こんにちは、ゆうこです
今は妊活より仕事をがんばりたい!と思っていた20代後半。
3年間過ごした新任校から新しい学校に移り、振られる仕事はなんでもやります!と燃えていました
比較的田舎の地域で、古い時代?の香り漂う学校で、
上から言われたことは絶対
教員は朝早くから夜遅くまで勤務すべし
地域のために働くべし
そんな雰囲気があり、おかしいとも思わずにそこにどっぷりつかっていた私は、新婚でありながら毎日7:10から学校の運動場を子どもたちと走り、夜は9時近くに退勤する毎日を送っていました。
地域やPTAの行事に、学校として学年やクラブの子どもを引率して参加したりすることも年に何回もあり、休日出勤も多かったです
でも、燃えていた自分はそのおかしさに気づかず、目の前にきた仕事に毎回全力で取り組んでいました。
新人だった自分も、同学年に配属された新人の面倒を見る立場になり、その後、学校をこえての仕事が舞い込んでくることも多くなりました。
1年生から6年生まですべての学年を2回経験し、3回目に入ったころ・・・。
3年がかりの大きな研究発表を終えた後、校長からよばれて
「違う教科でもう一回研究発表をお願い。今回と同じ3年がかりのやつ、あなたならできるからよろしく!」と言われたとき、
ハッとしました。
「この生活、私ががんばる限り、いつまでもきりがないんじゃないか???」 (気付くのが、遅い)
周りを見ると、同じ年代の女性の先生はほとんどおらず(もともと採用数が少ない上に、産休に入っている人が多いため)
20代の女性の先生方も、結婚しては1~2年ですぐ産休・育休に入っていく・・・。
本来その年代の人が受け持つはずだった学校の中の専門部長の役職や、校外の研修をもう何年も代わりに引き受けている自分・・・。
「あれ?なんだかこのままいったら、私ダメな気がする」
そんな思いを抱えながらも、もやもやしつつ日々暮らしていたある日。校長から呼び出しがありました。
「これは教育委員会の推薦ですでに決まっていることだから、断ることはできないと思ってね。隣の市に3年間の研修交流に出てもらいます。
一年目は見習いだけど、2年目から主任をやることになるから。これは実質昇進です。」
と言われました。
その時の気持ちは、
「ガーーーーーン」
若いとき、あんなに仕事をがんばりたい、仕事ができるようになりたいと思っていたけれど、
なんだか道を間違えた気がする
今、この仕事を受けたら、すぐ仕事でいっぱいいっぱいになる自分は
3年間はその仕事にかかりっきりになって、全く余裕のない生活を送るのが目に見えてる
夫も単身赴任が決まっている中で、このままいったら確実に子どもを持たない人生が待っている。
自分には、今が分かれ目だ、とはっきりわかりました。
年齢も多いし、確実に子どもが授かるわけじゃない、
でも、何もしなければこのまま子どもを持たない人生まっしぐら。
将来教員を続けていく上で、もしかしたらあの時この仕事受けてなければ、私も自分の子どもがいたのかもな~と思いながら
クラスの子と関わっていく人生で、私幸せか?
もしだめでも、とことんやるだけやったうえでのだめならあきらめもつくし、次の道にも進める!
私は今仕事より、子どもを優先したいんだ
校長室ですでに自分の心は決まっていましたが、「夫と相談させてください。」といったん持ち帰り、
次の日改めてお断りしました。
そして次の月から、今まで周りからすすめられても断固拒否してきた不妊治療に、取り組み始めたのでした。
こんにちは、ゆうこです
こんにちは、ゆうこです
梅雨前の貴重な晴れの日絶好のキャンプ日和です。
例年だったら、ひゃっほ~うとキャンプかピクニックに出かけているところですが、
赤ちゃん連れの今は、のんびり近場の自然散歩を楽しんでいます。
息子がもう少し大きくなったら、一緒にいろんなところにキャンプに行ったり、自然遊びをしたりしたいです
私は結婚は28歳とわりと早めだったのですが、ずーっと仕事と趣味に邁進していて、
結局子どもを授かったのは43歳の時。出産は44歳でした。
(自然妊娠ではなく、不妊治療をしました。)
私としては仕事への思いやしがらみもあり、このタイミングがベストだった、と思いますが、
女性一人ひとり、それぞれの思いや、環境や、生活、物事の動くタイミングもいろいろです。
子どもを持つことが正しいこととか、あたりまえのこととかではないし、(私も 外野から散々言われてきました)
自分で自分の人生にしっかり向き合って出した考えなら、子どもがいようがいまいが、どういう選択でも間違いはないと思っています。
ただ、どんな選択でも後悔はしない方がいいです。
妊活に限らず、すべてに当てはまると思いますが、
・自分の気持ちをしっかり底の底まで見つめきれていないとき
・周りの意見に流されているとき
・自分ではない誰か(尊敬する人や、あこがれている人など)の意見を自分の考えと錯覚してしまっているとき
こんな時にはたとえ行動を起こしても、本当の自分の気持ちとずれが出てしまい、
そのずれが後々大きなゆがみになって自分を苦しめるし、後悔や愚痴、まわりへの批判を招きやすいです。
でも、底の底までしっかり自分と向き合うと、その後の展開もめちゃくちゃ早いし、どんどん道も開けてきます。
前の記事で裕美ちゃんの妊活ストーリーがありましたが、
私は裕美ちゃんのようにすっぱりとキャリアより妊活!と割り切って動くことはできませんでした。
むしろ、仕事は大事。量も質も落としたくない。趣味もあきらめたくはない。と結構長い間じたばたしてきた方です
そんな自分が、どうして妊活に舵を切ったのか、どんなふうに妊活に取り組んだのか、また、妊娠中のトラブル(高齢出産だから?)
などなど振り返ってみたいと思います。
こんにちは❤裕美です🌹
思い出したのですが・・・・
同居の直前に、
オリゴスキャンで、重金属とミネラル検査もしていました
海外では、妊娠前に重金属チェックをして、
高ければ、キレーション(血液透析みたいなもので、血液をクリーンにする)するのが、
ブライダルチェック同様ある事を知っていたので、私もやってみました
結果は、蓄積量ありましたが、キレーションするほどではなかったです。
同時に、各種ミネラルの不足がわかったので、それを元に、食事に反映させました
他には、、、
妊活本もたくさん読みましたし、
ひかるちゃんがルリカフェで紹介していた助産師おばあちゃん先生の本も読んだりしていました
(キラキラママなんか目指さんでええでの言葉が印象的)
4.不妊治療の病院デビュー
夫との事前相談では、○○までのレベルはやって、それ以降はお金がかかるし、
まだ気持ち的にそこまでじゃないから、やらない、という判断でした。
子供ができなかったら、旅行をたくさんする人生にしよう
という話し合いをしていました
その病院の待合室には、20代前半くらいの若い女性から、
白髪の50歳近くに見える女性まで幅広い年代の女性がいました。
もちろん男性もいました。
選んだ病院の良いところは、最初に一通りの検査を行って、その後、プランニングでした
自費3万くらいする血液検査から、保険適応になる検査までいろいろ・・・
卵子の数のチェック、ホルモン、葉酸、ビタミンD、卵管検査などとにかく一通り。
俗にいう残っている卵子の数=AMH
の結果は、ドキドキでしたねーーー
「年齢よりも若い」と言われて、一安心した記憶があります
私が不妊治療の病院に行くときに心がけていたことは、
とにかく、オシャレしていくこと
若く見られたかったです(笑)
医師が、カルテの年齢見て、
私見て、
二度見するくらい?!
年齢不詳を狙いました(笑)
それは、
えええ?? 40歳?
見えないなー
34歳かと思ったなぁ、まだいけるなぁ。
なんて、思われたくて(笑)
なんで、見た目にこだわったかというと・・・
前に読んだ『38歳でも妊娠力が高まる!最強の妊活』本に、
「見た目の雰囲気が若い人は、高齢でも妊娠しやすい、逆に、老けて見えたり、やつれている人は、妊娠しづらい」
みたいなことが書いてありました
私は、39歳の時に、非常勤先の新卒事務員さんに、
「29歳くらいかと思ってました!」と言われたことがあったのですが・・・
でも、そういう言葉でも舞い上がらず、気を引き締め、
常に実年齢を意識して、喝を入れていました
(※自分に厳しすぎる人は、あまり実年齢を意識しすぎると、
病んでしまうかもしれませんが、私の場合はこのくらいの気合いがちょうどよかったです)
検査は、とにかくたくさんあって、生理周期に合わせてやるので、2~3か月位は、かかりました。
私は、あと1検査を除いてすべて行いました。
私は、子宮筋腫がここで問題になり、手術することに
(着床部位にあったので無いほうが確率が上がるとのこと)
夫は、残業続きで、精子検査が再検になったり・・・
うちでは、サプリ増量
まだまだ、道のりは遠いと思っていた矢先
3泊4日の手術の予約もしたのに
もうしばらく無理だと思っていました。
生理が来ない・・・・?
おかしい
でも、ぬか喜びさせてはいけないから、夫には黙っておこう・・・
今日も飲もうと言って、いつも通りお酒があるけど、
まあいいか、飲もう
いよいよ来ないし、
妊娠検査薬(数カ月前にすでに買ってあった)を使いたいけど、
明日は、真冬の中、山形に行くし、
ここで妊娠発覚したら、極寒で、雪の山形に行きたくなくなるから
仕事から帰ってからにしよう!と。
帰宅後に、検査したら、
見事、陽性でした
今は、違うだろうと思っていた時(基礎体温も排卵日も、まったく何も意識していなかった時)、
急におなかの中にやってきた感じで、2人して驚きました。
なので、この子は絶対いける、と思ってきている。
子宮筋腫とか別にいいと思ってきている、と感じました
(反対側に着床してくれました)
私たち夫婦は、不妊治療の病院に通っていましたが、
結局は、検査だけ受けて、
治療は何もせず、自然妊娠ということで、その病院を卒業することになりました
当時、私40歳、夫39歳で妊娠でした。
うちは、同い年なのですが、私が夏生まれで誕生日が早いので・・・
誕生日が遅く、少しでも30代でいられる夫がうらやましかった記憶があります
40歳以上のリスクの重みを妊娠してから味わう
出産しようと思っていた近くの小さい病院には、
40歳以上っていうだけで、お断りされたり、
総合病院で受けた妊婦のリスク判定では、
40歳以上になったら、いきなりプラス5点だし、
40歳以上ってことで、はじめから「帝王切開を希望されますか?」とか・・・
年齢の現実的なリスクを感じましたね
でも、私の妊娠中の経過は良好で、仕事もできたので、本当によかったです
でも1点、反省点としては、夏のアイスの食べ過ぎ!
あれはよくなかったです
体重増加は10㎏だったし、妊娠糖尿病にもなっていなかったのですが
空腹時血糖は、問題ないけれど、多分、食後の血糖上昇が大きかったのかもしれないです。
おなかの中の赤ちゃんが大きくなりすぎたので、分娩に時間がかかりました(3900g近かった)
「よく切らずに下から産めたね」と言われたほどです
糖質は控えたほうがいいです
でも食べたくなるんですよねーー
私は、専門が栄養学ということもあり、
いろいろな栄養療法を自ら試しましたが、
もしかすると、全部やらなくても妊娠したかもしれないですし、
仙台に来て、いつも通り常勤講師の仕事をしていても妊娠したかもしれないです。
でも、
栄養療法もしっかりやらず、仕事もいつも通りこなして、
妊娠しなかった時・・・
数年後に、
「仕切りなおそう」としても、
40歳手前で結婚・同居しているので、
もう時、すでに遅し・・・ になっている可能性も。
なので、やっぱり、自分がいろいろ、先を見越して動いたことは、
ベストだったのではないかなぁと感じています
おわり
こんにちは❤裕美です。
続きです。
弟(既婚・子供2人)からは、
「別居婚とかしてないで、妊活のために入籍後(5月)すぐに仙台に行ったほうがいい」
と言われましたが、
年度途中に講師をやめるのも無責任だし、
自分がしたいように、3月末まで勤めました
※職場の女性や弟など、アドバイスくれましたが、言われるうちが花だと思っていました、
40過ぎたらみんな言わなくなるだろうと(おそらく気を使って言えなくなる)
神奈川在住が、これでラストの年になることが予めわかっていたので、
つい、つい・・・・
いつもの仕事モードスイッチが入り(笑)
「ラスト仕事納め!!」
として、新しい非常勤講師の仕事も受けてしまい、
さらに、東京・某区の講演会講師も受けてしまい、
結局、仕事の量がピークになり
仕事の優先をしてしまいました
でも、結婚式後は、さすがにいつでも妊娠してもいいように・・・
「今、39歳で、妊活を優先させたくて、私はついつい仕事をたくさん詰め込みすぎるタイプなので、
次の講演会は別の方にお願いできないでしょうか?」
と担当者にお伝えしました
「妊活」が世の中にワードとして知れ渡って、
こんな感じで、仕事が断りやすくなったなぁと感じたのでした。
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その夏には、夫と一緒に、
宮崎旅行で、子宝安産で有名な「地蔵庵」にも泊まりました
↑ 体重が増えてきた頃なので、顔も腕も丸くなってきました
地蔵庵の管理人さんの男性が、
眉間にほくろがある方で、スキンヘッドだったので、
「きっと夜になると、あの方は、お地蔵さんになるんじゃないの? 壁に移った影がお地蔵さんだったり?!」
なんて噂していました笑
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別居婚中でも妊娠したらいいなーーーそしたら、40歳のうちに産める!
なんて期待しましたが、
これは叶いませんでした。
3.同居スタートしてからはかけ足で妊活
夫とは、よく話し合いをしていたので、トラブルやすれ違いはなく妊活に取り組めました
私は39~40歳になる一年だったので、とにかく超重要な一年だと感じ、
仙台で、常勤講師の仕事を始めるのはやめようと、決意していました。
仕事はいつでもできるけど、出産は、今しか無いと思いました。
なので、迷いはありませんでした。
むしろ、ここで常勤の仕事をがんばってやって子供が授からなかったら、一生後悔すると思いました。
夫の扶養範囲で働く程度に仕事を押さえたい、妊娠をとにかく優先させようと決めました
具体的にやっていたことは・・・
①夫の食事改善 サプリ+プロテインも開始
②私もサプリ+プロテイン開始
サプリは、iherbで購入したものを飲んでいました
③ピロリ菌除菌のためにオリーブエキスを飲用(その後、検査を受けに行っていないので除菌成功か不明・・・)
④私が両手ばね指になったのをきっかけに、ナイアシン不足が発覚
仙台でオーソモレキュラー病院を探して、自費3万円の血液検査を実施!
この時点でいろいろな栄養素が不足していることがわかりました
⑤友達にオラクルカードを引いてもらって、妊娠に必要なキーワードを教えてもらいました!
この時の結果は、「運動」でした
運動不足で、ヨガをお家でスタート
⑥専業主婦の期間が半年ありましたが、仕事を扶養の範囲内で再開しました
夫&実母から「あれだけ働いていた人だからーーー、仕事したらポッとできるんじゃないの?!」
みたいなことを言われていました。
これは的中で、仕事再開から3か月後に妊娠発覚でした
適度に好きなことはやったほうが絶対いい! 無理に抑えると逆によくないみたいです。
基礎体温計・排卵チェッカーなども使ってタイミングを合わせてみましたが、
私は妊娠しなかったですね
2人で「半年、自然妊娠しなかったら、不妊治療の病院に行こう!」と決めていたので、
検索して、
「ARTアート」がつく病院に行きました
なんで2つの病院ともにアートがつくのだろう??と思いつつ・・・
のちに知ることになりますが、ART=体外受精のこと
続く 次回でラスト
こんにちは❤裕美です。
続きです。
30代前半を自分の好きなことや
「仕事のキャリアップ優先」にしてきたので、
子供がいない人生があっても
しょうがないと
覚悟はしていましたが、
30代後半からは、
後悔しないよう、できる限りのことをやり尽くそう!!
とスイッチを入れ替え、
仕事のキャリアップ優先から、
結婚・出産優先モードに意識的に切り替えました
※女性は適齢期ありますよね・・・
この時期に何をするかが、その後の人生に影響あると私は思ったので。。
はじめの目標は、30代で産むでした
(※実際には、これは無理で次の目標、次の目標・・・と1歳ずつ目標の年が上がっていきました)
まず、精神的な負担を減らすために、
仕事は二の次で、
あまりレベルが高い仕事をしないよう、
「これくらいならできそう」という仕事を選んで転職しました
でも、やっぱり、上を目指したくなる性分で
男性性も強いため(笑)
時々、新しくチャレンジしたい仕事は、非常勤講師で行うなど、
自分のキャリア欲を満たしつつ、
でも第一は、結婚・出産を優先モードでいました
結論から言うと
本格的な体作りをはじめてから、
妊娠までは、合計4年間かかっていました。
スタートのきっかけは、この2つでした
①日本栄養士会の「次世代を担う女性の健康管理」の研修参加
☆妊娠前の女性の痩せの危険性について
【ポイント】BMI20以上が妊娠しやすい!!
②タイトル買いした「卵子の老化に負けない妊娠体質に変わる栄養セラピー」
1.夫と出会う前から妊活スタート
独身で、結婚相手がいない時からすでにスタートしました
でもスタートして、数か月後には、今の夫と出会っているので、
引き寄せたのかもしれません(笑)
①がりがりだった私は、まず、BMI20以上を目指すべく、食事量を増やして体重を増やしていきました
②胃内のピロリ菌が栄養不良を招くことを知ったので、検診で血液検査スクリーニングを依頼。
見事「陽性」反応が出たので、胃カメラ+除菌の抗生物質を内服
しかし、副作用を散々味わったのに除菌失敗に終わります
※ピロリは、いるほうがアレルギー抑えるなどの研究結果も出ているそうですが、
私は、胃痛もあったし、栄養不良、特にピロリ菌に鉄を消費されてしまうので、
除菌は必要だと判断しました。
③口腔内のアマルガム除去のため、銀歯をセラミックに交換
(胎児への重金属の影響を少なくしたかったので)
2.入籍してからやったこと(まだ鎌倉と仙台で別居中)
①藤川徳美先生の「すべての不調は自分で治せる」をきっかけにタンパク質を増加
最初は、胃がついてこなくて、何度も胃痛になりました
②もういい加減、オーソモレキュラーの病院で、しっかり血液検査をしてもらわないと!!と思って、
結婚式の2カ月前に、受診しました
受診の1か月前から、鉄が多い食材をよく食べるようにしていましたが
その時は、フェリチン44でした (60-80以上が妊娠しやすい)
紹介された病院のサプリが高価で・・・・
この時点では、本格的なサプリ療法は始めずに、結局、食事だけで管理していました。
※結果を早くだしたいなら、サプリを早く飲むべきでした
②婦人科に受診して子宮筋腫0.9cm発覚 38歳の時
生理痛や出血量に異常がなかったので、経過観察となりました。
※のちにこれが問題となります
③もう一度、ピロリ除菌に取り組みましたが、2次除菌も失敗でした
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母は、
「子供ができるかわからないからねぇー」なんてスタンスで、
私はそれは傷つかず、
逆に力が入らなくていいなと感じていました。
でも職場で、ある日
「それ言う?! ひどい一言?!」がありました
50代女性(37歳で出産、流産経験者)から、
「入籍おめでとう」からはじまって
「今、何歳??」
「38歳です」
「流産するよ~」
「????」
ご自身が、流産で辛い経験をされたので、
開口一番、上記の話をされました
私は、
「今、妊娠しやすい体作りをいろいろやっているんです」と前向きな返答をしました。
すると、「そっか、栄養学で専門分野だもんね」と明るくおわりましたが・・・
ひどい話じゃないですか???
つづく。
こんにちは❤裕美です🌹
周りの人には、高齢でもスムーズに自然妊娠してる!と思われがちですが、
実は、私の妊活ストーリーも長いです
昨年、出産して、少し今は落ち着いてきたので、振り返ろうと思います
ちなみに、
38歳で入籍
39歳で同居スタート
40歳で妊娠
41歳と約2カ月で出産
※40過ぎると、1か月にこだわっていました笑
1か月でも早く生んだほうがいいとか・・。
高齢出産に限らず、これから子供を産むことを考えている女性の参考になれば幸いです
私は、30歳で、常勤の仕事をやめて、大学院3年間(博士課程)へ行っているので、
その時点で
結婚はできるだろうけど(←彼氏がいなかろうが、これは変な自信がありました笑)
子供は、いつかほしいけれど・・・
いない人生かもしれないな
でも、それでも今やりたいことは、大学院だから、
もし、子供ができなくてもしょうがない、と覚悟を決めていました。
※自由に好きなようにやっている分、何かと「覚悟」は決めています。
自分の中で、腹くくって進む=責任を自分で取る
そして、次のステージ・・・
大学院を修了して、奈良の大学に勤めていた時に、
「どんな研究がやりたいか??」
ランチ時に、気軽に聞かれたので、
私も気軽に、
「妊娠しやすい食生活や生活習慣の研究をしてみたいですね」
と答えました。
すると、上司は、
「それは、今の君が興味があること(妊活に意識がいっている)」と
返されて、
自分では自覚していなくても、
そういう意識があるんだな、とは、薄ーく感じていました。
本当に、そろそろ!!!
本格的に!!!!!
身体づくりを!!!!
と、舵を切り始めたのは、
37歳になる少し前でした
(一般的には、すごく遅いです)
つづく
こんにちは❤ 裕美です🌹
子供を産んでから、特に感じていること・・・
完璧にできない!
全部できない!
回ってない!
そんな時、よく心の中で出てくる声が
「まぁ、いいか」
よく言えば、おおらか、悪く言えば、妥協ですが
まぁ、いいかとよく思っています
完璧にできない自分で、まぁいいか、にしています。
同時に、自分自身がこんなにも「お願い上手」になるとは思いませんでした(笑)
夫に、あれもこれもお願いしています
お願いするときの言葉は、
「~してもらえる??」
「~お願いします」
「~やっておいてーーー」
「これやって、その次にあれをお願い」
「~してほしいです」
「私は、これをやるから、○○をお願い、やっておいてー」
これらをたくさん使っています
1日、何回使っているんだろう?!というくらい沢山です。
男性には、具体的に指示したほうがわかりやすいそうです。
何かの本で読んだし、実際に夫もそう言います
上記のワードを使ってお願いして、喧嘩になることはまず無いです!
お願いしづらい人は、語尾に敬語を使ってみると、お願いしやすくなります
お試しください