龍くんが寝静まった後、映画『大奥』のレイトショーを観にいった。(1人で)
原作は、よしながふみの漫画。
予告CMにもあるように、男女が逆転した大奥が舞台。
時は江戸時代、三代将軍・家光の時世に突如、謎の奇病が蔓延する。
その病は男性(特に男児)にのみ発症し、10人中8人は死に至る感染病。
同時に男児の出生率も低下したため、男子の人口の割合は女子の4分の1にまで低下する。
男性が担ってきた仕事は、自然と女性の仕事として定着する。
だからといって、男性が女性の仕事をするというわけではない。
男性に求められたのは【子種】という一点のみ。
ゆえに男性は、環境によっては丁重に扱われるが、多くは金蔓(かねづる)として扱われるという、ある種殺伐とした世の中が舞台。
映画は、そういう意味での男女逆転に違和感が薄れた8代将軍・吉宗の時世。
当然、将軍も大名も全てが女性で、反対に大奥には溢れんばかりの男性が将軍の渡りを待っているという設定。
「女は怖い」
「男は怖い」
大奥の男達は、将軍職に絡む女達に対して。
将軍や側用人の女達は、大奥の男達に対して。
それぞれが、それぞれを「怖い」と言う。
男と女、それぞれの性別の人間だけが集ると、時に陰湿で、時に陰惨な出来事が起こる。
それは会話だけの場合もあるけれど、それでも十分、人を陰鬱な方へと追い込むことがある。
男女の立場が逆転し、男として、女としての価値観が崩れようとも。
男が女々しくなるのでもなく、女が雄雄しくなるのでもなく。
ただ、男と女がそれぞれに持つ、嫉妬や憎悪といった感情の発露の方法というものが、そのまま残っているというところに、妙なリアリズムを感じずにいられなかった。
原作では、8代将軍・吉宗が、女性が女の名前を持ちつつ男名を名のり政務に就く違和感を感じ、3代将軍までは男性だった事実を知ったところで、話が家光の時代に遡る。
そうすることで、世の中が男女逆転してしまった経緯と、男児のいない将軍家の葛藤が描かれ、さらには男のみの大奥誕生の意義を知ることができたのだが…。
映画では、そこらへんは全て削除され、「もし大奥が男だらけだったら」というシリアスな娯楽作品になってしまっていたのは残念。
だが、そこに重点を置くことで、閉鎖空間における男性の歪んだ人間関係と、吉宗の女性であるがこその配慮が、逆に将軍としての資質を際立たせたということを伝える効果はあったかもしれない。
個人的には、大奥総取締役が一向に大奥へと足を向けない将軍への不満を、将軍の側用人にまくし立てたときの応酬が、一番印象的だった。
「上様はいったい何を考えておられる!?」
「この国の行く末を」
私も最乗寺のこれからを考えなくてはならない立場にあるため、まったくもって耳が痛い。