道の駅 ピンネシリ です。
敏音知岳登山受付の看板があり、ピンネシリとは敏音知と書くんだとわかる。
砂金ラーメンが売っており、昔は砂金が取れたんだろうと想定される。
最近の北海道土産の定番。シマエナガ。
休憩スペースがあります。
スタンプはこちら。
道の駅 ピンネシリ
枝幸郡中頓別町字敏音知72-7(国道275号沿い)
道の駅 ピンネシリ です。
敏音知岳登山受付の看板があり、ピンネシリとは敏音知と書くんだとわかる。
砂金ラーメンが売っており、昔は砂金が取れたんだろうと想定される。
最近の北海道土産の定番。シマエナガ。
休憩スペースがあります。
スタンプはこちら。
道の駅 ピンネシリ
枝幸郡中頓別町字敏音知72-7(国道275号沿い)
旭川市の、本格備長炭焼きと熱々おでんのお店 備長炭焼き 焼き鳥八丁目 です。
最初はビール。ああん、ぼけちゃった。
とても人気の激混みのお店です。
予約してから入りました。
モツ煮
手作りキムチ餃子 熱々の鉄板に乗って出てきます。
八丁目サラダ
つくね
7~8年ぶりに来ました。
前に来たときは冬だったので、おでんを中心に頼みました。
しいたけ
また来られてうれしい。
備長炭焼き 焼き鳥八丁目
旭川市2条通8丁目
道の駅 羊のまち 侍・しべつ です。
以前来たときには道の駅を建設中で、ポケ蓋は舗道上にありました。
確かこのあたりだったと思います。
今は道の駅の正面玄関横に移ってきました。
ロコン メリープ
一緒にデザインマンホール蓋もいます。羊がかわいい。
舗道上にサフォークのマンホール蓋あり。
道の駅 羊のまち 侍・しべつ
士別市大通東5丁目440番地23(国道40号沿い)
道の駅 羊のまち 侍・しべつ です。
士別ライオンズクラブ の寄贈です。
地域ブランド羊肉「士別サフォークラム」が有名です。
スタンプはこちら
道の駅 羊のまち 侍・しべつ
士別市大通東5丁目440番地23(国道40号沿い)
道の駅 もち米の里☆なよろ です。
名寄名産の「もち米」にこだわった特産品や「安全・安心・新鮮・安価」を売り物にした地元農産品をはじめ、地場産の食材を使った食事を提供するレストラン「お食事 風の寄り道」があります。
また、様々な情報発信基地として地域FM「Airてっし」を利用して名寄市及びその周辺の情報を発信しています。
スタンプは赤か緑の色が選べます。
道の駅 もち米の里☆なよろ
名寄市風連町西町334番地1(国道40号沿い)
道の駅 びふか です。
ふたご座のまち びふか 北の星座共和国 の玄関マット
何でふたご座?と思ったら、平成元年に14市町村で、北の星座共和国構想があり、美深町は双子座の位置にあるからだそうです。
スタンプはこちら
道の駅 びふか
中川郡美深町字大手307番地1(国道40号沿い)
道の駅 マリーンアイライド岡島 です。
国道238号に面した「マリーンアイランド岡島」は、雄大なオホーツク海を航行する船をイメージしたデザインであり、各種情報案内と地場産品の展示販売を行います。
道の駅に隣接して、遠浅な砂浜のオホーツク海が広がり、海水浴、磯遊び、釣り、潮干狩り等、豊かな自然を満喫できます。
和室の休憩所もあり、足を伸ばしてゆっくり休めます。
スタンプはこちら。
マリーンアイライド岡島
枝幸郡枝幸町岡島1978番地13(国道238号沿い)
道の駅 おといねっぷ です。
なんと言うことでしょう。写真これしか撮っていなかった。疲れてたのね。
なので、前回行ったときのリンクを貼っておきます。
道の駅 おといねっぷ
中川郡音威子府村字音威子府155番地(国道275号沿い)
道の駅 北オホーツクはまとんべつ です。
平成31年開業の比較的新しい道の駅です。
白鳥の湖 クッチャロ湖の妖精 スワットン
浜頓別町は野鳥がたくさん訪れる地で、毛ガニやタラバガニ、ホタテが名産です。
少し前に来場者数100万人を達成したところです。
スタンプはこちら。
道の駅 北オホーツクはまとんべつ
枝幸郡浜頓別町中央北21番地1(国道275号沿い)
路上にシカ注意。
シカ飛び出し注意の標識。
道の駅 さるふつ公園 の向かいに彫刻があります。
インディギルカ号遭難者慰霊碑
昭和14年12月12日、荒れ狂う吹雪のなか、旧ソ連の貨客船「インディギルカ号」が当時の宗谷村浜鬼志別(はまおにしべつ=現・猿払村浜鬼志別)沖合いで座礁。多数の死傷者を出すものの、村民により多くの人命が救助されています。700名以上の人名が失われたが、村民総出で429人を救出。昭和46年に慰霊碑が建立されています。
台座の石はソビエト社会主義共和国連邦から寄贈された花崗岩です。
設計 井口健建築設計事務所 所長 井口健
碇が展示されています。
インディギルカ号のものと思われる。
大きな岩 と思ったら、
ほたて化石群
発見場所 浜頓別鍾乳洞附近
石齢 新生代第3期(約4千万年前)
重量 約40万トン
拡大するとホタテがいっぱい。
4千万年前からホタテがたくさんいたのね。
もう一つ造形物があります。
いさりの碑
帆立貝漁場造成事業10周年に当り猿払の漁業のうつりかわりを振返って見る。
我々の先人がオホーツクの海の魚貝類に生活の糧を求めたのは明治の始め頃のことだ。
それから一世紀になんなんとしている。
春、4月5月、鰊の群来で海は乳白色になり獲っても獲ってもなくならないものと思われた。
鮭鱒は海の荒くれ男と力比べをするように網もさけよとばかり来網した。
海扇と呼ばれた帆立貝は海の底に幾層にも重なり合っているのではないかと錯覚を起こさせる位生棲していた。
しかし之等の生物の運命も貪欲な人間の前には所詮は滅亡の運命が待ち受けていた。
今日ではあらゆる資源は有限であることが認識されている。
しかし生物資源は自然と人間の適正な育成管理によって永続させることが出来る筈だ。
私達も自然の摂理にかなった生物資源の育成管理を科学的調査と人智をあつめてやってみた。
春夏秋冬、自然の摂理は一世紀の昔も今と変わりなく繰返され生物の生命力は見事に部族と子族の繁栄に其の力強さを見せてくれた。
今、オホーツクの海は先人の開拓した時のように帆立貝が美事に結実してたわわな実を見せている。
鮭鱒もまた間もなくふ化事業の結実を見せようとしている。
猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び其の意志を我々も子孫もうけつぎそして実践することを肝に銘じ、今此の碑を建てる。
人間は神々と力を競うべきでない。
人間は自然の摂理に従うべきだ。
昭和56年11月22日
猿払村漁業協同組合
猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び、建てられたのが「いさりの碑」です。