とある場で出会った方が、東海村出身だった。
東海村といえば原子力の村。
規模からいえば「市」だけれど、国際的に
「トーカイムラ」で通じるからいまも「村」のままと聞く。
1999年9月30日に臨界事故があったのは
この東海村にある、核燃料を加工するJCOという会社だった。
「臨界」とは、核分裂反応が連鎖的におきつづけている状態。
社員や周辺住民666人が被爆したといわれ、
現場で臨界の青い光をみた社員2人(当時30代)は数ヵ月後に亡くなった。
現場の隣室で被ばくし入院した横川豊さん(当時50代)は
2005年9月30日の毎日新聞で、忘れてはいけない問いかけをしている:
「『原子力の電気』がいるかどうか、
国と事業者がリスクをすべて明らかにして住民と議論すべきだ」。
臨界事故から6年たった時点でのこと。
この事故に関してはいろんな本が書かれている。
すべてを読んだわけではないけれど、わたしが好きなのは
『みえない恐怖をこえて:村上達也東海村長の証言』
(聞き手・構成:箕川恒男、2002)。
こういう本が、那珂書房という地元の出版社から出ているのもイイ。
いつかご紹介したいと思っていたので、この機会に。
1999年の事故当時、就任一期目だった
村上達也・東海村長へのインタビューをもとに構成されている。
話し言葉で書かれていることもあってか、読みやすい。
目次は以下の通り。
1章 原子力への「夢」
2章 未曾有の事故が…
3章 風評被害の渦に
4章 再処理と原発解体
5章 サイエンス・フロンティアと海と
6章 住民参加の自活型へ
2章と4章と6章は小見出しもご紹介しよう。
*** *** ***
2章 未曾有の事故が……
出張途中、携帯で/屋内退避を指示
先に従業員避難で激怒/周辺住民避難を決断
つづいていた臨界状態/JCOへの無知
半径10キロに驚愕/困難だった情報入手
安全こそが大前提/救急現場の混乱
臨界停止に腐心/住民の健康を念頭に
4章 再処理と原発解体
宙に浮いた再開容認/村民の意思反映を
9つの条件提示/物がいえる村へ/転換点にさしかかる
課税基準の欠落/廃炉で巨大産廃が
保管問題は無策の付け/核廃棄物対策を優先に
共存共栄への疑念/安全モデル自治体を目標に
6章 住民参加の自活型へ
堅実な村財政を/地域循環のまちづくり
重点は福祉・教育・環境/合併志向見られず
地域協同の自治へ/住民の地区委員会充実
*** *** ***
この本には参考資料として
村上さんの以下の発言記録もついていて、興味ぶかい。
1)参議院経済産業委員会での発言全文(1999年6月1日)
2)衆議院科学技術委員会での発言全文(1999年11月24日)
3)OECD-NEAでの発言全文(2001年11月28日)
このように日本の議会で、さらには海外で、
あなたが訴えようとしたことは? と問われ、
村上さんは本文中で次のように答えている。
「日本は、原子力の科学も技術も持っている。
持ってはいるけれども、それを受け容れる社会システムを
準備してはいなかった、そのことをいってきました。
…
法が整備されているわけでもなければ、組織も体制もできていない。
それら住民をプロテクト(保護)しようというようなものもできていない。
そういうなかで原子力の国になっていった」(p221‐222)
臨界事故に関する証言としても、原子力の村からの声としても、
とても印象ぶかく、示唆にとみ、意義深い。
参議院での村上さんの発言も印象的。以下に少しご紹介。
*** *** *** ***
日本のエネルギー確保、COP3(国連地球温暖化防止京都会議)、
そして国民的合意形成と言いつつ、
どうして原子力の立地は過疎地をターゲットにするのか、
私はかねがね疑問に思っておりました。
……
原子力に限らず、一般産業廃棄物の処分場も山間地や離島の
過疎地立地の思想で進められていますが、地元の一致した反対に遭い
進展を見ていないと思います。私は当然のような気がいたします。
過疎地住民の心には高度成長の時代に地域社会を破壊されたとの思いが
あるでありましょうから、そこに都市部で生み出された不要なもの、
産廃物の捨て場にされるのではプライドが許さないのが住民の心だと
思っております。自治体の長としましては地域振興のための金は欲しい
わけでありますが、しかし過疎地住民からすれば、地域振興の金を出す
と言われても、それはべっ視であり差別であるとの思いが残っており、
受けいれることにはなっていないのではないかと思っております。…
*** *** *** ***
ぜひ、手にとって全文を読まれることをお勧めしたい。
東海村といえば原子力の村。
規模からいえば「市」だけれど、国際的に
「トーカイムラ」で通じるからいまも「村」のままと聞く。
1999年9月30日に臨界事故があったのは
この東海村にある、核燃料を加工するJCOという会社だった。
「臨界」とは、核分裂反応が連鎖的におきつづけている状態。
社員や周辺住民666人が被爆したといわれ、
現場で臨界の青い光をみた社員2人(当時30代)は数ヵ月後に亡くなった。
現場の隣室で被ばくし入院した横川豊さん(当時50代)は
2005年9月30日の毎日新聞で、忘れてはいけない問いかけをしている:
「『原子力の電気』がいるかどうか、
国と事業者がリスクをすべて明らかにして住民と議論すべきだ」。
臨界事故から6年たった時点でのこと。
この事故に関してはいろんな本が書かれている。
すべてを読んだわけではないけれど、わたしが好きなのは
『みえない恐怖をこえて:村上達也東海村長の証言』
(聞き手・構成:箕川恒男、2002)。
こういう本が、那珂書房という地元の出版社から出ているのもイイ。
いつかご紹介したいと思っていたので、この機会に。
1999年の事故当時、就任一期目だった
村上達也・東海村長へのインタビューをもとに構成されている。
話し言葉で書かれていることもあってか、読みやすい。
目次は以下の通り。
1章 原子力への「夢」
2章 未曾有の事故が…
3章 風評被害の渦に
4章 再処理と原発解体
5章 サイエンス・フロンティアと海と
6章 住民参加の自活型へ
2章と4章と6章は小見出しもご紹介しよう。
*** *** ***
2章 未曾有の事故が……
出張途中、携帯で/屋内退避を指示
先に従業員避難で激怒/周辺住民避難を決断
つづいていた臨界状態/JCOへの無知
半径10キロに驚愕/困難だった情報入手
安全こそが大前提/救急現場の混乱
臨界停止に腐心/住民の健康を念頭に
4章 再処理と原発解体
宙に浮いた再開容認/村民の意思反映を
9つの条件提示/物がいえる村へ/転換点にさしかかる
課税基準の欠落/廃炉で巨大産廃が
保管問題は無策の付け/核廃棄物対策を優先に
共存共栄への疑念/安全モデル自治体を目標に
6章 住民参加の自活型へ
堅実な村財政を/地域循環のまちづくり
重点は福祉・教育・環境/合併志向見られず
地域協同の自治へ/住民の地区委員会充実
*** *** ***
この本には参考資料として
村上さんの以下の発言記録もついていて、興味ぶかい。
1)参議院経済産業委員会での発言全文(1999年6月1日)
2)衆議院科学技術委員会での発言全文(1999年11月24日)
3)OECD-NEAでの発言全文(2001年11月28日)
このように日本の議会で、さらには海外で、
あなたが訴えようとしたことは? と問われ、
村上さんは本文中で次のように答えている。
「日本は、原子力の科学も技術も持っている。
持ってはいるけれども、それを受け容れる社会システムを
準備してはいなかった、そのことをいってきました。
…
法が整備されているわけでもなければ、組織も体制もできていない。
それら住民をプロテクト(保護)しようというようなものもできていない。
そういうなかで原子力の国になっていった」(p221‐222)
臨界事故に関する証言としても、原子力の村からの声としても、
とても印象ぶかく、示唆にとみ、意義深い。
参議院での村上さんの発言も印象的。以下に少しご紹介。
*** *** *** ***
日本のエネルギー確保、COP3(国連地球温暖化防止京都会議)、
そして国民的合意形成と言いつつ、
どうして原子力の立地は過疎地をターゲットにするのか、
私はかねがね疑問に思っておりました。
……
原子力に限らず、一般産業廃棄物の処分場も山間地や離島の
過疎地立地の思想で進められていますが、地元の一致した反対に遭い
進展を見ていないと思います。私は当然のような気がいたします。
過疎地住民の心には高度成長の時代に地域社会を破壊されたとの思いが
あるでありましょうから、そこに都市部で生み出された不要なもの、
産廃物の捨て場にされるのではプライドが許さないのが住民の心だと
思っております。自治体の長としましては地域振興のための金は欲しい
わけでありますが、しかし過疎地住民からすれば、地域振興の金を出す
と言われても、それはべっ視であり差別であるとの思いが残っており、
受けいれることにはなっていないのではないかと思っております。…
*** *** *** ***
ぜひ、手にとって全文を読まれることをお勧めしたい。