「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

童謡の世界。月の砂漠をはるばると、、🐫

2016-01-07 23:31:58 | 徒然日記
年なのかなあ、、いや👐、ワタシは普段は、もういくつ、とか、年だなあという言葉は使いたくないので意識して使わないようにしている。が、最近ちょっと淋しいのだ、心が。やけに昔の事を思い出すし、一歩先にあちらの世界へ旅立った人たちの事を本当によく思い出す、、。そして、今度は幼い頃よく聴いた童謡を思い出し始めたのだよ。、、さすがに気弱になる。年のせいかしら、、って。
でも、その淋しさとは別にして、童謡、好き。幼い頃父が月に一度かってきてくれたコロンビアの童謡シリーズ、、本当に心待し毎日毎日秋もせず聴いた。一枚に確か八曲位入っていたと思うが、繰返し聴いてるうちにその中でも特に好きな曲と言うのが出て来て、針を上げ(レコードですからあ)、その好きな曲のところに何回も下ろすのだ。特に好きな曲は、夢のお馬車と、月の砂漠。どちらも少し現実離れしているような歌詞だけど、だからこそ、すごく憧れた。まず、月の砂漠、、について。
月の砂漠を、、遙々と、、旅のお蔵が、、行きました、、金と銀との、、。うろ覚えなので間違っていたらすみません😅。今口ずさんでもなんて素敵な歌詞なのかしら!感動する。今日の夜行の時、もし月が見えたら、この歌を口ずさんでみるかな。🐫。そんなこんなで、午後の仕事、頑張る💪。素敵な金曜日。

写真は、今私が夢中で読んでるほんの背表紙。月が書いてあった。\(^o^)/!

淋しい話。年賀状📫

2016-01-07 22:29:38 | 徒然日記
年賀状を今年もたくさん頂きました。今年度から、大胆にも,好きなかたから順番に書いていき、あまり親交がなく、本当に挨拶だけの関係のかたにはかなりギリギリまで書くのを控えるという書き方をしてみた。もともとの出足が遅く、最終的には、大晦日にやっと仕上がるというのんびりぶり、、\(__)。来年はいくら何でももう少し早めに取りかかろう。
昨日は七草粥の日だったが、我が家はアサリの酒蒸しとニラ玉のおつゆ。←一応韮も草だからいいとしようじゃないか。あ、、今日はその話ではなかった。
昨日、いつもより少し遅く仕事から帰ってきたら、三枚ほど年賀状が届いていた。そのうちの2枚が、とてもとても淋しい賀状で、珍しく凹んだ。その二枚は、どちらも実家の(亡き)母の友人二人からのものであった。、、一人のかたは「昨年から体調崩して、もう外出もできなくなるだろう、、」という内容😢。母と同じ年、ということは八十代後半だものなあ、、。そしてもう一人のかたは、母の友人の中でも特に親しかった、もしかしたら一番の親友と言ってもよいくらいのかたからのものでした。母が亡くなってからもこのかたは、何かとジブンに気をかけて下さり、手紙や葉書をよく下さった。その内容の温かさと文字の美しさに、いつも感激し、感謝し、元気を頂いておりました。でも、昨年辺りから封書ではなく葉書になり「体調が優れない」「杖をつかないとあるけなくなりました」と言うようなことを、手紙や葉書の末尾にちらっと書いてくるようになったのです。そして、昨日届いたそのかたからの賀状に書かれた宛名の文字は、明らかにそのかたの筆跡とは異なるものでした。そして、メッセージもなく、ただ謹賀新年のバンコがポンとついてありました。例年の、絵手紙のような賀状ではなくなってしまったのです。、、哀しみというより、淋しさが胸に込み上げてきて、しばらく葉書を見つめたままボンヤリしてしまいました。そのかたとは実家が近いので、帰省するとたまに訪ねていたのですが、今年は帰らなかったので、それもできませんでした。おばさまが、今、どこでどうなさっているのかを、電話でご家族のかたに尋ねてみようかとも考えましたが、結局やめました。必要な情報は、必要なときにきっと入ってくるから。願わくば、もう一度お会いして以前のように美味しい日本茶を頂きながらお話をしたい。夏の帰省時にそれが叶うと信じます。
今朝はチラチラと雪⛄が降るなかでの朝行となりました。きれいな空に浮かぶ三日月🌙わかりますでしょうか。

満たされた金曜日に🐱。


優しさとは、、❔🐼🐱🐺

2016-01-07 07:56:21 | 月火水木金土日、、朝(時々夜)。゚+.(・∀・)゚+.゚
今朝は夢に母が出てきた。やっぱ嬉しいよね😃⤴母とは(当たり前だが)夢の中でしか会えないからな。その後、いつもより少し早く朝行に出た🚶。濃紺の空のなかに美しい三日月が姿を見せ、その下にキラキラ輝く星が雲に隠れたり出たりしていた。母の夢の事もあり、そこから様々なことが連鎖的に脳裏に甦ってきました。昔の色々なことを思い出してるうちに、優しさとはなんだろう❔ということに気持ちが動き、いつもの木を眺めながら様々なことを自問自答してみた。
優しいという言葉が、あまり好きじゃない。好きじゃないと言うより、本当の意味がよくわからないから、あまり口に出せないという方が正しいかも。わからない言葉だから、人からたまーに「優しいね」と言われると、かなり戸惑います。人が憂いる、で優。はあ、、憂という言葉の本来の意味を考えると、益々よくわからなくなるこの言葉(@_@)。ただ、、何もせず遠くから見守ることも優しさのひとつ、というのは何となくわかる気がする。見てるんじゃなく、見守る事は、できそうで意外とできないからな。このあたりまでで、朝行の時間は終わりに近づいたので、かんがえるのは一旦お仕舞いにした。時間は無限にありそうで、限られてるものだな。

今日も光✴輝く一日に。