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当別町のロイズタウン(ふと美工場直売店)です。
中に入るとカカオのモニュメントがあります。
カカオモニュメントは、札幌市北区あいの里のロイズビルにもあります。
ロビーにどーんと鎮座しており、ここに座って記念撮影をする人が多いです。
子どもが登ったりしているので、なかなか写真を撮るのが難しいです。
イートインスペースの横にあります。
建物前には、ロイズタウンのモニュメントがあり、ここでも写真撮影をしている
人がたくさんいました。
色違いの街灯が並んでいます。
これもカカオを模したものでしょう。
ロイズタウンの角地に石碑があります。
本庄陸男生誕の地
本庄陸男のおいたち
北海道を代表する昭和期の小説家のひとり本庄陸男は、1905(明治38年)に
佐賀県の士族・本庄一興の6男として当別町で生まれました。
家業は農業と雑貨商を営んでいましたが、8歳のとき渚滑村(現紋別市)に
移住し、同地の尋常高等小学校を卒業ののち同校で代用教員を務めました。
16歳のとき、さらに進学を志し、兄を頼って樺太(現サハリン)へ渡り、1
年後に上京して青山師範学校(現東京学芸大学)に編入します。卒業後、東
京の本郷の誠之小学校の教員に就職し、教員生活のかたわら、すでに強い関
心をもっていた文学への道を歩みはじめます。当時盛んであったプロレタリ
ア文学活動にかかわり、創作活動を精力的に続けました。
やがて教職を去った彼は、1936年に武田麟太郎が主宰する雑誌「人民文庫」
の名儀人兼編集人となり、そのころから晩年にかけて精力的に「白い壁」な
どの作品を発表し続けました。しかし一方で肺結核との戦いも余儀なくされ、
療養のため北海道や樺太を旅したりもしています。
本庄が広く知られるようになったのは、当時開拓の歴史に取材した小説「石
狩川」(1939年、大観堂)がベストセラーになったことによります。この小
説は同年5月に刊行されましたが、その2ヶ月後の7月23日に東京の自宅で
他界しました。享年34歳、惜しまれての夭逝でした。
当別町・当別町観光協会
裏に小説石狩川の一節があります。
石狩川の碑と呼ばれているようです。
いの一番にこの川を見つけたのは肥え太った鮭の群れででもあったらうか
隣にもう一つ石碑があり、
道
ようこそ
貴方のサイン願います
1979
ロイズタウンとロイズタウンを結ぶシャトルバスです。
今度来るときは、JRに乗ってこようと思いました。
ロイズタウン(ふと美工場直売店)
石狩郡当別町ビトエ640-15
カカオのモニュメント、撮影のタイミングが難しいですよね。
私は15分くらい粘ったんだけど、とうとうお子さんが切れなかかったので、お子さんにカメラが向いていると不審者に見られかねないことを念頭に、何とか撮りました(それでも十分怪しかったかも・・・(-_-;))。
こういう場所では仕方ないですよねと自分に言い聞かせました( ´艸`)。
それを狙ったアートなのだから仕方ないと思っています。