『ある精肉店のはなし』を観た。
ある家族と、その暮らしを描くドキュメンタリー映画だ。
大阪府貝塚市で小さな精肉店を営むその家族は、
牛を市場で買いつけ、自宅にある牛小屋で飼育し、
そこから歩いて数分の屠場で屠畜し解体し、
自宅にある店で精肉して、売っている。
長年の得意客など、顔の見えるお客さんがその肉を買っていく。
内臓や脂も、手間暇かけ処理したり調理したりして売る。
皮は、なめして、祭り太鼓を張りかえる。
人の都合でいただいた、牛のいのち、ではある。
ただ、いただいたいのちは、ここでは粗末にされていない。
大事に、だいじに、されている。
なにをいただいて、いかされている自分なのか、
その家族はそれを知っているゆえ、なのかもしれない。
予告編↓
この映画の英語字幕づくりをお手伝いさせていただく機会に恵まれたので
わたしは自分のパソコンでも繰りかえし、この映画を観ていた。
初めて屠畜シーンを観たときは頭のうしろの方が少しゾワッとした。
この感覚と、それを味わったことは、覚えておこうとおもった。
屠畜解体の流れるようなナイフさばきに目をみはった。
見事としか言いようがない、たいへんな技術力だ。
語られる家族の歴史は、差別を受けてきた歴史でもあった。
この日本が差別社会であることを、静かに、確かに伝えていた。
祭り太鼓を、仮張りや本張りで、あるいは祭りの練習や本番でたたく音と、
その家族が折々にさりげなく紡ぐ珠玉のような言葉が、響いていた。
いつの間にか、ハラハラと涙が流れてきて、
なんでわたしは泣いているんだろうと思いながら映画を観終わった。
縁あってこれまで何作か
映画の英語字幕づくりをお手伝いさせていただいてはいたものの
ドキュメンタリー映画は初めてで、
『ある精肉店のはなし』を初めて観たあとも何度もみて試行錯誤した。
そのたびに、あらたに気づくことや感じることがあった。
観るほどに興味がわき、映画館の大きなスクリーンで観るのを楽しみにしていた。
公開初日とその翌日は
その精肉店の肉のBBQを限定販売すると聞き、
胃袋や五感で体験する愛のちからを疑わないわたしは、いそいそ出かけた
(幸運にも限定販売の最後の数名に間にあい、味わうことができた↓)。
BBQ販売は今後はもうないかもしれないが、
祭り太鼓のためになめして干した皮はいまも展示されているはず。
「ご自由に触れてください」ということだったので、
皆さんも、ご自分の五感でお確かめください。
祭り太鼓に張るまえの皮を。映画が伝える世界を。この映画を。
この映画はリピーター割もあり、くりかえし観るのもお勧め。
*『ある精肉店のはなし』上映劇場情報はこちらから。