EF24-105mmF4L
嘉峪関市の見どころのもう一つは懸壁長城である。中国には観光地「懸壁長城」が二つあるという。一つは本物で、一つは偽者というものだ。だが、この表現は実はあまり正しくない。正確には「国が再建した長城」と「個人が私財を投じて再建した長城」である。俗に前者を本物といい後者を偽物というが、両方とも元々あった頂上を修復したものなので、どちらも本物といえる。前者の修復は1980年代。後者は2000年代に入ってのものだろう。この事実を私は迂闊にも帰国後に知った。私が登った長城は、俗に言う偽者、すなわち個人が私財を投じて再建したものである。嘉峪関と長城は、明の時代に建設されたものである。ウイグル、モンゴルの後継国家などの脅威から国土を防衛するべく作られたものである。
北京郊外にある万里の長城とは比較にならないほど小さいものだが、こうして遥か西側(ほぼ最西端に近い)ところまで長城を設置する執念というか、遊牧王朝に対する恐れというのは、尋常なものではないことがよく分かる。
クロアチア旅行記でも、切り立った山に這うように城壁が設置されていたが、ここでも同じような光景を目にすることが出来る。クロアチアの隣はハンガリーやブルガリアだが、やはりあのあたりも遊牧王朝の西側の勢力限界線であることを考えると、あれも地中海の勢力からの防衛というよりも遊牧民の西進を恐れて設置したと見るほうが正のではないか?という想像というか妄想が沸いてくる。このあたりは是非研究してみたいテーマではある。
長城から真北側の眺めは、見渡す限りの大草原である。ここから北に100キロほど行けば、そこは甘粛省と内モンゴル自治区の境目である。そこからさらに300キロメートルほど北に行けば、そこはもう中国・モンゴルの国境である。世界地図帳を見ると、この辺りは「黄土色」で塗られている荒涼とした大地を思わせるが、実際に来て見ると意外と所々に草原があるのである。なるほど、これをみれば確かに騎馬が展開するのに適した土地である。明もそうとう手を焼いたに違いない。
どこまでの続く長城。嘉峪関に繋がっている。
いよいよ嘉峪関市の観光名所「嘉峪関」に到着。
西域における主要な関所の一つ。現存する西域の関所の中で最も保存度が高い関所である
右側に見える壁が長城。これは先ほどの懸壁長城までずっと続いている。
嘉峪関の西側の門である。高い。壁も分厚い。堅固な門である
西域での長城ならびに関所の建築は「版築」という技術が使われている。
版築とは、土壁や建築の基礎部分を堅固に構築するために古代から用いられてきた工法である。
製造方法は以下のような手順で行う。
嘉峪関市の見どころのもう一つは懸壁長城である。中国には観光地「懸壁長城」が二つあるという。一つは本物で、一つは偽者というものだ。だが、この表現は実はあまり正しくない。正確には「国が再建した長城」と「個人が私財を投じて再建した長城」である。俗に前者を本物といい後者を偽物というが、両方とも元々あった頂上を修復したものなので、どちらも本物といえる。前者の修復は1980年代。後者は2000年代に入ってのものだろう。この事実を私は迂闊にも帰国後に知った。私が登った長城は、俗に言う偽者、すなわち個人が私財を投じて再建したものである。嘉峪関と長城は、明の時代に建設されたものである。ウイグル、モンゴルの後継国家などの脅威から国土を防衛するべく作られたものである。
北京郊外にある万里の長城とは比較にならないほど小さいものだが、こうして遥か西側(ほぼ最西端に近い)ところまで長城を設置する執念というか、遊牧王朝に対する恐れというのは、尋常なものではないことがよく分かる。
クロアチア旅行記でも、切り立った山に這うように城壁が設置されていたが、ここでも同じような光景を目にすることが出来る。クロアチアの隣はハンガリーやブルガリアだが、やはりあのあたりも遊牧王朝の西側の勢力限界線であることを考えると、あれも地中海の勢力からの防衛というよりも遊牧民の西進を恐れて設置したと見るほうが正のではないか?という想像というか妄想が沸いてくる。このあたりは是非研究してみたいテーマではある。
長城から真北側の眺めは、見渡す限りの大草原である。ここから北に100キロほど行けば、そこは甘粛省と内モンゴル自治区の境目である。そこからさらに300キロメートルほど北に行けば、そこはもう中国・モンゴルの国境である。世界地図帳を見ると、この辺りは「黄土色」で塗られている荒涼とした大地を思わせるが、実際に来て見ると意外と所々に草原があるのである。なるほど、これをみれば確かに騎馬が展開するのに適した土地である。明もそうとう手を焼いたに違いない。
どこまでの続く長城。嘉峪関に繋がっている。
いよいよ嘉峪関市の観光名所「嘉峪関」に到着。
西域における主要な関所の一つ。現存する西域の関所の中で最も保存度が高い関所である
右側に見える壁が長城。これは先ほどの懸壁長城までずっと続いている。
嘉峪関の西側の門である。高い。壁も分厚い。堅固な門である
西域での長城ならびに関所の建築は「版築」という技術が使われている。
版築とは、土壁や建築の基礎部分を堅固に構築するために古代から用いられてきた工法である。
製造方法は以下のような手順で行う。
- 版築を作る部分を決め、両側を板などで囲み枠を作る。板の大きさは長さが1.5m程度、高さは高くても10cmぐらいである。一回の高さは薄いほうが頑丈である。枠は横に支えになる柱を立てるなど、強い構造にする必要がある。
- 板で挟まれた間に土を入れる。より頑丈にするために土に小石や砂利、藁や粘土を混ぜることもある。
- たたき棒や"たこ"と呼ばれる道具で、入れた土を硬く突き固める。1.で両側の板を強い構造にする必要があるのは、このためである。
- 板の高さいっぱいまで突き固めたら、板の上に新しく板を継ぎ足すか、今の板を外し次の枠を作る。
以上wikipediaからの抜粋
つまり、両側に板を板で囲み、そこに土を流し込んで、突いて固めるという技法だ。子供が砂場で二枚の板を使って砂のお城の壁を作るのと同じようなやり方だ。ただ砂と違って、西域ではより粒子がきめ細かい黄土を使用する。きめ細かいので、しっかりとした壁に仕上がるワケである。この工法は安く仕上がるのが最大のメリットである。しかも、この土地は雨がほとんど降らないので長持ちする。そういえば、この技法は我が国の重要文化財でも用いられている。法隆寺の築地塀などがそれだ。特徴は、水平方向に線が入っている。板の境目に段差が出来るので、壁に線となって残るのである。古くは吉野ヶ里遺跡からも版築がみつかっている。秦の時代の長城は、版築で作られていた。
しかし、それにしてもこの壁の高さと厚さはすごい。いかに明の時代に作られた建物とはいえ、さすがは中国・・・いや大陸文化のすさまじさよ。城壁における我が国と防衛思想が違う。これはヨーロッパにおける城壁に通ずるものがある。
長城は遠くさらに北の方へ真っ直ぐ伸びている。遥か遠くに見える雪を湛えた山脈は、チーリエン山脈である。
嘉峪関の遠景。