はげしい風雨と雷をともなった春の嵐。
さいわい夜明けころには雷と雨はおさまった。
風がつよいものの陽ざしはもどり、奇跡的な天気回復。
きょうは、父の記念ミサ。
父が他界して30周年の今年、母の希望で記念ミサをすることに。
諸事情から、きょうがその日となった。
父も母もクリスチャンなので、法事はかなりイレギュラー。
三回忌まではやった記憶があるけれど、その後は
たしか20周年のときに「感謝のミサ&パーティー」をしたくらい。
このときは特別にミサをお願いし、お世話になった方々をお招きした。
きょうの記念ミサの趣旨も、やはり追悼というより感謝だとか。
ただ今回はもう大袈裟なことはしない。
母と子どもたちだけで、こじんまり。
ミサも、片瀬教会のいつもの日曜ミサ。
1939年(昭和14年)にできたこの教会の聖堂は
京都・奈良の建築物を参考に設計した寺社風の建物。
十字架が軒下にあり、全国でも珍しいらしい。
ミサのあとは、車に分乗して墓参りへ。
行ってみると、墓地の出入り口ちかくは渋滞、
敷地内の路上には、どこまでものびる縦列駐車のくるま。
そういえばお彼岸だけど、まさかお彼岸のお墓がこんなに混むとは。
いつも空いている時期を狙って来ていたわたしたち。
「なにも30年記念をお彼岸にしなくてもよかったね」と微苦笑。
この日、母は、子どもたち5人に父の写真を1枚ずつ贈ってくれた。
もっぱら撮る側だった父の、写真はあまり残っていない。
「こんな顔だったっけ」という戸惑いと
懐かしい人に出会えたような嬉しさが入りまじる。
一日のおわりに父の写真をかざり、花をささげ、香を焚いてみた。
香は、去年の誕生祝いにいただいた沈香。
花は、この日のために母がえらんだ、
希望の黄をいくえにも内側に秘める薔薇。
30周年記念にあたり感慨ぶかいものでもあるかと思いきや、
実際にはやっぱり事件もおきるし、感慨にふける暇などなかった。
生きるということは、生やさしいことではないみたい。
子どものときは子どもなりに、大人になったら大人なりに。
人生に「あがり」はなく、きっと死の瞬間までこれがつづく。
それぞれの感情や事情をかかえ、わたしたちはしばしば互いに傷つけあう。
それでも関わりをあきらめずにいることを、「仲がよい」と呼ぶのかもしれない。
何歳になってもしんどいけれど、わたしたちはそれでも生きる。
いまこの瞬間を大切に、懸命に。
「もっと生きたい」と、つよくつよく願いながら、父は死んでいった。
喜びも哀しみも、苦しみも楽しみも、いさかいさえも、生きていればこそ。
生の実感をあじわい、感謝し、生ききりたい。
さいわい夜明けころには雷と雨はおさまった。
風がつよいものの陽ざしはもどり、奇跡的な天気回復。
きょうは、父の記念ミサ。
父が他界して30周年の今年、母の希望で記念ミサをすることに。
諸事情から、きょうがその日となった。
父も母もクリスチャンなので、法事はかなりイレギュラー。
三回忌まではやった記憶があるけれど、その後は
たしか20周年のときに「感謝のミサ&パーティー」をしたくらい。
このときは特別にミサをお願いし、お世話になった方々をお招きした。
きょうの記念ミサの趣旨も、やはり追悼というより感謝だとか。
ただ今回はもう大袈裟なことはしない。
母と子どもたちだけで、こじんまり。
ミサも、片瀬教会のいつもの日曜ミサ。
1939年(昭和14年)にできたこの教会の聖堂は
京都・奈良の建築物を参考に設計した寺社風の建物。
十字架が軒下にあり、全国でも珍しいらしい。
ミサのあとは、車に分乗して墓参りへ。
行ってみると、墓地の出入り口ちかくは渋滞、
敷地内の路上には、どこまでものびる縦列駐車のくるま。
そういえばお彼岸だけど、まさかお彼岸のお墓がこんなに混むとは。
いつも空いている時期を狙って来ていたわたしたち。
「なにも30年記念をお彼岸にしなくてもよかったね」と微苦笑。
この日、母は、子どもたち5人に父の写真を1枚ずつ贈ってくれた。
もっぱら撮る側だった父の、写真はあまり残っていない。
「こんな顔だったっけ」という戸惑いと
懐かしい人に出会えたような嬉しさが入りまじる。
一日のおわりに父の写真をかざり、花をささげ、香を焚いてみた。
香は、去年の誕生祝いにいただいた沈香。
花は、この日のために母がえらんだ、
希望の黄をいくえにも内側に秘める薔薇。
30周年記念にあたり感慨ぶかいものでもあるかと思いきや、
実際にはやっぱり事件もおきるし、感慨にふける暇などなかった。
生きるということは、生やさしいことではないみたい。
子どものときは子どもなりに、大人になったら大人なりに。
人生に「あがり」はなく、きっと死の瞬間までこれがつづく。
それぞれの感情や事情をかかえ、わたしたちはしばしば互いに傷つけあう。
それでも関わりをあきらめずにいることを、「仲がよい」と呼ぶのかもしれない。
何歳になってもしんどいけれど、わたしたちはそれでも生きる。
いまこの瞬間を大切に、懸命に。
「もっと生きたい」と、つよくつよく願いながら、父は死んでいった。
喜びも哀しみも、苦しみも楽しみも、いさかいさえも、生きていればこそ。
生の実感をあじわい、感謝し、生ききりたい。