あるあさ新聞をひろげたら、
友人の開沼さんが頑張っていた。
8月14日(日)の東京新聞なのだけれど
残念ながらネットでは読むことができないみたい。
せめてタイトルと小見出しを以下にご紹介させていただく。
*** ***
戦後66年 沖縄、福島の苦難
『中央の繁栄の代償 日本のあり方問う
―基地や原発押しつけ 相手を思いやる国へ―』
敗戦体験/沖縄の逆説/同化と異化/
復帰しか…/残った痛み/
原子力ムラ/差別と抵抗/脱・経済成長
*** ***
85歳の作家・大城立裕(おおしろたつひろ)さんと
27歳の社会学者・開沼博(かいぬまひろし)さんの対談が
みひらき両面に展開され、なかなか読みごたえのある特集だ。
最後の小見出し「脱・経済成長」の冒頭を引くと…
「開沼:戦後、中央は地方に負担を押しつけ、
いわば植民地化することで発展しました。
福島の原発事故は一過性の事故ではなく、
日本の成長や地方が抱える問題とつながっています。
成長の陰に沖縄の基地負担があり、福島の事故がある。
これに無批判でいたのが問題でした。(後略)」
タイムスパンはわたしとは違うけど、
福島の原発事故が、日本の(カギカッコつきの)「成長」や
地方がかかえる問題につながる、という問題意識は共有する。
機会があれば、ぜひご一読をお勧めしたい。
この機会に、開沼さんの著書
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)の書評も
ご紹介しておこう。評者は、文芸評論家の川村湊さん。
*****
都市化の幻想煽った「原子力」
二つの「原子力ムラ」がある。官・政・財・学の世界が癒着し、
危険で不経済な発電用原子炉を日本中で現在五十四基も稼働させた
「原子力マフィア」といったほうがいい「ムラ」と、
その原発と関連施設が立地する「ムラ」だ。
この本で取り上げられているのは、もっぱら後者で、具体的な対象は
まさにタイムリーな「フクシマ」という原子力ムラである。
(中略)
「フクシマ」という原子力ムラが形成されたのは、戦前と戦後、
そして現在に至るまでの日本の近代における<中央と地方>の
葛藤と共犯の歴史に関わっている。衰退してゆく地方の村を
一発逆転で近代化、都市化する幻想のメディアとして「原子力」があった。
柏崎、福島(常磐)、玄海など、原発の立地する原子力ムラは、
かつて石炭や石油(そしてウラン!)の産地であり、
エネルギー転換の政策の下でムラが徹底的に衰亡し、過疎化する過程で、
「原子力」という打ち出の小づちとも、やがては全身を滅ぼす
麻薬ともなりうるものを<誘致>してしまったのである。(後略)
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2011072404.html
*****
評者によれば、原発以前から玄海もエネルギー産地だったというから
鮮烈な驚きをおぼえた。
柏崎と福島そして浜岡のお膝元ともいえる相良(さがら)については
わたしも確認していたけれど、玄海もそうだったのか?
先月かけ足で行った玄海行きでわたしが知ったのは、
ここが石工の里でもあったということ。
道々ですごい石垣を目にした。
まるで城壁のような石垣をやや興奮気味で観ていたら、
幸運にも、年に一度の棚田の石垣の草刈りをおえた
地元の棚田組合の方たちと行きあった。
尋ねてみると、秀吉の時代、
城壁造りの石工集団がここに土地を与えられ移り住んだという。
ただし現在は石工はおらず、技術は既に失われたらしい。
そういえば佐賀からの道々、地図をみて気づいたのは、
玄海町の周辺が
唐津焼・伊万里焼・有田焼など製陶技術の集積地だということ。
そうとうな技術者集団が
住みついたり出入りしたりした地だということは間違いなさそう。
なぜ、ここに原発が?
この問いを、
みずからの地元・福島について解こうと開沼さんが試みたのが、
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』だ。
玄海について、この問いが問われたことは、あるのだろうか。
友人の開沼さんが頑張っていた。
8月14日(日)の東京新聞なのだけれど
残念ながらネットでは読むことができないみたい。
せめてタイトルと小見出しを以下にご紹介させていただく。
*** ***
戦後66年 沖縄、福島の苦難
『中央の繁栄の代償 日本のあり方問う
―基地や原発押しつけ 相手を思いやる国へ―』
敗戦体験/沖縄の逆説/同化と異化/
復帰しか…/残った痛み/
原子力ムラ/差別と抵抗/脱・経済成長
*** ***
85歳の作家・大城立裕(おおしろたつひろ)さんと
27歳の社会学者・開沼博(かいぬまひろし)さんの対談が
みひらき両面に展開され、なかなか読みごたえのある特集だ。
最後の小見出し「脱・経済成長」の冒頭を引くと…
「開沼:戦後、中央は地方に負担を押しつけ、
いわば植民地化することで発展しました。
福島の原発事故は一過性の事故ではなく、
日本の成長や地方が抱える問題とつながっています。
成長の陰に沖縄の基地負担があり、福島の事故がある。
これに無批判でいたのが問題でした。(後略)」
タイムスパンはわたしとは違うけど、
福島の原発事故が、日本の(カギカッコつきの)「成長」や
地方がかかえる問題につながる、という問題意識は共有する。
機会があれば、ぜひご一読をお勧めしたい。
この機会に、開沼さんの著書
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)の書評も
ご紹介しておこう。評者は、文芸評論家の川村湊さん。
*****
都市化の幻想煽った「原子力」
二つの「原子力ムラ」がある。官・政・財・学の世界が癒着し、
危険で不経済な発電用原子炉を日本中で現在五十四基も稼働させた
「原子力マフィア」といったほうがいい「ムラ」と、
その原発と関連施設が立地する「ムラ」だ。
この本で取り上げられているのは、もっぱら後者で、具体的な対象は
まさにタイムリーな「フクシマ」という原子力ムラである。
(中略)
「フクシマ」という原子力ムラが形成されたのは、戦前と戦後、
そして現在に至るまでの日本の近代における<中央と地方>の
葛藤と共犯の歴史に関わっている。衰退してゆく地方の村を
一発逆転で近代化、都市化する幻想のメディアとして「原子力」があった。
柏崎、福島(常磐)、玄海など、原発の立地する原子力ムラは、
かつて石炭や石油(そしてウラン!)の産地であり、
エネルギー転換の政策の下でムラが徹底的に衰亡し、過疎化する過程で、
「原子力」という打ち出の小づちとも、やがては全身を滅ぼす
麻薬ともなりうるものを<誘致>してしまったのである。(後略)
(つづきは以下のURLからどうぞ:
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2011072404.html
*****
評者によれば、原発以前から玄海もエネルギー産地だったというから
鮮烈な驚きをおぼえた。
柏崎と福島そして浜岡のお膝元ともいえる相良(さがら)については
わたしも確認していたけれど、玄海もそうだったのか?
先月かけ足で行った玄海行きでわたしが知ったのは、
ここが石工の里でもあったということ。
道々ですごい石垣を目にした。
まるで城壁のような石垣をやや興奮気味で観ていたら、
幸運にも、年に一度の棚田の石垣の草刈りをおえた
地元の棚田組合の方たちと行きあった。
尋ねてみると、秀吉の時代、
城壁造りの石工集団がここに土地を与えられ移り住んだという。
ただし現在は石工はおらず、技術は既に失われたらしい。
そういえば佐賀からの道々、地図をみて気づいたのは、
玄海町の周辺が
唐津焼・伊万里焼・有田焼など製陶技術の集積地だということ。
そうとうな技術者集団が
住みついたり出入りしたりした地だということは間違いなさそう。
なぜ、ここに原発が?
この問いを、
みずからの地元・福島について解こうと開沼さんが試みたのが、
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』だ。
玄海について、この問いが問われたことは、あるのだろうか。