週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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授かりもの

2010-10-05 23:49:00 | 法話のようなもの

先日、高校時代からの友人とお昼を食べに行った。

彼女は妊娠4ヶ月に入ったばかりの妊婦さん。
結婚2年目にして、待望の子宝に恵まれたことを喜びつつ、つわりもなく何ら変化のない体調に、いまだ現実味を感じてはいないようだった。

「子供を作る」
「子供ができた」

彼女との会話に何度も出てきた言葉。
誰もが、なんの違和感も抱くことなく、普通に使っているだろう。
私も、これまで何の疑問も感じずに、普通に口にしていた言葉。

けれど最近、その考え方でいいのだろうかと思い直す。
だから、5月に行った初参式の際に、進行役でありながら最後に自分の思いを付け足した。


どうぞ、今後ご夫婦の会話の中で、「この子を作った」「この子ができた」という言葉をお使いにならず、「この子を授かった」「この子を恵まれた」という言葉を使うように努めてください。

遠からず子供たちが、ご両親の会話を理解できるようになったとき、自分の命を「恵まれた命」「授かった命」として受け止めているのと、「作った」「できた」というような命として受けとめているのでは、天と地ほどの差があると思います。

そして、ご夫婦自身もそうした言葉遣いの違いを通して、子供の命の受け止め方が違ってくるはずです。


子供は作るのではなく、授かるもの。
親が、子供は自分の所有物ではなく、仏さまから預かった大事な大事な命と受け止めることで、我が子への接し方も変わってくる。
そういう環境で育った子供が、自分の命を通して他の命の重みを知ることができるのなら、友達の命も、今まで気にも留めていなかったあらゆる命もまた、自分と同じ「授かった命」と受け止めることもできるのかもしれない。

言葉一つで全てが変わることはないけれど、何かはきっと変わるはず。
小さな心掛けは、ときに世界観をぐるりと変えるほどの大きな波を起こすこともあるということだ。

友人の授かった命が、この世に生まれ出でたとき。
その見えない目に、自分の誕生を心から願った両親の顔が一番に映ることを、ただ祈る。

きっと赤ちゃんは、親と出逢えた喜びに、大きな歓喜の産声をあげるのだと思うから…。

さて、私は最近、「二人目はまだ?」という親切な催促をよくいただくようになった。
有り難いのだが、こればかりは授かりものなので…、どうぞ仏さまにお尋ねください(笑)