サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

給油口 右?左?

2017-06-07 19:13:44 | 日記
今日たまたまネットで見つけて、感動したのでご紹介。
(常識なのかもしれないが)

車の給油口が右か左かで悩んだ経験はありませんか?
私も仕事で職場の車を運転することがあるので、悩んだこと
あります。

で、悩まなくても誰でも簡単にわかるんだよというお話。

燃料計(給油マーク)の隣に三角マークがある方が給油口。
画像はうちのヴィッツちゃん。
うん、うちのヴィっちゃんは左側に給油口があるので合ってる!

もう職場の車に乗っても(誰の車に乗っても)迷うことないわ~
とうれしくなりました。

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重要文化財・旧商家 丸一 本間家

2017-06-07 05:56:56 | パ酒ポート
国稀酒造の隣にあった、本間家。



当時の豪商か?と思いながら、入場料金がかかるので、中には
入らなかった。
(今回はお酒がメインだったし・・)



そうしたら、国稀酒造の創業家だったんですね。

国稀は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た、 
明治15年が創業です。創業者本間泰蔵は、嘉永2年(1849)新潟県
佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、明治6年23歳で小樽に渡り
呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば
行商で来ていましたが、明治8年に増毛に移り住み呉服商を始めました。

明治15年には「丸一本間」を名乗り、本業の呉服商の他に、荒物
雑貨販売、呉服雑貨や漁獲物の輸送のためだけではなく、地域住民の
需要を満たす海運業、当時この地第一の産業であったニシン漁にも
手を拡げ、醸造業も始めるに至りました。当時、日本酒の多くは本州
からの移入酒で、決して安いものではありませんでしたが、佐渡の知人
に酒屋がいたことから知識があった泰蔵は、当地での自家醸造を思い
立ったとされています。

創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家」、国指定の重要
文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていました。しかしニシン
豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産
できないところから、明治35年、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を
建設しました。同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として
永きにわたり営業して参りましたが、合名会社設立から100年目の
平成13年に、国稀酒造株式会社と社名を改めました。

ホームページの転記ですが。



国稀酒造の中で見た電話室。
載せ忘れたので載せておきます。



クリックしたら大きくなります。
当時の電話番号表とか、よく残っていたなぁ~と思います。



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