Nikkei Magazine 2023.09.23
サステナビリティー(持続可能性)は今やどの国のどの業界でも経営上の重要なテーマだ。ワインの世界も例外ではない。
実は、世界トップレベルの生産者や産地ほどサステナブルなワイン造りに熱心ということをご存じだろうか。
これを単に差異化のためのマーケティング戦略と片付けるのは早計だ。サステナビリティー重視の背景にはもっと深い理由がある。
ブドウ畑の耕作はトラクターでなく馬で
ワイン愛好家、垂涎(すいぜん)の的「ロマネ・コンティ」。フランス・ブルゴーニュ地方のヴォーヌ・ロマネ村にある同名の特級畑のブドウから造られるこの希少な赤ワインが1本100万円をくだらないことは、愛好家なら誰でも知るところだ。
しかし、ロマネ・コンティが以前からサステナブルなワインであることは意外と知られていない。
サステナブルなワインとは、一般に自然環境や生態系に配慮した手法で造られたワインを指す。具体的には農薬や化学肥料をまったく、あるいは極力使わずに育てたブドウから造られたワインを言う場合が多い。
栽培や醸造の際に水や化石燃料の使用をできるだけ抑えたり、労働者に適正な対価を支払うよう努めたり、輸送の際に二酸化炭素(CO2)の排出量を減らす工夫をしたりすることなどを定義に含める場合もある。
農薬も化学肥料も使わない有機農法でブドウを栽培する生産者は、有機農業が世界的に注目を浴びる今でこそそれほど珍しくはなくなった。
しかし、ロマネ・コンティの生産者ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティは、それを少なくとも20年以上前から実践。さらに途中から、有機農法を深化させたバイオダイナミック農法に切り替えた。
バイオダイナミック農法は農薬や化学肥料を使わないだけでなく、「調合剤」と呼ぶ独特の有機肥料のようなものを畑にまいたり、月の満ち欠けで澱(おり)引きの日を決めたりするなど、より自然と共生する農法と考えられている。
サステナブルなワイン造りをする生産者は、ブルゴーニュと並ぶ高級ワイン産地であるフランス・ボルドー地方でも増えている。
ボルドー五大シャトーの1つ「シャトー・ラトゥール」は、2015年に所有するすべての畑を有機農法に転換した。
並行してバイオダイナミック農法も導入。08年から、畑を耕作する際トラクターの代わりに馬を使っている。
馬を使うのは土を過度に踏み固めないようにするためと、公式サイトは説明している。
明らかにワイン飲まないZ世代に秋波?
ナパ・グリーン認証を得ている「ドミナス」
より今風のサステナビリティーに取り組むトップ生産者もいる。
南米チリの大手ワイナリー「コンチャ・イ・トロ」は21年、「Bコープ」認証を取得した。Bコープは米国の非営利組織が管理する国際的な認証制度で、自然環境への配慮や地域社会への貢献、従業員の福利厚生の重視など、高い倫理水準を企業に求めている。
認証を受けた企業は全世界で約7300社に達するが、ワイナリーで同認証を取得しているのは2桁に満たないという。
地域を挙げてサステナブルなワイン造りに取り組む高級ワイン産地も増えている。その1つが米カリフォルニア州のナパ・バレーだ。
ナパの業界団体「ナパ・バレー・ヴィントナーズ」は、サステナブルなブドウ栽培や醸造を実践する農家やワイナリーを認証する「ナパ・グリーン」制度を00年代前半にスタートさせた。
認証農家には、農薬の適正な使用や水資源の保全、CO2排出量の抑制、労働者の適切な待遇などを義務付けている。ワイナリーには、同じく二酸化炭素排出量や水の使用量の削減のほか、リサイクルを通じたごみの有効活用などを求めている。
ナパ・グリーンの公式サイトによると、これまでに、89のワイナリー、21の畑が認証を取得した。その中には、「オーパスワン」や「ドミナス」といった日本でも有名なナパのトップ生産者が含まれる。
イタリア・フランチャコルタのブドウ畑
ほかにも、フランスのシャンパーニュ地方やイタリアの高級スパークリングワイン産地フランチャコルタなど、地域ぐるみでサステナブルなワイン造りを推進する産地が増えている。
世界のトップ生産者たちがサステナビリティーに力を入れるのは、単に差異化やイメージアップのためだけではない。
そう指摘するのは、ワインの世界的権威マスター・オブ・ワインの資格を持つ大橋健一さんだ。先ごろ、サステナビリティーをテーマにしたセミナーで大橋さんはこんなことを言っていた。
「現在のワイン市場で中心となる消費層は男性だと40〜60代、女性は30〜50代で、その下のZ世代と呼ばれる層は上の世代より明らかにワインを飲まない。
このままではワインの消費量が減っていくのは確実で、それを食い止めるには、まず高品質のワインを造ること、そしてサステナビリティーに優れたワインを造ることが重要だ」
要は、環境問題に敏感な今の若い世代をワイン市場に引き込むためには、ワインが環境に配慮した商品であることをアピールしないといけない。
そうしないと、業界全体が沈没してしまうというわけだ。
ワインボトルが重いだけで門前払い
大橋さんによると、著名なワイン評論家の中には、ボトルが重いという理由だけで門前払いにし、中身のワインを評価しない人もいる。
ボトルが重いと、その分、輸送時のCO2排出量が増える。
シャンパーニュの業界団体「シャンパーニュ委員会」は10年、シャンパーニュに使われる標準的なボトルの重量を900グラムから835グラムに減らした。
ボトルの軽量化はワイン業界全体が取り組むべき課題の1つとなっている。
様々な種類の昆虫が生息する椀子ワイナリーの畑
トップ生産者にとってサステナブルなワイン造りは必ずしもマーケティング目的でないことは、ボトルを見れば明らかだ。一般に、有機農法やバイオダイナミック農法で造られたワインはボトルに認証マークを貼ってある。
しかし、トップ生産者の中には、ロマネ・コンティやラトゥール、シャンパーニュの「ルイ・ロデレール」のように、あえて認証マークを付けない生産者が多い。「
マーケティングのためにやっているわけではない」というトップ生産者の矜持(きょうじ)が感じられる。
サステナブルなワイン造りは環境に優しいだけでなく、ワインの味わいの向上につながるとの指摘もある。
ドイツの著名なワイン生産者「シュロス・フォルラーツ」は10年代後半から有機栽培に取り組み始め、22年ヴィンテージから有機認証付きのワインをリリースしている。
同ワイナリーで25年間、栽培・醸造にかかわってきたマネージングディレクターのロヴァルド・ヘップさんは「有機栽培に転換したら20%ほど収量が減ったが、その分、ブドウの香りの凝縮度が増した」と話す。
また、サステナブルなブドウ栽培では畑に様々な種類の被覆作物(カバークロップ)を植えることが多いが、そうすると「ブドウの木が水をめぐるカバークロップとの競争を避けようと土中深くに根を伸ばすため、多様なミネラルを吸収し、それが品質にも反映する」と指摘する。
こうした品質向上への期待もサステナブルなワイン造りへの取り組みが広がる理由の1つだ。

椀子ワイナリー
サステナブルなワイン造りの波は日本にも及び始めた。長野県上田市にあるシャトー・メルシャンの「椀子(まりこ)ワイナリー」は、国内外のワインコンクールで数々の受賞歴があるほか、英国の出版社が主催する「ワールド・ベスト・ヴィンヤード(ワイナリー)」に日本のワイナリーで唯一、4年連続選出されるなど、日本を代表するワイナリーだ。
その椀子ワイナリーが掲げるのが「地域との共生」「自然との共生」「未来との共生」だ。例えば、国の研究機関、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)と協力して、14年から毎年、生態系調査を実施。
これまでに絶滅危惧種を含む昆虫168種、植物289種を確認した。有機栽培にも取り組み始めている。シャトー・メルシャン・ゼネラル・マネージャーの小林弘憲さんは「椀子ワイナリーには海外からの視察者も多いが、『このトラクターはガソリンを使っているのか』などサステナビリティーに関する質問をよくぶつけられる」と話す。
日本のワイン市場は海外と比べてサステナビリティーへの意識が低いとされる。大橋さんは「海外の消費者や生産者はサステナビリティーに対する意識が非常に高い。
それを正しく認識し、自分たちを変えていかないと、日本のワイン市場はガラパゴス化してしまう」と警告する。
文:猪瀬聖(ワインジャーナリスト)
猪瀬聖
WSET認定Diploma(DipWSET)。日本ソムリエ協会認定シニアワインエキスパート/Sake Diploma。チーズプロフェッショナル協会認定チーズプロフェッショナル。
著書『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)。元日本経済新聞社ロサンゼルス支局長。