怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

油壺の思い出

2014年02月28日 | 家族
台所の棚の上に並ぶ重そうなつぼは、単なる装飾品ではないとは予想していた。

年に一度、棚から下ろして洗うのだが、そのときに義母が明かしてくれた。これらの容器は豚の油を保存していたものなのだそう。

ラップフィルムが被せてあるのは内部が埃で汚れないようにするため。そういう目的には日本のラップフィルムがとても役立つ。容器にぴったり張り付くものね。

マーガリンなどの人造油脂が普通に普及したのはここドイツでも戦後しばらくしてからだそうだ。
それまで調理に使われていた油は豚を絞めたときに取れるものだけだったとか。豚や鶏などの家畜飼育は、貧しい家庭だとできなかったらしい。
「近所の人が『油を貸してください』ってよく来たものだ」と子供の頃の様子を思い出して話す義母。
今でこそ、ふんだんに、いや過剰なほど油脂まみれの料理を毎日毎回の食事に摂取しているドイツ人にそんな時代があったなんてにわかには信じがたい。
また、豚脂で作るパンケーキ(膨張剤を入れない平べったいもの)はとてもおいしかったそう。そう言いながら義母は「動物油より植物油のほうが健康的」と考え、ラードやバターより人造の怪しい油脂を好んで使う。
この集落にセントラルヒーティングが一般家庭に普及し始めたのは1960年代になってからだ。それまでは一つの家屋に暖房してある部屋は一部屋だけが多かったそう。娘時代の義母の寝室の壁は石造りだった。冬はその室内の壁に氷が張っていたそうだ。そうした過酷な生活の当時は、豚脂を摂取したところで、すぐに体温維持のエネルギーになっていたのだろう。
おいしい豚脂を我慢して怪しい油を使ったパンケーキを食べるのは、暖房設備の整った快適な屋内環境の代償だろうな。
この油壺は100年前くらいの品だそう。今も使っていないが、これからも使われる可能性はまったくなく、こうして飾って昔の貧しい生活を思い出させてくれるのだろう。って、その実体験を思い出すことができるのは義母だけなのだけれど!


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ここ数年義母が使っている油はアブラヤシが原料のもの。常温で固体なのよね・・・たぶん、私の胃腸にはとても負担が大きいと思う。時々「この油をあまり使わないでください」と懇願すると「これは身体にとってもいいんですよ」と強烈に切り返される。
遠くマレーシア(たぶん!)で育ったアブラヤシがここで義母に気に入られている。