いじめを題材にした小説は、これまでに何人もの作家や知識人たちが数多く書いてきている。きっと、書きやすいテーマ、というと語弊があるが、書きたい、書かなければ、書くべきである、そういった衝動に突き動かされやすいテーマなのだと思う。そこにはやはり、人間の度し難い精神の昏闇を否応なく浮かび上がらせることができるからだろう。が、しかし、その数多ある作品群の中に果たして「いじめ」という問題に解決を見出せるものがあるだろうか? 答えは、「NO」だ。もちろん、そうはいっても人の感じ方、捉え方は千差万別である。自分はこの本によって勇気をもたらされた、という人もいるだろうし、この本によって自らの行為に愚かさを覚えた、という者もあるかも知れない。それはそれで素晴らしいことではあるが、小説というものの本来の趣旨からは遠い。所詮、小説などは単なる物語に過ぎず、現実のそれに照らし合わせてもまったく意味のないことである。
ある小説の主人公は、いじめに打ち勝ち明るい明日を手にする。またある主人公は、いじめに耐え切れず自分を抹消することで永遠の安らぎを手にする。ある主人公は、悟りとも諦念ともつかない想いを抱え、これからの日陰の人生を選び歩いてゆく……。
いじめ小説に於いて、希望や救いや明るい未来というのは甚だ鼻白む。現実問題として、そんな生易しいものでははいからだ。リアルタイムでいじめられている者などからすれば尚のことそう思うであろう。では、死ぬか? 逃げるか? それらもやはり、末路としては小説に於いても現実に於いても理不尽すぎて受け入れ難い。詰まるところ、正しい落としどころや解決策など、ない。
だが、それでも、いじめについての本は書かれるし、読まれる。そこにはきっと、「人間の本質」が潜んでいるから。それを曝け出すことが、それを見出すことが、とても大事なことと思えるのだ。
さて、本書『ヘヴン』に於いてもご他聞に漏れず、リアリティーという観点からいけば、いささか疑問を覚えざるを得ないが、小説、物語、または寓話としては申し分はない。
読んでいる間中、そのせつなさに、遣る瀬無さに、何度も涙腺を潤ませた。読みやすさもまた、結構なもので、以前読んだ同作者の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』に於いての個性的な色は排除され(それはなんだか淋しくも思われたが)まっとうな文章で終始綴られており、テンポのよい展開と相まって読む手を止めさせぬ。
いじめの小説など、やはり読んでいると昏くて痛ましいものが多い。しかしその先にある、「光」もしくは「ヘヴン」を誰もが望んでやまないのであろう。
ある小説の主人公は、いじめに打ち勝ち明るい明日を手にする。またある主人公は、いじめに耐え切れず自分を抹消することで永遠の安らぎを手にする。ある主人公は、悟りとも諦念ともつかない想いを抱え、これからの日陰の人生を選び歩いてゆく……。
いじめ小説に於いて、希望や救いや明るい未来というのは甚だ鼻白む。現実問題として、そんな生易しいものでははいからだ。リアルタイムでいじめられている者などからすれば尚のことそう思うであろう。では、死ぬか? 逃げるか? それらもやはり、末路としては小説に於いても現実に於いても理不尽すぎて受け入れ難い。詰まるところ、正しい落としどころや解決策など、ない。
だが、それでも、いじめについての本は書かれるし、読まれる。そこにはきっと、「人間の本質」が潜んでいるから。それを曝け出すことが、それを見出すことが、とても大事なことと思えるのだ。
さて、本書『ヘヴン』に於いてもご他聞に漏れず、リアリティーという観点からいけば、いささか疑問を覚えざるを得ないが、小説、物語、または寓話としては申し分はない。
読んでいる間中、そのせつなさに、遣る瀬無さに、何度も涙腺を潤ませた。読みやすさもまた、結構なもので、以前読んだ同作者の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』に於いての個性的な色は排除され(それはなんだか淋しくも思われたが)まっとうな文章で終始綴られており、テンポのよい展開と相まって読む手を止めさせぬ。
いじめの小説など、やはり読んでいると昏くて痛ましいものが多い。しかしその先にある、「光」もしくは「ヘヴン」を誰もが望んでやまないのであろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます