内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録、楊海英著、岩波書店刊
中国人にこそ読んでもらいたい一冊だ。
文化大革命は、漢民族の文化を破戒しただけではなく、
少数民族の土地においては、明らかに民族紛争であったことが、
生き延びたモンゴル人への貴重な取材で浮かび上がってくる。
いつも、ウイグルやチベットに比べ、なぜ内モンゴルでは、
独立運動があまり盛んではないのかと疑問に思っていた。
それは、すでにほとんどのモンゴル人エリートが、
中国共産党の中央からの指示によって、巧妙に殺されてしまったことによるのだと、
この本を読んで、すごくよくわかった。
もちろん現場が暴走して多くの悲劇を生んだ部分もあるだろう。
でも、その暴走を容認し、かえって奨励していたのは中央だ。
モンゴルは、北をソビエトやモンゴル人民共和国と接し、
中国共産党が政権を奪取した当時からすでに最前線の土地だった。
だから、より早く「民族団結」という漢人中心の漢人の都合による政策が、
推し進められていたんだ。
ずっと、周恩来は、素晴らしい指導者なのだと信じていたのだけど、
ここ数年、少数民族の本を読むと、どんどん憎らしくなってくる。
毛沢東は、口先で何かを約束することがあっても、
それは約束ではなくて相手を陥れる戦術にすぎず、すぐ反古にするような人、と思っていたから、
モンゴル人による自治をいったんは約束したのに守らなかった、と聞いても、幻滅しない。
でも、周恩来は、モンゴルに対しても、チベットに対しても、
漢民族の利益だけしか考えず、踏みつけたと思えるから、
それまでの名宰相というイメージと違う側面に、かなりぐらついている。
まあ、人にはいろいろな側面があるし、
会社でも、どこかが利益を出したら、どこかの利益が減ることがある。
Win-Winなんて、そうそう実現できるものではない。
だから、どちらも周恩来なのだろうとは思う。
そういったことも含め、文革の歴史など、
1949年に中国共産党が中国の支配を始めるようになった後の歴史を、
もっと中国国内で出版したり、討論できるようになるといいと思う。
そして、日本もかなり中国に気をつかっているけれど、
もっともっとマスコミは、真実を伝える努力をすべきだと思う。
そうしなければ、共産党の軍隊である人民解放軍の国軍化が進んでいることや、
日本海でのガス田問題など、日本人が冷静に物事を判断する術を得ることができない。
ましてやビジネスで中国に進出する人たちは日々、
大きな大きな中国の国民性という壁にぶちあたっているのだから、
その根底にある中国という国の直近の歴史を知らないと、
日本は情報不足でどんどん不利になる。
私が中国に興味をもち始めた小学生のころで、1980年代だった。
当時は、人民服を着て自転車に乗った人がたくさんいる国というイメージで、
かろうじてリアルタイムのニュースは、中国残留孤児の肉親探しくらい。
あとはNHKの人形劇三国志、西太后やラストエンペラーの映画、歴史の教科書が接点で、
中国と言ったら漢民族の国だと思っていた。
1992年に初めて中国に行ったとき、人民元札には4つの民族が刷り込まれていた。
「なるほど。民族団結は全国民のスローガンなんだ」と思ったことを覚えている。
その後、いつのまにかお札が変わって、毛沢東の顔だけになってしまい、
ビジュアル的にかなりガッカリしたのを覚えている。
はじめて少数民族が住む土地に行ったのは、1993年の北京留学中で、
内モンゴル自治区のフフホト郊外にあるモンゴルの草原だった。
それまで北京では、日本人だというだけで肩身のせまい思いをしていたので、
モンゴルの人たちが親切にしてくれて、とても感動した。
そのときモンゴル人が、あまり上手ではない中国語で、
むかしは自由に草原で放牧することができた。
干ばつになれば、外モンゴルのほうまで行くことができた。
でも、いまは、中国政府が移動をゆるしてくれないんだ、と語ってくれたのを覚えている。
それから私は中国のいろいろなところに旅行したけれど、
だんだんと、漢民族の土地は敬遠するようになり、少数民族が多く暮らす土地を放浪するようになった。
中国に行って、旅して、はじめて中国は他民族国家なのだと思った。
もしかしたら、上海に住んでいて上海から出たことがない上海人は、
自分たちが他民族国家なのだということに気づいていないかもしれない。
もしくは、少数民族なんて、劣った民族だから気にすることはない、と、
本気で思い込んでいるかもしれない。
そのくらい、沿岸部と少数民族の自治区は違う。
しかも、少数民族の自治区は、うまいこと隣接する漢民族多数の省と
土地を分割するように区分けされていて、少数民族が団結しづらいようになっている。
私が昔見たお札の「民族団結」は、「漢民族化」ということだったんだと、いまは思う。
昔から「中華思想」という言葉は聞くけれど、
なぜ都市部の漢民族は、あんなに少数民族をバカにするのだろう。
劣った人間だと決めつけるのだろう。
日本人にもアジアの人をバカにする人はいるから、これはしょうがないのだろうけど、
差別というものは、本当に、麻薬のようなものなんだなあ、と改めて思う。
中国人にこそ読んでもらいたい一冊だ。
文化大革命は、漢民族の文化を破戒しただけではなく、
少数民族の土地においては、明らかに民族紛争であったことが、
生き延びたモンゴル人への貴重な取材で浮かび上がってくる。
いつも、ウイグルやチベットに比べ、なぜ内モンゴルでは、
独立運動があまり盛んではないのかと疑問に思っていた。
それは、すでにほとんどのモンゴル人エリートが、
中国共産党の中央からの指示によって、巧妙に殺されてしまったことによるのだと、
この本を読んで、すごくよくわかった。
もちろん現場が暴走して多くの悲劇を生んだ部分もあるだろう。
でも、その暴走を容認し、かえって奨励していたのは中央だ。
モンゴルは、北をソビエトやモンゴル人民共和国と接し、
中国共産党が政権を奪取した当時からすでに最前線の土地だった。
だから、より早く「民族団結」という漢人中心の漢人の都合による政策が、
推し進められていたんだ。
ずっと、周恩来は、素晴らしい指導者なのだと信じていたのだけど、
ここ数年、少数民族の本を読むと、どんどん憎らしくなってくる。
毛沢東は、口先で何かを約束することがあっても、
それは約束ではなくて相手を陥れる戦術にすぎず、すぐ反古にするような人、と思っていたから、
モンゴル人による自治をいったんは約束したのに守らなかった、と聞いても、幻滅しない。
でも、周恩来は、モンゴルに対しても、チベットに対しても、
漢民族の利益だけしか考えず、踏みつけたと思えるから、
それまでの名宰相というイメージと違う側面に、かなりぐらついている。
まあ、人にはいろいろな側面があるし、
会社でも、どこかが利益を出したら、どこかの利益が減ることがある。
Win-Winなんて、そうそう実現できるものではない。
だから、どちらも周恩来なのだろうとは思う。
そういったことも含め、文革の歴史など、
1949年に中国共産党が中国の支配を始めるようになった後の歴史を、
もっと中国国内で出版したり、討論できるようになるといいと思う。
そして、日本もかなり中国に気をつかっているけれど、
もっともっとマスコミは、真実を伝える努力をすべきだと思う。
そうしなければ、共産党の軍隊である人民解放軍の国軍化が進んでいることや、
日本海でのガス田問題など、日本人が冷静に物事を判断する術を得ることができない。
ましてやビジネスで中国に進出する人たちは日々、
大きな大きな中国の国民性という壁にぶちあたっているのだから、
その根底にある中国という国の直近の歴史を知らないと、
日本は情報不足でどんどん不利になる。
私が中国に興味をもち始めた小学生のころで、1980年代だった。
当時は、人民服を着て自転車に乗った人がたくさんいる国というイメージで、
かろうじてリアルタイムのニュースは、中国残留孤児の肉親探しくらい。
あとはNHKの人形劇三国志、西太后やラストエンペラーの映画、歴史の教科書が接点で、
中国と言ったら漢民族の国だと思っていた。
1992年に初めて中国に行ったとき、人民元札には4つの民族が刷り込まれていた。
「なるほど。民族団結は全国民のスローガンなんだ」と思ったことを覚えている。
その後、いつのまにかお札が変わって、毛沢東の顔だけになってしまい、
ビジュアル的にかなりガッカリしたのを覚えている。
はじめて少数民族が住む土地に行ったのは、1993年の北京留学中で、
内モンゴル自治区のフフホト郊外にあるモンゴルの草原だった。
それまで北京では、日本人だというだけで肩身のせまい思いをしていたので、
モンゴルの人たちが親切にしてくれて、とても感動した。
そのときモンゴル人が、あまり上手ではない中国語で、
むかしは自由に草原で放牧することができた。
干ばつになれば、外モンゴルのほうまで行くことができた。
でも、いまは、中国政府が移動をゆるしてくれないんだ、と語ってくれたのを覚えている。
それから私は中国のいろいろなところに旅行したけれど、
だんだんと、漢民族の土地は敬遠するようになり、少数民族が多く暮らす土地を放浪するようになった。
中国に行って、旅して、はじめて中国は他民族国家なのだと思った。
もしかしたら、上海に住んでいて上海から出たことがない上海人は、
自分たちが他民族国家なのだということに気づいていないかもしれない。
もしくは、少数民族なんて、劣った民族だから気にすることはない、と、
本気で思い込んでいるかもしれない。
そのくらい、沿岸部と少数民族の自治区は違う。
しかも、少数民族の自治区は、うまいこと隣接する漢民族多数の省と
土地を分割するように区分けされていて、少数民族が団結しづらいようになっている。
私が昔見たお札の「民族団結」は、「漢民族化」ということだったんだと、いまは思う。
昔から「中華思想」という言葉は聞くけれど、
なぜ都市部の漢民族は、あんなに少数民族をバカにするのだろう。
劣った人間だと決めつけるのだろう。
日本人にもアジアの人をバカにする人はいるから、これはしょうがないのだろうけど、
差別というものは、本当に、麻薬のようなものなんだなあ、と改めて思う。