サバ奈子

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由仁町 野外彫刻 その3

2022-05-28 06:44:27 | 野外彫刻

由仁町文化交流会館ふれーるです。

玄関を入ってすぐのところに彫刻があります。

役場の方が行っていたとおり、頭は間違いなくふれーるにありました。

元は由仁町役場にあった彫刻で、ふれーるができた時に移動してきたと思われます。

想像の感動に生きる
鹿内信隆像
作者は不詳です。

鹿内信隆氏は由仁町出身の、昭和から平成にかけての経営者です。

鹿内信隆氏略歴
鹿内信隆氏は、明治44年11月17日、北海道由仁町に生まれる。
昭和11年早稲田大学経済学部を卒業、倉敷絹織(現クラレ)に入社、第2次世界
大戦中から終戦直後にかけて日本電子工業取締役、労使の対立が激しかった昭和
20年代には、日経連専務理事の要職にあって、過激な労働運動とたたかった
29年ニッポン放送専務取締役、36年同社社長となった。39年からフジテレビジョン、
43年から産経新聞の社長を兼任。ラジオ、テレビ、新聞を包括するメディアグル
ープの経営者として、今日のフジサンケイグループの地歩を固めた。
一方、神奈川県箱根に彫刻の森美術館を創設(44年)、さらに長野県に美術館を
開き(56年)、現代彫刻野外展示に先便をつけた。最初は箱根、現在は美ケ原で
隔年開催されているロダン大賞展、ヘンリー・ムーア大賞展は、現代彫刻の登竜
門として、世界美術界で有数の公募展となっている。
また、故高松宮殿下のご意志を受けて、「豊かな日本が国際的な貢献を」と、自
ら世界の指導者や芸術界に呼びかけ、「世界文化大賞」の創設に寄与され、平成
元年10月には、第1回の授賞式が行われた。平成2年10月28日死去。
著書
アメリカの労使関係、欧米のテレビ放送、正論を拓く、泥まみれの挑戦、21世紀
の日本を拓く、いま明かす戦後秘史 上・下、 WHO’WHO 巷談、指導者カリス
マの秘密、鹿内信隆は語る、泥まみれの自画像、創造の感動に生きる、彫刻の森
美術館・美ケ原高原美術館ガイドブックなど

他にもロビーに由仁町役場から移転してきた彫刻がありました。

見つかってよかったです。

圓鍔勝三 青い鳥

■作品 青い鳥
■作者 圓鍔勝三(えんつば かつぞう)(1905.11.30~2003.10.31)

広島県御調(みつぎ)町に生まれる。
1930年 日本美術学校彫刻科に在学中に「星陽」が第11回帝展に初入選する。
卒業後、木彫家の澤田政廣に師事。
1939年 新文展で「初夏」が特選受賞。以後日展で計4回特選受賞。
1947年 日本彫刻家連盟創立に会員として参加。
1951年 以来日展審査員。
1965年 日展で「旅情」は文部大臣賞を受賞。
1966年 日本芸術院賞を受賞。
1970年 日本芸術院会員。
1982年 文化功労者。
1988年 文化勲章を受章。
多摩芸術大学名誉教授。

木彫を基調としながら、陶彫、石、ブロンズなど多彩な素材を駆使し抒情に
富んだ作品を残している。
この「青い鳥」は由仁ライオンズクラブ認証10周年にあたり、記念として特
に製作された作品で、他に同じものは無いとされている。

由仁ライオンズクラブ認証35周年記念アクティビティー

鹿内信隆氏コレクションのコーナーがありました。

鹿内氏は芸術にも造詣が深いのでした。


一緒にファイターズ関連も展示されていました。

由仁町文化交流館(ふれーる)
北海道夕張郡由仁町東栄87-1


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