無線のムに濁点

アマチュア無線・BCL・ユーティリィティー受信などなど デジタル絵日記

嗚呼、我が青春のRTTY

2019-08-25 07:34:19 | アマチュア無線

世のデータモードはすっかり FT8/FT4 に鞍替えされ、あっという間に、RTTYによる通常QSOが無くなりつつあります。そんな中、昨日からの SCC RTTY CHAMPIONSHIP をワッチして、もうなんちゅうか、懐かしさがこみあげてきて、「青春やなあ、銀河鉄道999やなああ」と一人涙しておりました。(相当、盛ってますが)

もしかして、もうこれが、最後のRTTY記事になるかもしれないです。

そもそも、当局がRTTYを始めたのは、大学生時代、齢20歳ぐらいの時、近所の大OMさんから、東野電機のシータ7000という機械を譲り受けたのがきっかけでした。

当時の写真が無いのが本当に残念なのですが、このマシンに中古屋さんで買ってきた白黒テレビ(当時のこういう機械はだいたいVHFの2CHか3CHにRFの信号が出ていました)につなぎ、緑色のセロハン紙を画面にはって、「グリーンディスプレイだ!」とか言いながら(本物は高くて高くてとても買えない)、右も左もわからず手探りでRTTYの運用を始めました。

当時は、RTTYにQRVしている局は超マレで、ひとたび波を出すと、次々に呼ばれたり、QSOのスケジュールの「ハガキ」が舞い込んだり、なかなかのものでしたが、送信すると、インターフェアで画面が乱れて、自分が何を送信しているのか見えない状態。結局は実験レベルで終わった(20万円近い機械を使って!)のでした。

月日は流れ、本格的にDXingに手を染めた1990年代は、下の写真のようなシステムで、DXハンティングとしてのRTTYの運用を開始。

落成検査を受けた FT-1021X 200W機、タスコのTNCにST-6タイプ(ST-6は当時、RTTYモデムの神だったと思います)のHM-101をつなぎ、100カントリーを目指したのでした。ただ、まだまだRTTYにQRVする局は少なく、そういう意味ではペディション時のパイルアップも、わりと楽勝でした。

そして、2000年代に入ってからは、MMTTYが主流になり、爆発的にRTTY人口が増加したという印象があります。

現在、当局は、データモードのDXCCが 331/340 とギリギリ・オナーロール組です。

(JAのデジタル・オナーロールは42局 2019/08/25現在)

このリストの各局は、青春RTTYなんだろうなと勝手に想像。そして、各局ともFT8/FT4に移行したんだろうなあと更に勝手に想像しています。(みなさん、相当な好き物・・・もとい・・・チャレンジャーでしょうから)

今や、デジタルDXCCは、FT8/FT4 の世界に突入。

ひと昔前まで、DXCCの難易度は、SSB < CW < RTTY でしたが、

今や、FT8 < SSB < CW という逆転現象が起きています。

というか、アパマンハムが多い日本では、FT8 < CW < SSB でしょうか。

 

とにもかくにも、我が青春のRTTYは、遠い彼方にどんどん遠ざかっている感じです。

コメント
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