ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

15年ぶり

2010-06-29 16:36:23 | Weblog
約15年ぶりに、大学の恩師と電話で話した。
とても不思議なもので、先週、恩師の著書をたまたま手にとり、
ぱらぱらとめくって、元気にしていらっしゃるのか気になっていた。

週末に先生からお電話をいただき、メッセージを残してくださっていた。
久しぶりに過去の資料を整理していて、私の名前を見つけ、
懐かしくなって電話をしてくださったということだった。

中国で生まれ育ち、その後もう長く日本に住んでいらっしゃるので、
中国語だけでなく、日本語も私の話すものより美しい。
しかも、戦前の貴族の教育を受けた最後の世代の方だろうと思う。
お話をしていると、自然と敬ってしまうような気品と威厳がある。

私は小学生のときに、東京裁判における愛新覚羅溥儀さんの中国語を聞き、
「私は中国語を学ぼう」と直感した。
その後、大学で溥儀さんと同じ中国語を話す先生にめぐり会えたのは、
本当に運命だったのだと思う。

清朝の時代のいわゆる宮廷中国語を話す人は、いまの中国にほとんど残っていない。
言葉は変化するものだから、いいか悪いかの問題ではないけれど、
いま標準と言われているテレビ局のアナウンサーの発音や話し方は、
私が学びたかった中国語と、少しずれている。
すごく感覚的なことなので、上手く言えないけど、微妙に違う。
そして、中国の留学から帰ってきて先生と中国語で話したとき、
「ああ、くずれてしまった」と言われ、すごくショックだったのを覚えている。

いま中国で使っている中国語は、ざっくばらんで、使いやすくて馴染みやすい。
何もかしこまる必要はないし、それでいいと思う。
でも、あくまでも普段使いのような印象がある。
むかし、書き言葉を大切に育ててきた文化や教養が中国にはあった。
文革では、そういったものもすべて壊した。
私は外国人で無責任に意見が言えるからだけど、気品も失われたと思う。

私たちの世代は、貴族と接する距離感を生活上で知ることがないから、
先生とお付き合いするのが難しいと思う同級生も、もちろんいた。
そして、先生も誰に対してでも心を開くような方ではなかった。
でも、私はなぜか気に入っていただけたし、私も先生が好きだった。

約15年ぶりにお話しして、近いうちにお会いすることになった。
私がこれまでの社会人生活に一区切りをつけたこの段階で、
先生からお電話をいただくなんて、また、なんというタイミングだろう。

心の中にあるものを掘り起こしつつ進む。
その勇気が戻ってきた。

北海道4日目ー積丹半島から小樽、東京へ

2010-06-29 01:54:36 | Weblog
月曜日の北海道も暑かった。
積丹半島の岩内に泊まって、ニセコ経由で小樽へ。
ホテルはとてもよかったのだけど、お部屋のクーラーがほとんどきかなかった。
きっと北海道としては、予想外の暑さだったんだよな。

帰る道の途中、湿原の神仙沼に寄った。
水面に空が映って、とても美しかった。
トンボがたくさん遊んでいた。
 

きっと最初にこの沼を見つけた人は感動しただろうし、
神が住むところだと思っただろうけど、
よく湿原のなかを歩いてきたものだ。
足をとられて、そのまま飲み込まれてしまった人も
きっとたくさんいたのだろう。

ふと、雨が降った後のモンゴル高原を歩いたときの気持ちを思い出した。

ニセコではチーズ屋さんに寄った。
北海道は本当にソフトクリームが美味しい。
チーズケーキも買った。


夜の飛行機で東京へ戻る。
気温は北海道と東京、同じくらいだけど、
東京の方がずっと湿度が高い。

家に着くと、留守番電話がピカピカ光っていた。
なんと大学時代の恩師がメッセージを残してくれていた。
卒業してからご無沙汰しているので、もう15年ぶり。

最近、どうしていらっしゃるかと、とても気になっていた。
5年くらい前に、以前住んでいらしたお家を探していったのだけど、
すでに引っ越された後のようで、お家の一角が変わっていた。
その後、ずっと心のどこかで気になっていた。

新しいお電話番号を残してくださっていた。
明日、電話してみよう。