私は農業に、ものすごいあこがれがある。
都会育ちだから現実を知らない、と言われれば、それまでだけど。
もし田舎特有の濃い人間関係さえなければ、農家になりたいところだ。
ただ、その濃さがなければ、農業はできないのだろう、と思うので、
今のところあきらめている。
今日、はじめて、植わっている状態の稲穂に触った。
というか、田んぼに入ったことがはじめてだ。
いいにおいだった。
思わず落ち穂を食べてしまった。
誤解を恐れずに書くと、農家のおばちゃんになりたかった。
私の想像する農家のおばちゃんは、こんな人。
自分の目の届く範囲で固まっている。
それを当然のこととして、お嫁に行って、子どもを産んで、
家とその周囲のすごく小さな社会を全世界として、井戸端会議をして暮らす。
実際の農家のおばちゃんが読んだら怒るかもしれないけど、こんなイメージ。
私は、都会で、わりと自由な感覚の両親に育てられたと思うけど、
いま、すごく疑問に思うことがある。
よく「自分の頭で考え、判断し、主体性をもって生きろ」と言われた。
そして、そうあろうと、とても努力して来た。
でも、考えれば考えるほど、「私」という主体なんてどこにもない。
自分の頭で考えて判断しているように思っても、
何かを模倣しているし、独創性なんてない。
すべて何かの焼き直し。
地球上には、これまでものすごい大量の人間がいたのだから、
そのすべてを集めたら、幸せも不幸も、オリジナリティなんてどこにも見つけられない。
実際、精神的な自由なんてどこにもないとすら思う。
それなら、目に見える範囲のことに、すべての愛情と感心を向けられる人生のほうが、
本当は幸せなのではないかと思う。
そして、それを体現しているのが、私の勝手なイメージでは農家のおばちゃん。
そこまで考えたところで、
私の場合は、この自分自身に対する嫌悪感がもう少し解消されないかぎり、
何もひらけないと、改めて思った。
都会育ちだから現実を知らない、と言われれば、それまでだけど。
もし田舎特有の濃い人間関係さえなければ、農家になりたいところだ。
ただ、その濃さがなければ、農業はできないのだろう、と思うので、
今のところあきらめている。
今日、はじめて、植わっている状態の稲穂に触った。
というか、田んぼに入ったことがはじめてだ。
いいにおいだった。
思わず落ち穂を食べてしまった。
誤解を恐れずに書くと、農家のおばちゃんになりたかった。
私の想像する農家のおばちゃんは、こんな人。
自分の目の届く範囲で固まっている。
それを当然のこととして、お嫁に行って、子どもを産んで、
家とその周囲のすごく小さな社会を全世界として、井戸端会議をして暮らす。
実際の農家のおばちゃんが読んだら怒るかもしれないけど、こんなイメージ。
私は、都会で、わりと自由な感覚の両親に育てられたと思うけど、
いま、すごく疑問に思うことがある。
よく「自分の頭で考え、判断し、主体性をもって生きろ」と言われた。
そして、そうあろうと、とても努力して来た。
でも、考えれば考えるほど、「私」という主体なんてどこにもない。
自分の頭で考えて判断しているように思っても、
何かを模倣しているし、独創性なんてない。
すべて何かの焼き直し。
地球上には、これまでものすごい大量の人間がいたのだから、
そのすべてを集めたら、幸せも不幸も、オリジナリティなんてどこにも見つけられない。
実際、精神的な自由なんてどこにもないとすら思う。
それなら、目に見える範囲のことに、すべての愛情と感心を向けられる人生のほうが、
本当は幸せなのではないかと思う。
そして、それを体現しているのが、私の勝手なイメージでは農家のおばちゃん。
そこまで考えたところで、
私の場合は、この自分自身に対する嫌悪感がもう少し解消されないかぎり、
何もひらけないと、改めて思った。