サバ奈子

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浦河町 野外彫刻 その7

2022-02-27 07:59:16 | 野外彫刻

浦河町役場荻伏支所です。

敷地内に彫刻が3体並んでいます。

鈴木清翁

鈴木清は浦河町のホームページに概略が載っているので貼っておきます。

鈴木清
鈴木清は摂津国三田藩九鬼家の重臣で、幕末の風雲険悪になった嘉永元年4月29日
三田屋敷町に生まれ、藩の造士館で文学武芸を学び馬術をもっとも得意としました。
維新後の廃藩置県に際し、神戸に出たが事業の第一歩につまづきました。

この時、米国神学博士デビスに神学と英語を学びました。当時の人は、キリスト教
を嫌い暴力をもって迫害しましたが、彼は、デビス、クラーク両牧師を助け、堂々
と社会の風潮に逆らい同士11人と日本初の組合派第一教会の基礎を確立しました。
これが現在の神戸教会の前身です。

また、海外からの缶詰類の輸入が巨額に達し、正貨が海外に流出することを憂い、
日本初の牛肉缶詰業を創始しました。

そして、明治13年に北海道の資源に注目し、赤心社を組織して初代社長になり
内地人を移住させ開墾と牧畜業を進めました。さらに、馬の改良で当時の馬政局
から数回にわたり賞を受け、日高産の馬の名声を高めました。

大正2年12月28日に脳疾病で倒れ、大正4年3月21日に68歳で死去しました。

背中に
昭和9年秋
本郷新作
とあります。

全ての台座に
昭和10年9月建立
平成4年10月台座改修
とあります。

西忠義翁

西 忠義
にし ちゅうぎ
1856(安政3)~ 1934.5.2(昭和9)

1898北海道の檜山支庁長を経て、1901浦河支庁長に着任。浦河支庁長時代の
最大の業績は国営日高種馬牧場の浦河設置であり、浦河着任の翌年には日高
管内の実業家を集め、日高実業協会を創設して農商務大臣へ国営種馬牧場の
浦河設置を上請し、種馬牧場開設のための陸路整備を訴え整備を進めた。

当時は日露戦争で国費大緊縮の中、戦時に必要な軍馬の必要性を説き伏せ、
馬産地である日高の交通を完備することこそ勝敗を決する鍵となると力説し、
ついに巨額な国費を獲得した。これにより新冠御料牧場、日高種馬牧場の
設置に尽力。産業振興及びインフラ整備を進め、農林水産業の発展させると
同時に、教育の充実にも注力し浦河町内に5校の小学校を新設。日高民心の
啓発につとめ、日高の物質的精神文化に貢献した。

澤茂吉翁

澤茂吉は北海道のホームページに略歴が載っていたので貼っておきます。

荻伏開発の基礎を築いた功労者澤 茂吉(さわ しげきち)

生没年:1853年~1909年 / 摂津国有馬郡三田(現 兵庫県三田市)

1882(明治15)年、赤心社に入社。第二部の部長として第二次募集移民を引率
して荻伏村に入植し開墾事業に務めました。同年暮れには開拓事務長、翌年に
は副社長に就き、子弟教育のため学校兼公会堂を創立、混同農業の実施、牧場
を創設するなどに努めました。

1891(明治24)年には荻伏村総代に選ばれるなど種々の要職を歴任。村有財産
の造成、学校、病院、郵便局の建設など生活、文化、経済など荻伏村の振興
発展にも尽力しました。

浦河町役場荻伏支所にはもう一つレリーフがあるはずだったのですが、見つからず
赤心社にも寄ってきたが、探せなかった。

もうすっかり夕暮れです。帰路を急ぐことにしました。

赤心社記念館(旧赤心社事務所)
この建物は、赤心社(現赤心社株式会社)の事務所として荻伏駅前に明治21年
6月1日に建てられました。
赤心社は北海道開拓を目的として鈴木清らによって明治13年8月に設立され、
翌14年5月に50数名が幌別川地域に、15年5月には、愛媛、兵庫、広島県より
澤茂吉ら80数名が元浦川(現荻伏)に入植しました。赤心社は農業、牧畜業の
ほか、林業、商業などの各種事業を行い、さらに明治17年市立赤心学校を設立し
教育、文化の発展にも功績がありました。
現在も続いている開拓団体として北海道開拓使に大きな位置を占めています。
旧事務所は大正7年旧荻伏村役場庁舎として使用されました。昭和29年現在地に
移転して郷土博物館となり、昭和39年から浦河町立郷土博物館荻伏分館として
活用されてきました。その後、昭和49年に赤心社記念館と改称して現在に至って
います。
浦河町教育委員会

浦河町役場荻伏支所
浦河郡浦河町荻伏町15番地


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