泊原発が営業運転に移行した。
**********北海道新聞(8月18日)社説
知事 泊同意 安全と言い切れるのか
調整運転中だった北海道電力泊原発3号機について、
高橋はるみ知事は政府に営業運転再開への「同意」を伝えた。
3号機は、福島第1原発の事故後では全国で初めて、
定期検査から営業運転に移行した。
知事は記者会見で政府に対し、
責任を持って安全対策に万全を期すとともに、
原発立地地域との信頼関係を損なうことのない、
誠実で丁寧な対応を求めた。
それは、知事自身に跳ね返ってくる言葉でもあることを、
忘れないでもらいたい。
「同意」という形で再開にお墨付きを与えた知事には、
政治的な責任があるからだ。
ここに至るまでには経済産業省との間で行き違いもあった。
しかし、結局は両者が「はじめに再開ありき」で手順を踏んできたと
解釈せざるを得ない。
3号機は3月に調整運転に入り、
4月には最終検査を受ける見込みだったが、
福島の事故で先送りされ、調整運転が5カ月も続く
異常な状態が続いていた。
事故を踏まえれば、この間に運転をいったん止め、
安全対策を徹底的に点検する選択肢もあったはずだ。
残念ながら、政府にも知事にもそうした発想はなかった。
むしろ、営業運転に移行して異常事態を解消するタイミングを
計っていたようだ。…
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/312503.html )
********
これは北海道だけの関心事ではない。
福島第一原発の事故の影響をみれば当然のこと。
以下に京都新聞の社説をご紹介。
*****[京都新聞 2011年08月18日 社説]
泊原発運転再開 安全評価どこへいった
定期検査で調整運転中の泊原発3号機(北海道泊村)の
営業運転が、きのう再開した。
高橋はるみ知事の再開容認を受け、
検査終了証が北海道電力に交付された。
すでにフル稼働しているため、営業運転への移行は、
看板の掛け替え、事実の追認との見方もあるが果たしてそうか。
第一に調整運転中にもかかわらず、
「稼働中」とする政府見解には無理がある。
何より、安全であることをどう確認したかがはっきりしない。
福島第1原発事故がいまだに収束のめどが立たぬ中、
安全性の確保が原発の運転再開の必須条件であることは言を待たない。
政府は北海道民のみならず、
広く国民に向け、納得のゆく説明をしなければならない。
3号機は1月に定期検査に入り東日本大震災発生直前の3月7日に
調整運転を開始。5カ月余りフル出力での発電が続いていた。
通常は1カ月程度というから異例の状態といえるが、
「脱原発依存」を掲げる菅直人首相が
営業運転への移行に慎重な姿勢を示したのは当然といえる。
そこで経済産業省は、最終検査に原子力安全・保安院だけでなく
原子力安全委員会を関与させることで
首相の了承を取り付けたというわけだ。
形のうえでは二重チェックしたことになっているが、
安全委員会の班目春樹委員長は
「報告を受けただけ。容認や了承する立場にない」と食い違いをみせる。…
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20110818.html )
*****
高橋はるみ北海道知事は、
原発事故がつづく福島県の、たとえば次の動きをどう見るのか。
*********河北新報 2011年08月12日
「脱原発」再生エネ産業化目指す 福島県が復興理念決定
福島県は11日、県東日本大震災復旧・復興本部会議を開き、
「脱原発」を基本理念に据えた県復興ビジョンを正式決定した。
ビジョンは基本理念の一つに「原子力に依存しない、
安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を掲げた。
再生可能エネルギー産業や放射線医療の研究機関などの拠点を
設けることで、経済的な活力と環境とが共生する社会を目指す。…
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110812t61013.htm )
********
これだけの重大事故を
同時代におなじ列島という近さで経験してなお、
知事も国もこのていたらく。
がっかりを通りこして、呆れる。
道のりはまだ紆余曲折ありそうだし、
今日もまたこれまでどうり、急がず、あせらず。
それは、へこたれず、しぶとく、ということでもある。
**********北海道新聞(8月18日)社説
知事 泊同意 安全と言い切れるのか
調整運転中だった北海道電力泊原発3号機について、
高橋はるみ知事は政府に営業運転再開への「同意」を伝えた。
3号機は、福島第1原発の事故後では全国で初めて、
定期検査から営業運転に移行した。
知事は記者会見で政府に対し、
責任を持って安全対策に万全を期すとともに、
原発立地地域との信頼関係を損なうことのない、
誠実で丁寧な対応を求めた。
それは、知事自身に跳ね返ってくる言葉でもあることを、
忘れないでもらいたい。
「同意」という形で再開にお墨付きを与えた知事には、
政治的な責任があるからだ。
ここに至るまでには経済産業省との間で行き違いもあった。
しかし、結局は両者が「はじめに再開ありき」で手順を踏んできたと
解釈せざるを得ない。
3号機は3月に調整運転に入り、
4月には最終検査を受ける見込みだったが、
福島の事故で先送りされ、調整運転が5カ月も続く
異常な状態が続いていた。
事故を踏まえれば、この間に運転をいったん止め、
安全対策を徹底的に点検する選択肢もあったはずだ。
残念ながら、政府にも知事にもそうした発想はなかった。
むしろ、営業運転に移行して異常事態を解消するタイミングを
計っていたようだ。…
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/312503.html )
********
これは北海道だけの関心事ではない。
福島第一原発の事故の影響をみれば当然のこと。
以下に京都新聞の社説をご紹介。
*****[京都新聞 2011年08月18日 社説]
泊原発運転再開 安全評価どこへいった
定期検査で調整運転中の泊原発3号機(北海道泊村)の
営業運転が、きのう再開した。
高橋はるみ知事の再開容認を受け、
検査終了証が北海道電力に交付された。
すでにフル稼働しているため、営業運転への移行は、
看板の掛け替え、事実の追認との見方もあるが果たしてそうか。
第一に調整運転中にもかかわらず、
「稼働中」とする政府見解には無理がある。
何より、安全であることをどう確認したかがはっきりしない。
福島第1原発事故がいまだに収束のめどが立たぬ中、
安全性の確保が原発の運転再開の必須条件であることは言を待たない。
政府は北海道民のみならず、
広く国民に向け、納得のゆく説明をしなければならない。
3号機は1月に定期検査に入り東日本大震災発生直前の3月7日に
調整運転を開始。5カ月余りフル出力での発電が続いていた。
通常は1カ月程度というから異例の状態といえるが、
「脱原発依存」を掲げる菅直人首相が
営業運転への移行に慎重な姿勢を示したのは当然といえる。
そこで経済産業省は、最終検査に原子力安全・保安院だけでなく
原子力安全委員会を関与させることで
首相の了承を取り付けたというわけだ。
形のうえでは二重チェックしたことになっているが、
安全委員会の班目春樹委員長は
「報告を受けただけ。容認や了承する立場にない」と食い違いをみせる。…
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20110818.html )
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高橋はるみ北海道知事は、
原発事故がつづく福島県の、たとえば次の動きをどう見るのか。
*********河北新報 2011年08月12日
「脱原発」再生エネ産業化目指す 福島県が復興理念決定
福島県は11日、県東日本大震災復旧・復興本部会議を開き、
「脱原発」を基本理念に据えた県復興ビジョンを正式決定した。
ビジョンは基本理念の一つに「原子力に依存しない、
安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を掲げた。
再生可能エネルギー産業や放射線医療の研究機関などの拠点を
設けることで、経済的な活力と環境とが共生する社会を目指す。…
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110812t61013.htm )
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これだけの重大事故を
同時代におなじ列島という近さで経験してなお、
知事も国もこのていたらく。
がっかりを通りこして、呆れる。
道のりはまだ紆余曲折ありそうだし、
今日もまたこれまでどうり、急がず、あせらず。
それは、へこたれず、しぶとく、ということでもある。