ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

『華厳経』『楞伽経』

2009-07-06 21:16:19 | Weblog
現代語訳大乗仏典、中村元著、東京書籍刊。

華厳といえば、東大寺の大仏さま。
はじめて大仏さまにお会いしたのは、小学4年生のとき。
天平文化に造詣が深かった母に連れられて、奈良へ旅行へ行った夏。

大仏さまの蓮華座のなかに創建当時からのこっているものがあって、
そこに書かれていた碑文を読んで解説してくれた。

遠くインドから伝わって来た仏教の思想。
荒れた日本海を渡り、中国まで学びにいった遣唐使たち。
東大寺の境内のベンチで、夕方、蝉の声を聞きながら母が語ってくれた物語は、
本当に生き生きとしていて、面白かった。

善財童子の求道、そして縁起。

今朝、仕事を始めようとした瞬間に、どうにも気持ちがなえる一言を聞いた。
この一言を聞くことになったのも、縁起なのか。
自分に責任があるとは思いたくなかったけれど、
やはり他人のせいばかりにもできなかった。
もし、私に、本当に後ろめたさがなければ、
きっとここまで心に重く響くことはなかっただろうし。

いろんな人に出会い、心の声を聞くこと。
オタクだと自覚している自分に対して、課したことのひとつ。

そうはいっても、ネガティブな感情に心を覆われた瞬間、
いったいどのようにすればいいというのか。

昼ごろ、違う人の一言で、
今朝からのことを「すべてよし」と思えるようになった。
なかば強引に気持ちを切り替えたわけだけど、
でも、これも縁起なのだろう。

「縁起」という言葉の使い方が違うかもしれないけど、
最近はイヤな気持ちになっても、少し経ったらうつっていくさ、
と思うことが出来るようになってきた・・・、かなあ。

富士山頂

2009-07-04 23:09:41 | Weblog
石原裕次郎さんの映画を、テレビでやっていた。

富士山頂でのレーダー観測が終わるというニュースは、
確か私が社会人になってすぐのころに聞いた。

周囲のおじさんたちが、富士山測候所がはじまった当初のことを
熱く語っていたのを思い出した。
でも、もしかしたら、実際のニュースではなくて、
裕次郎さんのこの映画の話だったのかもしれない。

今日はじめてこの映画を観たけれど、
いろいろな意味ですごい内容だと思った。

もちろん、測候所が出来るまでの苦難の道のり。
そのストーリーは胸をうつ。
でも、それ以上に映画としての表現力がすごい。

カメラのカットの切り替え。
いまの映画では、あり得ないほどに、
1コマ1コマが入念に計算され、組み立てられている。

いま、こんなカメラワークをしようとしたら、
「予算オーバーで~す。無理で~す」と言われてしまうだろう。
それに、CGで何とか、本物よりもそれっぽくしてしまう技もあるだろう。

でも、そんなことよりも、この映画ですごいのは、役者さんたち。
本当の演技というのは、その役者さんの視線の先、
そこに何が繰り広げられているのかを見る人が直観し、受け止めるような演技。

人にとって一番たいせつなのは、目。
CGの技術がいくら発達しても、当分は、この目の表現力を
人間並みにCGが表現できるようになるのは、製作の構造上、無理だろう。

なぜなら、そこには、役者という人間が介在しているから。
監督だけでも、脚本家だけでも、それはうみだせないから。

そんなことが心に浮かぶ映画だった。
すごい映画だった。月並みな表現だけれども、本当に面白かった。

知られざる傑作

2009-07-03 22:02:39 | Weblog
他五篇。バルザック著、水野亮訳、岩波文庫。

すべて19世紀の作品。初版は1928年。
読みながら、なんだか懐かしい気分になった。

よく小学生のころ図書館で借りて読んだ「世界の○○話」といった本は、
こんな雰囲気だったし、訳文のテンポもこんな感じだった。
そして、私は、そういった翻訳の本が好きだった。

なんとなくマンガを読んでいるかのような独特の印象。
そして、何ともいえない深い読後感がのこる。
人に対する洞察力と、共感する心の優しさが、
きっとこんな文章を生み出したのだろう。
もっともっと読みたくなった。

久しぶりに、本の続きが気になって、はやく家に帰りたくなった。
単に仕事に疲れていただけかもしれないけど。
でも、ふと違う世界に連れて行ってくれる読書と音楽。
本当に、日本の識字率が高いことと、
幼い頃から私にクラシックを聴かせてくれた両親に感謝だなあ。

今日は、少し職場の雰囲気がぎすぎすしていた。
集中して事務仕事をしたかったので、イヤホンでブラームスを聴きながら仕事をした。
こんなワガママがゆるされる職場にも、やはり感謝だな。

少し不便なのがいい

2009-07-02 21:52:13 | Weblog
Yahoo!動画でスポーツ中継をしていても、見ることができない。

なぜなら、私はmacを使っているから。

Yahoo!動画では、テレビで中継していない試合を流していたりするから、
たまに見たいと思うのだけど、残念。

まあ、少し不便なくらいのほうが、いろいろ工夫するし、
他の楽しみを探そうとするから、生活全体としては豊かになるかもしれない。
お金も、少しやりくりするくらいのほうが、
稼ぐ楽しみも、使う楽しみも増すというものなのだろう。

そもそも、日本はデフォルトでとても便利だし。

日本で不便だなあ、と思うところは、まず銀行の窓口が、夜閉まってしまうこと。
ネットでできることは増えたけど、窓口でしかできないことも残っているのだし、
予約制でもいいから開けてくれないかな、と思う。

以前、中国で、大都市の決まった支店は、夜も開いていて便利だなあと思たことがある。
そうそう。比較する対象がなければ、不便だなんてそんなに感じなかったのかも。

そのほか、便利そうで不便だなあと思うのは、東京の地下鉄。
乗り入れが多いし、路線が多すぎて、すでに使いこなせない。
特に地上に出た瞬間、まったく東西南北のどちらを向いているのかすらわからなくなる。
ぐるぐるした階段には、こまる。

もうちょっと不便でもいいから、スッキリしてるほうがいいのになあ、と思ったりする。

私が不便で気に入っているのは、鉛筆。
鉛筆だけは、ナイフで削るのが好き。鉛筆削りは使わない。
今日、一本鉛筆を使い終わった。

長さは1センチ。

補助軸を使って、最後まで私なりに丁寧に使った。
そして、うちには、母の代から受け継いでいる「ちびた鉛筆入れ」がある。
小さな瓶ながらもいっぱいになってきた。
今度、何本たまったか数えてみよう。

パスカルにおける人間の研究

2009-07-01 21:43:28 | Weblog
三木清著、岩波書店。

初版は1926年6月に出版された。
なんと大正十五年。私の祖母と同じ生年だ。

いま読んでも、まったく古く感じない。
大正、という時代はよくわからないけれど、
きっと海外渡航も限られていた時代にヨーロッパで学び、
西洋の考え方を学んだ三木さんという方は、きっと本当に真摯に向き合ったのだろう。

文章は、私たち日本人にもわかりやすいような、
仏教、儒教が根底にあるような言い回しもあり、単なる「欧米讃歌」ではない。
キリスト教という文化圏にあったパスカルという人物、その思想・哲学を
自分の頭と心に受け止め、自分の言葉として表現した文章だと思う。

こういった思想や哲学の本を読むとき、戦前の方たちの文章は本当に素晴らしいと思う。
何を日本にとりいれ、将来の日本の糧とすべきなのかを考え、
冷静に、日本人にもわかりやすいように文章としておこしている。
そこには「他者」「読者」がいる。
文章を書く人の、書いて発表できる人の自覚がある。

いま時代は変わって、いろいろと自由になったけれども、
たまに立ち止まって、こういった先人たちの文章にふれると心が洗われるような気がする。

パスカルは、父が若い頃に本をとおして出会い、感銘をうけた人物。
私は、今回はじめてパスカルに関する本を読んだけれども、なるほど、と思った。

父と話があった理由がなんとなくわかったように思う。
私は、どちらかというと仏教関連の本の方が読書量としては多いのだけど、
きっと入り口は違っても、心の中では同じようなことを考えていたんだ。
パスカルのいう「神」は、仏教の「法」に、「直観」は「悟り」に近いと思う。
仏教について、専門的に学んだわけではないから、なんとなくの感触だけど。
さて、次はいよいよ『パンセ』を読んでみるか。

今回、この本を読み、もし誤読さえしなければ、
選民思想や極度な排他主義には陥らないように思えたけれども、
いいように解釈されてしまう可能性も含んでいると思った。

そして、死については、引き延ばされた死の可能性とその恐怖を
乗り越えるだけの説得力は感じなかった。
時代が違うから、そして私はキリスト教徒ではないので仕方がない。
でも、自分なりにパスカルの言葉を受け止めたいと思った。

ひとつ魅力的なきっかけをもらった。