留寿都小学校です。
堤直美の山上のメロディが 留寿都村 アルミニウムBERTA前庭にあるはず
でしたが、 アルミニウムBERTAが何かわからず、地図情報では役場前に
なっていたけど、役場前に彫刻はなく、裏手にある小学校に彫刻らしきものが
見えたので寄ってきました。
これだぁ!と思ったのだけど、台座に報徳とあり、
冬囲いをした二宮金次郎像でした。
地元住民に聞き込み調査などをして、かなり探索したのだけど結局見つからず。
残念でした。
道の駅 230ルスツ の裏手に彫刻があります。
開拓の母
台座にサイン。
’97 ヒデノリ
米坂ヒデノリ 作
赤い靴の少女の母親像です。
「開拓の母」像建立趣意
開拓が緒についた明治のころ、ここ留寿都にもユートピア社会づくりをめざした
「平民農場」が産声をあげました。童謡「赤い靴」のモデルとなった女の子の母
親もその中にいて入植仲間の誠実でたくましい青年と結ばれましたが、厳しい開
拓暮らしを前に、ぎりぎりの決心を迫られた母は3歳の幼な子をアメリカ人宣教
師に託しました。厳しい労働にもかかわらず貧しかった秋の実り、農場の暮らし
は楽にならず離農者が相次ぎ、この一家も札幌へ出ました。そこで出会ったのが、
若き日の野口雨情でした。
別れ別れになっている母と子の思いを胸に刻み、後年、発表した詩に曲がつけら
れました。
赤い靴 はいてた 女の子
異人さんにつれられて行っちゃった・・・
子を思う母、母を慕う子、別れ別れになった母と子ゆかりの地、留寿都に建てら
れた「母思像」は居間も母の姿を追っています。
幾多の人々の苦難の歴史が留寿都村の礎です。私たちは本村開拓者たちの功績に
感謝するとともに、開拓の試練のはざまで、わが子の幸せを願い続けた母親の気
持ちを偲び。優しい心の村づくりをめざしています。娘を案ずる親心を「母の像
」に託し、歌に秘められた歴史のひだと優しい心の在りようを永遠に語りついで
行きます。
かつて開拓者を苦しめた厳しい自然も、今は移ろいゆく季節にその彩を変え人々
の心をなごませ、夢ふくらむ思いを育んでいます。
この地が往時を偲び、語らう憩いの場となりますよう切に希っています。
1997年11月 留寿都村
開拓の母の像の四隅にタイル画があります。
たいへん見づらいですが、清水市 と書かれています。
横浜市
留寿都村
麻布十番
横浜に赤い靴の像があるのは、知っている。たぶん清水市と麻布十番にもあるのだろう
と思った。
小樽市にもあるんだけどなぁ・・・。
道の駅 230ルスツ
虻田郡留寿都村字留寿都127-191(国道230号沿い)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます