日本からやってきたわたしは
アフリカで、時刻をしることに難儀した。
わたしの腕時計は
かれこれもう何年も机の引きだしで眠っている。
「お金に困ったらこれを売れ」と、かつて
「兄」からもらったプレミア(?)つきのG-shockも、
父の形見のロンジンも、中学入学時にもらったシチズンも。
手のまわりにモノがあるとどうしても鬱陶しくて、
どんなに気にいった品でも結局はずしてしまうから。
これまで、それで不自由に感じたことはなかった。
日本にはあちこちに時計があるし、
いまなら携帯電話の時計機能で時を知ることもできる。
ただ、アフリカのケニアでは困ってしまった。
時計がないのだ。
ホテルのロビーにも、部屋にも、レストランにも。
キャパ1000人はあろうかという大きな教会にも、
首都の国際空港にも、行き交う人のための時計がいっさいない。
どうしたかというと、
ホテルの部屋では、フロントに電話してモーニングコールを頼んだ。
ロビーやレストランで人の姿をみたときには、
何をおいても時刻をたずねた。
空港への途中にたちよった教会では、
ときおり携帯電話をとりだして電源をいれ、日本時刻を確認してから
時差を計算してケニア時間を想定した。
なにしろ、のんびりできる道中ではなく、
飛行機に乗り遅れでもしたら一大事だったから。
(だったら時計もってこようよ…と、ココロの声)
空港では、
成田にはデジタルのセイコー時計が、
ドバイにはローレックスのアナログ時計があちこちにあり、
わたしに時刻をしらせてくれた。
ここケニアには、空港内のどこを見わたしても、
時を知らせてくれるはずの時計がみつからない。
困ったわたしは、店にはいるたびに店員さんに時刻をたずねた。
おかげで会話がふえ、思いがけず楽しみもふえた。
空港といえば、ケニアの空港のなかはうすぐらい。
天井には市松模様のように蛍光灯が配置されているけれど、
灯りがついているのはその三分の一か四分の一。
トイレへの廊下にいたっては全面的に消灯中。
売店だろうが免税店だろうが、どの店も電灯は消えたまま。
その光景を目にした入国時のわたしは、
「今日はお店は休みなんだな」とおもって通りすぎた。
ケニアで1日すごし出国する段にいたると、
「本当に休みなのかな」と、うすぐらいなかで目を凝らした。
果たせるかな、
うすぐらい店の入口のガラスの押戸には
「OPEN(開店中)」の札がさがっている。
奥の暗がりの先には店員の姿もみえた。
戸をあけて店にはいる。店員の声がかけられる。
やっぱり営業中なのだ。
もっとも、品物をえらぼうにも色がよくわからない。
そとの陽ざしが多くはいる窓の近くへいって
商品をみるといい、と店員がすすめてくれた。
支払いをした後にレシートをもらおうとすると
「電気がないからレジスターが使えない」という。
レジスターは置いてあるけれど、使われていないのだ。
手書きで十分だからと、手書きのレシートをもらってきた。
搭乗口で飛行機をまちながら、ぼんやりと思った。
ここは何処だっけ? ―-ナイロビ。
ナイロビって? ―-ケニアの首都。
ケニアって? ―-アフリカで会議などをやる際には
開催国となることが多い、アフリカの先端国と呼べそうな国。
…ふうん。
「豊か」なのか「貧しい」のか、かなり微妙。
わたしが味わった感覚は、いったい何だろう。
帰りの機中で、空港で買ったアフリカの雑誌をめくってみた。
わたしが一番気にいった記事は、これ。
(Africa Today March 2010, pp.25-26)
アフリカの現代アーティスト・Romuald Hazoumeさんの
作品が紹介されている。
Romuald Hazoumeさんは
1962年ベニンのPorto-Novo生まれ。
その手にかかると、プラスチック素材の廃物に
あたらしい息吹がふきこまれる。
モノ(のいのち)って、不思議だ。
アフリカで、時刻をしることに難儀した。
わたしの腕時計は
かれこれもう何年も机の引きだしで眠っている。
「お金に困ったらこれを売れ」と、かつて
「兄」からもらったプレミア(?)つきのG-shockも、
父の形見のロンジンも、中学入学時にもらったシチズンも。
手のまわりにモノがあるとどうしても鬱陶しくて、
どんなに気にいった品でも結局はずしてしまうから。
これまで、それで不自由に感じたことはなかった。
日本にはあちこちに時計があるし、
いまなら携帯電話の時計機能で時を知ることもできる。
ただ、アフリカのケニアでは困ってしまった。
時計がないのだ。
ホテルのロビーにも、部屋にも、レストランにも。
キャパ1000人はあろうかという大きな教会にも、
首都の国際空港にも、行き交う人のための時計がいっさいない。
どうしたかというと、
ホテルの部屋では、フロントに電話してモーニングコールを頼んだ。
ロビーやレストランで人の姿をみたときには、
何をおいても時刻をたずねた。
空港への途中にたちよった教会では、
ときおり携帯電話をとりだして電源をいれ、日本時刻を確認してから
時差を計算してケニア時間を想定した。
なにしろ、のんびりできる道中ではなく、
飛行機に乗り遅れでもしたら一大事だったから。
(だったら時計もってこようよ…と、ココロの声)
空港では、
成田にはデジタルのセイコー時計が、
ドバイにはローレックスのアナログ時計があちこちにあり、
わたしに時刻をしらせてくれた。
ここケニアには、空港内のどこを見わたしても、
時を知らせてくれるはずの時計がみつからない。
困ったわたしは、店にはいるたびに店員さんに時刻をたずねた。
おかげで会話がふえ、思いがけず楽しみもふえた。
空港といえば、ケニアの空港のなかはうすぐらい。
天井には市松模様のように蛍光灯が配置されているけれど、
灯りがついているのはその三分の一か四分の一。
トイレへの廊下にいたっては全面的に消灯中。
売店だろうが免税店だろうが、どの店も電灯は消えたまま。
その光景を目にした入国時のわたしは、
「今日はお店は休みなんだな」とおもって通りすぎた。
ケニアで1日すごし出国する段にいたると、
「本当に休みなのかな」と、うすぐらいなかで目を凝らした。
果たせるかな、
うすぐらい店の入口のガラスの押戸には
「OPEN(開店中)」の札がさがっている。
奥の暗がりの先には店員の姿もみえた。
戸をあけて店にはいる。店員の声がかけられる。
やっぱり営業中なのだ。
もっとも、品物をえらぼうにも色がよくわからない。
そとの陽ざしが多くはいる窓の近くへいって
商品をみるといい、と店員がすすめてくれた。
支払いをした後にレシートをもらおうとすると
「電気がないからレジスターが使えない」という。
レジスターは置いてあるけれど、使われていないのだ。
手書きで十分だからと、手書きのレシートをもらってきた。
搭乗口で飛行機をまちながら、ぼんやりと思った。
ここは何処だっけ? ―-ナイロビ。
ナイロビって? ―-ケニアの首都。
ケニアって? ―-アフリカで会議などをやる際には
開催国となることが多い、アフリカの先端国と呼べそうな国。
…ふうん。
「豊か」なのか「貧しい」のか、かなり微妙。
わたしが味わった感覚は、いったい何だろう。
帰りの機中で、空港で買ったアフリカの雑誌をめくってみた。
わたしが一番気にいった記事は、これ。
(Africa Today March 2010, pp.25-26)
アフリカの現代アーティスト・Romuald Hazoumeさんの
作品が紹介されている。
Romuald Hazoumeさんは
1962年ベニンのPorto-Novo生まれ。
その手にかかると、プラスチック素材の廃物に
あたらしい息吹がふきこまれる。
モノ(のいのち)って、不思議だ。