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湘南でゆるゆら暮らしココロ赴く先へガシガシ出かけるライター山秋真が更新。updated by Shin Yamaaki

本州の最北端・大間町から:奥本征雄さんのお話文字起こし

2015-03-26 23:18:51 | 大間原発計画

2014年12月25日に東京地裁で開かれた
「函館市大間原発建設差し止め裁判」第3回口頭弁論のあとの報告集会で
本州の最北端・大間町(青森県)にお住まいの
奥本征雄さんからのお話がありました。

その動画をこのブログでご紹介したところ(URLは以下)、
ご覧くださった方が、「文字起こしデータがあれば
音を出せない状況の方にも内容を知っていただくことができる」と、
このたび文字起こしをしてくださいました。
 
感謝とともに、こちらにアップさせていただきます!
大間からの声、ぜひ耳を傾け、目を注いでください。
(なお、不明箇所は⚫️⚫️⚫️としています)

※本ブログの過去ログ「本州の最北端の町・大間(おおま)」に
大間の写真をいくつか掲載しています。よろしければ併せてご覧ください。

*****
今、ご紹介をいただきました、奥本征雄と言います。
大間から参加をさせていただきました。
1945年生まれですので、69歳、
もうちょっとすれば70歳の年になるわけですけど。
今は地元、大間町で『大間原発に反対する会』と、
青森市に事務所を置く『大間原発に反対する地主の会』
というのがあるんですけども、
...これは全国から会員を募って一坪地主になって組織されたものです。
例えば原子力資料情報室の方とかですね、
⚫️⚫️⚫️(自治労の中の全水労?)の方とかいう方にも
参加していただいております...
青森と大間なんですけれど、場所は離れていますけれども、その事務局長。
と、今ほど紹介いただきました、函館に事務局のある大間原発訴訟の会の
代表の竹田とし子さん、皆さんご承知の方が多いと思いますけれど、
その運営委員もやらせていただいております。
中身に入る前にですね、今日、私も十数年ぶりにひとりで来たもんで
道案内のお世話をいただいた、それから、
ホテルの方の予約をしていただいて、大変お世話になりました。
この場を借りて御礼を申します。ありがとうございます。
それと、昨日まで別になんともなくて、昨日酒を飲みすぎたわけでもないし、
カラオケを歌いすぎたわけでもないんですけれども、
なんかこういう声になっちゃって、お聞き苦しいとは思うんですけれど、
我慢していただいて、30分程度だと思うんで、
お付き合いいただければいいかと思います。 座って話させていただきます。 大間原発についてはですね、
5月のこの集会で訴訟の会と先ほど言いました竹田代表からですね、
その問題点とか訴訟の会のこれまでの取り組みの経緯などについて、
だいたいについて話されたと聞いていますので、
私からは、タマナカさんからもご連絡をいただいたんですけれども、12月16日、
先日ですね、電源開発が原子力規制委員会へ適合性審査の申請書を出したという、
そのことをですね、大間町に北村社長、この中にも書いてあると思うんですが、
それを聞いた現地の空気といいますか、状況ですね。
特に、参考資料にある、後にも触れますけれども、そういう状況と、
それから、3・11後、三年と九ヶ月経ったわけですけれど
その間ですね大間町の住民の意識がどう変わったのか、
皆さんがわかるように伝えられるかどうか心もとないんですが、
話させていただきたいと思います。よろしくお願いします。
一応メモってきてるんで、
作文を読んでいるような感じになるかもしれませんが、我慢して聞いてください。 中身に入る前にまた、簡単ですけれども、
大間町のいわゆる外聞(?)について紹介をさせていただきたい。
すでに足を運ばれている方もいるかと思うし、
あるいはマスコミなんかでですね、知ってる方もいるかと思いますけれども、
ご承知のように、大間町は本州最北端に位置し、
10月現在、人口5800人、世帯数2500戸、面積が52平方キロメートル、
ですから6キロ×9キロの大変小さな町です。
面積は小さいですけれども、漁業資源には大変恵まれておりまして、
ご承知のように、鮪、イカ、タコ、ウニ、アワビ、昆布、
こういった資源がありまして。
2006年に亡くなられました、今日娘さんも見えてるんですけれど、
熊谷厚子さんの言葉を借りれば、『宝を自然から与えられてきた』町であります。
結論的になるんでしょうけれども、なるかもしれませんが、
そんな『宝』を、結果的に1988年の4月をもって、
およそ150億円で売り渡すということを漁業組合がした。
それが今日のいわゆる大間原発の多くの問題になっているわけです。
2012年12月に
…福島の事故を受けて一時中断しておりました大間原発ですが…
工事が再開されました。
大間に限って言えば、この再開されるまでの一年六ヶ月という時間が、
私は、非常に大きな意味を持っていた、というふうに思っています。

どういうことかというとですね、
それまでは原発依存、そのものにドップリと浸かりきっていた町の
いわゆる⚫️⚫️(潮目?)といいますか、空気といいますか、が、
少し変わり始める要因になったからです。

もちろんそれがですね、今言ったように、
福島の事故が背景にあったことは間違いないんですけど。
一年六ヶ月という時間はですね、其の間、
簡単に言うと、原発工事がなくなったわけですね。

そうすると、仕事がなくなったことによって町の中がどう変わったのか。
そのことを当然、町民の方々は目のあたりに見ていたわけですから、
その時間がですね、実は町民のひとりひとりに
様々な思いや考えを与えてくれた時間だったというふうに私は思っています。 1980年代からですね、
原発反対というふうに声に出して言えないできた町民の中から、
大きな声ではなかったけれど、数も少なかったんですけれど、声に出して言えた、
ということによってですね、それがきっかけとなって、
二十数年ぶりに、賛成反対ということではなく、
原発に対する学習会を開催することになりました。

ちょうど11月の大変大吹雪の昼だったんですけれど、
人口5800人いまして、その中から13名のご婦人の方々が参加をしてくれました。

私自身、実は30人くらいは集ってもらえるかな
と期待をしていたんですが、結果的に13名。
この数が多いか少ないかは皆さん方の判断に委ねたいと思っています。
そういうことがきっかけで、いわゆる反対集会への取り組み、
そして、今年で第七回目の、
地元では『マグロック』という名前をもって行われている、
全国から500人くらいの人が駆けつけてくれる大集会を開催することに
実はつながってきているんです。
ですから、13名からの学習会からスタートして、今の状況にまでなんとか。
ただ、先ほど申し上げたように、
学習会とかには町民の中から参加をしてくれる人もいるんですけれど、
デモ行進まではまだ参加できない。

いわゆる、町中を歩くという状況までには行っていないし、
多分この先もですね、まだまだそういう状況は続くのかなあという、
少し様子は変わって来ているけど、そういう状況です。
それと、私自身一番思ったのはですね、
今まではもう諦めていたといいますか、
自分たちの町なのに見ようとしなかった自分たちの町の姿を。

巨額の原子力マネーに裏打ちされながら
漁業振興の町づくりで賑わうはずだったんです。
そのために誘致をしたというスタートがあるんですけれども、
そのはずだったのに、いつの間にかシャッター街と化してしまいました。

そして電源開発の城下町となって、
物も言えなくなって来ていたことに気づかされたということが、
大きな要因だろうと思っています。
今度の申請についてもですね、電源開発は2021年の運転を見込む、
そんなことを報道新聞で発表しているわけですけど、
それを額面通りに聞いている人は、実は地元のマスコミ関係者含め誰もいません。
いないだろうと私は思っています。
抗議の意味もあって、先ほど、
逢坂(函館の)衆議院議員の先生が言ってましたけどもね。
何とかするのをやめていただきたい、申請しないでいただきたいと、
町長を含めて方針切りをしたんですけれど、
その前に、地元の新聞記者が来まして。

新聞記者ですので…私は反対する人の声はよく聞こえるけれど、
なかなか推進側の声というのは聞こえてこないし、
なかなか教えてくれないというのがあったんですけれど…
その新聞記者の方からもですね、教えてくれまして。
「奥本さん、もしかしたら電源開発の人たちも、
こっちでやるとは思っていないかもしれませんよ」
なんちゅうですね、多分冗談だとは思いますが、
そういうことを言えるような雰囲気になっています。

其の間、これまで推進一辺倒で進んできていました商工関係者、
それから漁業組合、町の関係者の中からも、
ごく一部ではありますけれども、何を今更、というような声が届いてきます。

原発依存を見直す、漁業の振興策(?)についても、
原点に返って考えないと、大間町の未来は危うくなるぞ、
と本気で考えている漁民の人も出てきています。

具体的にどうしたらいいのか、というところまで、あるいは、
本当にそれができるのかというところまでは、まだ話はいっていないんですけれど、
それと原発を止めることとですね、今は私は、直結させなくてもいい、
というのが、漁業なら漁業の漁業振興を本当に考えてみると。
原発そっちのけにして。
じゃあ原発どうするということになると、全然話が進まない、
そういう状況がありますので。

私がそう言ったわけではなく。
「東京さ行って、そのことを話してもいいか」と。
「ああ、いい」というふうに彼が言ってくれまして。
やっぱり、繰り返されますけれど、変わってはいるんだけれども、
少しずつ、変わりつつあります。
そういう状況であることを、まず報告しておきたい。
ただ、いずれにしても、それはですね、簡単に事が進む話ではないな、と。
そのことも私は十分知っているつもりです。 1976年4月以来、三十数年…もうすぐ四十年になるんですけれど…に渡って、
いわゆる洗脳されるようにして、これまで教え込まれてきた原発の安全神話、
そのことによって、地域の人間関係が壊されてしまっているのが現実なんです。

そうした中でどれくらいお互いに心を開き合えるのか
ということの取り組みでもあるわけです。
言い尽くされてきたとは思いますけれど、
原発はそれを進めようとした時から
その地方とか地域の環境、伝統、文化、そして、
人間関係を壊すことで成り立ってきたんです。

私はそう思って、原発の放射能が怖い、けど、
実はそっちの方がもっと怖いのではないのかなあという思いで
実は反原発運動の各会の輪の中に入っていきました。

人間関係を壊してしまうというのはですね、
原発に限ったことではないかもしれません。
例えばダムの話とかですね、いわゆる基地の問題とか、
似たような話がありますけれども。

ただ、特にあと、私自身、他のことはよくわかりませんので
何とも言えないんですけど。
原発の、人の心を壊すという点では、本当に凄まじいものがあります。

で、そのことを私はこれまで嫌というほど見てきましたし、
見せられてきました。
そして、私自身も牽引(?)させられてきました。 でも、福島の人たちのことを思えばですね、これまでの長い時間を思えば、
まだまださらに時間はかかるんだろうと思いますけれど、他に方法がないんですね。

壊された人間関係をどれくらい修復させることことができるのか。
私はこれしかないと思っています。
他に特効薬はないだろうというふうに思っています。
宝くじでも当たって6億円くらい出せば
10人20人の人はなびいてくれるかもしれませんけれど、
そういう問題でもないんで。

本当に、先ほど冒頭で言いましたけれども、
私自身の先もそんなに長くないんですけれど、
とにかく、時間はかかるかもしれないけれども、
それしかない、と思ってがんばっていこう、と思ってます。 3・11以降の町の状況というか、話をしてくださいということでしたが、
ちょっと途中から脱線してしまいましたけれど、
私の思いも少し交えて話させていただきました。
(弁護士の)海渡先生もいる中でですね、
大飯判決もあります。
函館市の取り組みもあります。
それから、全国の仲間もいます。

ここにいる皆さん方にも共に力を貸していただきたいと思います。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。

(文字起こし:恩田えりさん)

*2015.3.29追記: 不明箇所だった⚫️⚫️について、
その後「上関どうするネット」の西岡まゆみさんから
ご教示をいただきました(多謝!)。
 

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