サバ奈子

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鯨族供養塔

2024-09-20 05:53:49 | お出かけ♪

鯨族供養塔 です。

東本願寺北海御廟 函館別院船見支院 のすぐ近くの千歳坂にあります。

背美鯨 SEMIKUZIRA

鯨族供養塔
函館は、幕末から捕鯨との縁は深く、安政4年(1857年)幕府が中浜万次郎(ジョン万次郎)を箱 館に派遣して捕鯨の指導をさせたり、また、ドイツ(当時プロシヤ)船などから捕鯨を学んだ事跡がある。この供養塔は、昭和32年(1957年)9月に遠洋捕鯨会社の捕鯨船船長兼砲手の「天野太輔」が、それまでに捕獲した多くの鯨を供養するために建てたもので、上部には背美鯨の模型が据えられているほか、裏面には鯨の説明が詳細に刻まれている。天野翁83歳の時のことである。また、碑文には「明治四十年以来捕鯨ニ従事セシコト 二十六年ノ長キニ及ビ其ノ間ニ於ケル捕鯨頭数実ニ二千数百頭ニ達セリ・・・」と刻まれ、大洋漁業、日本水産ほかの捕鯨会社が賛助員として名を連ねている。
函館市

昭和三十二年九月

捕鯨船の元船長兼砲手が建立に尽力した、鯨の供養塔。絶滅危惧種とされるセミクジラの模型が据えられている。年に1度、供養祭が行われる。

背美鯨ハ日本沿岸ニ相当数回游シ来リシモ外国捕鯨船ニヨル酷捕乱獲ノ結果遂ニ殆ド其ノ姿ヲ認ムル事能ハザルニ至レリ然ルニ日本ニ於テ汽船ニヨル捕鯨方法ヲ採用後吾レ此絶滅ニ近キ背美鯨ヲ我国沿岸ニ於テ第二頭目ニ捕獲セリ当時会社側ニ於テ大イニ其ノ功績ヲ激賞シ其ノ褒章トシテ金側懐中時計一個ヲ贈與セラル其ノ時計ノ両蓋裏面ニ左ノ如ク刻印シアリ
明治四十四年五月十七日背美鯨捕獲記念
贈 砲子兼船長天野君
紀伊水産株式会社

(カテゴリーを彫刻にしようか迷いました)

背美鯨は 鯨族中食用として肉の美味なるを以て最も適当なるが故に捕鯨家の垂涎措く能わざる所なりと雖も今や絶滅に近く日本捕鯨家で僅かに数頭而己の捕獲なり現今にては背美鯨捕獲は絶対禁止到しあり此後数年間は背美鯨の姿を見る事能はざるに到る是を 思い此供養塔の頂上に背美鯨の模型を造り 安置到せしなり
背美鯨は 長さ参十尺より六十尺位に至る(此模型は八尺なり)体躯圓潤にして旦長大頭部 亦 大にして少々 隆起す 噴水孔二箇あり 頭上に位す 背上に鰭なく頬に沿って左右二葉の鰭あり是れを 立羽と称す
全身黒色にして口辺に髭を有す 此髭は 上頭の中央より出口の両側に列し頗る長し其教一列に三百を 起ゆ 尾は魚の如縦扁ならずして地平に開帳し新月形をなす 其性強猛にして海岸近寄らす 体重量五十尺標準壱万参阡五百貫位

明治四十年以来捕鯨事業ニ従事センコト二十六年ノ長キニ及ビ其ノ間ニ於ケル捕鯨頭数実ニ貳阡数百頭ニ達セリ 此多数ノ鯨族中ニ親子連レノモノアリ此ヲ捕獲セシ事数度ニ及ビ 尊キ鯨族ノ生命ヲ奪ヒタル其ノ罪誠ニ慚愧ニ堪エズ 是ニ報ユル道ヲ講ゼザルベカラズ カネテヨリ考慮セシ折妻ノ死ニ遭ヒ一層其ノ感ヲ深クセリ
サキニ吾子三人ヲ失ヒ当時何等痛惜ノ情感ゼザリシモ年老イシ今日痛切ニ人世ノ無情ヲ感ズルニ至レリ 此ニ老於テ此等諸精霊ノ菩提ヲ弔ワントスル意志勃然トシテ起リソレラ達成セシメント此所ニ鯨族供養塔建立ヲ思ヒ立チ鯨族ノ冥福ヲ祈願セントス
昭和三十二年九月建之時八十有三歳

鯨族供養塔
函館市弥生町9


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