まだ、「利休にたずねよ」という小説を、
一文一句読み落とさないよう、毎日少しずつ読んでいる。
ちょうど、”三毒の焔” という節を読み終えた。
三毒 とは、仏法と説く害毒で、
貪欲=むさぼり、瞋恚(しんに)=いかり、愚痴=おろかさ
の三つを言うらしいのだが、
人が道を誤るのは、この三毒が原因だと、言う。
この節のお話は、古渓宗陳について書かれているが、
最後に、利休が宗陳に、
人は誰しも毒をもっており、
毒あればこそ、生きる力も湧いてくるのではないか、
肝要なのは毒をいかに、志にまで高めるかではないか、
と説く。
その言葉が、とても私の心に響いた。
高きをめざして貪り、凡庸でることに怒り、
愚かなまでに励まば、毒が志に高まる、
ということである。
この数年、
設計という仕事に対し、
出産、育児、そして、屋敷のことなどで、
少しのブランクを感じていたところだったので、
この利休の言葉に、鞭打たれたような、
そして、何か心の奥底から奮い立たせてくれるような、
そんな衝撃が走った。
以前、何かの雑誌かなにかで、
年寄りの三種の神器というものがあって、
自慢、説教、愚痴 だという。
なるほどなーと思い、
三毒とは意味が違うのかもしれないが、
それも生きる力(もしかして毒?)なのかもしれない、
とふと思った。
年寄りの三種の神器は、
あまり気持ちの良いものではないが、
生きる力 だと思えば、
その毒も、受け手側が高めることができれば、
それが一番よいことなのかもしれない。
ともかく
「利休にたずねよ」が、単なる小説の域を超え、
私の中で、いろんな想いがめぐり、
大切に読み続けている。。。
(k.m)