔』は大阪万博のシンボルとなりました。 万博誘致は関西経済界あげての取り組みであり、シャープもその一翼を担っていました。
一方、シャープの技術陣は、半導体事業への進出を検討していました。 1960年半ばから、シャープはカシオ計算機と激しい『電卓競争』を戦っていましたが、自前の半導体工場を持たないシャープは、心臓部分の半導体は自分たちで回路を設計し、外部の半導体メーカーに生産を委託していました。
競争力を高めるためにも、自前の半導体を持ちたいと技術陣は佐伯に切望しました。
当時のシャープには、万博への出展と半導体開発を同時に進めるだけの企業体力はありませんでした。
虎の子の15億円をどちらに使うか、決めなければなりません。 役員の意見は二つに割れました。
万博推進派は、「半導体はものになるかどうかわからない。 大阪万博は、シャープの認知度を世界的に高めるためのまたとない機会。 出展しなければ、関西経済界から総スカンを食らうことなる」と主張しました。
半導体推進派は、「たった半年で撤去する万博パビリオンに15億円も投資するのは馬鹿げている。 半導体工場を建設することで、シャープはただの家電メーカーから総合エレクトロニクスメーカーに脱皮できるチャンス」と応酬しました。
社長代行の佐伯はこの案件を役員会で多数決を決めることをしませんでした。 創業者である当時社長の早川徳次の意見を聞き、佐伯自身の意見を述べて、役員の意見をまとめるという手法を取りました。
佐伯は、「貴重な資金は、長期的な利用が可能な施設に振り向ける方が経営にとって意義がある」と述べました。
電卓は競合他社が相次いで参入してきて収益が悪化している。巻き返しを図るには、キーデバイスである半導体の技術得お強化するしかないと判断しました。
1970年、シャープは奈良県・天理市に総合開発センターを建設しました。 もともとは東大寺が所有していた由緒ある土地です。
LSIの工場と中央研究所、人材教育センターを併設しました。 土地買収を含めた総工費は75億円。 当時のシャープの資本金が105億円です。
まさに、社運を賭けた投資となりました。 佐伯は、大阪吹田市の千里丘陵で開催される大阪万博への出展は断念して、奈良市の天理総合開発センターへの投資を決断しました。
この時の佐伯の英断は『千里から天理へ』と呼ばれ、長く語り継がれることになります。千里から天理への決断は、ただの家電メーカーから、半導体を生産し、液晶や太陽電池を開発する総合エレクトロニクス企業に飛躍するスプリングボードとなったのです。
(関連情報)
・シャープ-1 創業者 早川徳次
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/18208c4d7876b9fcd0464ca596bb5b13
・シャープ-2 シャープペンシルの発明https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eef30031fbb6e4a3341eea462d24a044
・シャープー3 大阪に移転https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/04fceb8b99dcb258e2b1cb572df1eb04
・シャープー4 『中興の祖』佐伯旭(さえきあきら)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c96c2265e2ad0cdaca015d4db4006cd7
・シャープー5 経営権を掌握した佐伯旭https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5f2c43e6cb8a536dd142fe0d14bca760
・シャープー6 千里から天理へhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/537c474a7326419e43459021da8b0b4e