今日の記事は、私のブログを長く読んで下さっている方に見て頂きたく書いてます。私の猫活動は、ブログで始まりました。初期のブログを読まずに、このPART7だけでは、私の考えや行動は理解はできないと思います。理解して欲しくて、ブログを書き続けているのではなく、私の猫活動を中継してきました。読み返せば自分としては、壮絶な経験をしてきた感があります。嘘無しで書いてます。ドキュメンタリーです。ただ読んで不快になる事件には、オブラート被せました。(オブラート知らない人いるかしら)
最近、Facebookのコメントで「死ぬと書かないで虹の橋を渡ると書いてはどうか」を受けました。「そうですね」と返しましたが、これについて語ると長くなるので、ここに書きます。言い訳では無いのです。私と猫の関係から説明しないと分からないと思うので、コメント欄には書けません。上手く説明できるように、箇条書きします。
1、虹の橋を渡るとの表現方法は、70才の私には馴染めないのです。
2、虹の橋を渡るの語源は、ペットが死んだ時に使う言葉だと認識しています。
3、私は自分の飼育する猫を、ペットと思っていません。もっと言うと、ペットと言う言葉が苦手。
4、飼育する猫と人との関係。個人個人で違うと思いますが、同居する家族と思う人が多いのかなと、想像します。
5、家族の猫と、飼い主は同等でしょうか?私は20数年、一人暮らしなので家族はいません。猫が家族とは思っていない。
6、私は一番最初に飼った猫は、パートナーと表現していました。自分と同じ時間を共有する、唯一無二な存在だと感じていました。
7、ただ、ここまで多くの猫と暮らすとパートナーではありません。猫は保護猫と呼び、自分は飼育者。
8、私がブログを開始した時期は「人と猫を同等に表現するのはダメ」と主張する人(ネット上で)がいました。
9、保護猫の貰い手を探すために「里親募集」と書くと、攻撃されるのです。
10、「里親の元で暮らす人は多い。その人と野良猫と同等に表現するのか!」との主張です。20年前の話ですが。
11、だから私は長く、里親と言う言葉を使いませんでした。「新しい飼い主さん募集」としていました。
12、他に野良猫と言う表現もダメで、「飼い主のいない猫」を使っています。たまにノラちゃんとは言いますが。
13、このような制限を受け、猫と人とを同等に書いてはいけないと、私の脳に刷り込みされました。
14、これだけブログが長いと、思いつくまま書いているような印象が有るかもしれませんが、使う言葉には、神経を使ってます。
15、他の方が、猫の死をどう書くのか見てみました。死ぬ、亡くなる、送る、見送る、空に帰る。虹の橋は多いです。
以上、結論はありません。私の場合は、今後も自分の好きな言葉で表現します。
ただ反省はあります。私の最近のブログ、Facebookは、病気と死ぬ話ばっかり。読む方にとっては、暗い話で申し訳ありません。書いている私も、楽しくは無いです。高齢になって行く場所は、病院と猫のお墓ばかり。楽しいことは、ほぼ無い生活してます。若いボラさん方が、不幸な命を救い、新しい飼い主さんへ譲渡し「猫が幸福になって良かった〜」の輝きの有る活動は、私にはありません。私はもう、それらを卒業したんです。
卒業していることを、知らない人には、伝えていかないといけないのかな。ブログ開始して来年で20年。Facebookは保護猫カフェ開店前だと思うから、やはり長い。プロフィールや活動の説明なんかを、書き直ししていかないといけない。とは、思っています。癌告知受けて1年と半年。荷物の整理と、処分は終わています。今はネット上に書き散らかした文章の、整理に入っています。高齢になると1日が終わるのが早いのです。なかなか進みません。でも死ぬまでに、なんとかせねばと思っています。自分が死ぬことで、他の方に迷惑をかけたく無いのです。それだけです。
ほらまた、死を連発。すみません。猫は高齢、私は癌。死ぬのが、当り前の生活しているので、遠慮なく書いてます。不快になられましたら、お許し願います。
ついでに言い訳書きます。ここ2年くらい何度かブログの中に、「病まない努力」と書いています。そう書くには理由があって、病みそうな状況があったからです。それらは保護猫カフェ運営時期に、始まっていました。まずは、お肉を食べることができなくなりました。理由は、家畜の悲惨な状態と、動物実験の実態を知ったからです。それが長く続いて、栄養状態が悪くなったのは確かです。猫活動においては、本当に辛いことが多く、悲しみをお酒で処理していました。その結果が、癌に繋がったと思っています。丈夫な身体が、ギブアップしたのです。身体が壊れて、精神は病まないですんだのかもしれない。うつ病には、なっていないと思います。ただ自分の過去ブログが、読めなくなっていました。死んだ猫の記事や、誹謗中傷された時期のブログとか、見たくないのです。逃避だと思います。逃避することで、病みそうな精神を守ってきたのだと思ってます。最近、お墓の帰りに石神井公園の前まで行きましたが、中に入る勇気が出ませんでした。公園内の隅々まで記憶しています。あの場所で、あの子(猫ですよ)を保護したとか、あの子が暮らしていたとか鮮明に覚えていて、それが辛いのです。公園内を散歩する余裕が出るには、かなりの時間が必要な気がしてます。まぁ自分が好きで始めたことの結果なので、自分で乗り越えます。
ブログの整理は終活です。自分の経験が少しでも、どこかで役に立つような形に、ならないか模索してます。大量のブログです。整理していくことで、長生きできそうな気もしています。温かく見守っていただけると嬉しいです。
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