週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

用法は正しく使いましょう

2010-10-16 00:18:39 | ひとりごと

まとめて買う方が安いため、息子のオムツは箱買いする。
その箱の上面にはこんな言葉が書かれている。

「注意!カッターナイフ 投げないでください」

…思わず「なんじゃそりゃ!?」とツッコミを入れたくなるような文句。
奇想天外なドラマの最後に、「このドラマはフィクションです」というテロップが入るくらいの違和感がある。

当然、「投げないよ」と笑って箱を開けるのが常だけど。
カッターの刃が出てる出てない、人に向ける向けないを問わないなら、絶対投げないとは断言できない自分がいる。

腹が立って、思わず何かを投げたりとか。
誰しも、抑えられない激情があって、コントロールできない衝動があったりする。

【四苦八苦】という言葉がある。

日常会話でも使うけど、もともとは仏教の言葉で、合わせて8つの苦しみの総称。
その中に、【五蘊盛苦(ごうんじょうく)】という苦しみがある。
これは、人が心と身体を持つがゆえに生じる苦しみのこと。
そして、心と身体が思い通りにならない苦しみでもある。

思わず動いてしまったことなら、誰にでもあるだろう。
結果のことまで考えず、身体が勝手に動いてる。

そこに激情と衝動が加わったら。
物を投げたいわけではないけれど、投げずにはいられない。
投げてはいけないと心が止めても、身体が勝手に動き出す。

その激情と衝動が、人に向かうか向かわないかは、人間性の良し悪しだけでは決められない。
常に人を傷つけようと考えている人だけが、人を傷つけているわけではないから。
思わず手を振り上げた瞬間があったとして。
そのとき、その人が、一体どんな状況にあったのかという「縁」次第でもあるということ。

だから、全てを他人事に聞き流すのではなくて、まずは他でもない自分自身が、心に反して身体が動く人間であるということを自覚するのが一番大事。

仏教の苦しみとは、思い通りにならないものを思い通りにしようとするときに生じるもの。
五蘊盛苦という苦の存在に気付かないまま、思い通りにならない心身を思い通りにできると考えながら生きるのは、本当はとても怖いことのように思えた。

きっと私は、「カッターナイフを投げないで」という文言を見るたびに笑って済ますことで、今どれだけ平穏な日常を過ごしているのかということを、再確認しているのかもしれない。
再確認できるうちは、決して人を傷つけることはないと信じて…それこそが五蘊盛苦という苦の根本にある「我が身を思い通りにしよう」という意識であると自覚しつつ、けれど思わずにはいられない自分が、ここにいる。


映画『大奥』 観賞と感想

2010-10-12 00:34:53 | ひとりごと

 
龍くんが寝静まった後、映画『大奥』のレイトショーを観にいった。(1人で)

原作は、よしながふみの漫画。
予告CMにもあるように、男女が逆転した大奥が舞台。

時は江戸時代、三代将軍・家光の時世に突如、謎の奇病が蔓延する。
その病は男性(特に男児)にのみ発症し、10人中8人は死に至る感染病。
同時に男児の出生率も低下したため、男子の人口の割合は女子の4分の1にまで低下する。

男性が担ってきた仕事は、自然と女性の仕事として定着する。
だからといって、男性が女性の仕事をするというわけではない。
男性に求められたのは【子種】という一点のみ。
ゆえに男性は、環境によっては丁重に扱われるが、多くは金蔓(かねづる)として扱われるという、ある種殺伐とした世の中が舞台。

映画は、そういう意味での男女逆転に違和感が薄れた8代将軍・吉宗の時世。
当然、将軍も大名も全てが女性で、反対に大奥には溢れんばかりの男性が将軍の渡りを待っているという設定。

「女は怖い」
「男は怖い」

大奥の男達は、将軍職に絡む女達に対して。
将軍や側用人の女達は、大奥の男達に対して。
それぞれが、それぞれを「怖い」と言う。

男と女、それぞれの性別の人間だけが集ると、時に陰湿で、時に陰惨な出来事が起こる。
それは会話だけの場合もあるけれど、それでも十分、人を陰鬱な方へと追い込むことがある。

男女の立場が逆転し、男として、女としての価値観が崩れようとも。
男が女々しくなるのでもなく、女が雄雄しくなるのでもなく。
ただ、男と女がそれぞれに持つ、嫉妬や憎悪といった感情の発露の方法というものが、そのまま残っているというところに、妙なリアリズムを感じずにいられなかった。

原作では、8代将軍・吉宗が、女性が女の名前を持ちつつ男名を名のり政務に就く違和感を感じ、3代将軍までは男性だった事実を知ったところで、話が家光の時代に遡る。
そうすることで、世の中が男女逆転してしまった経緯と、男児のいない将軍家の葛藤が描かれ、さらには男のみの大奥誕生の意義を知ることができたのだが…。

映画では、そこらへんは全て削除され、「もし大奥が男だらけだったら」というシリアスな娯楽作品になってしまっていたのは残念。
だが、そこに重点を置くことで、閉鎖空間における男性の歪んだ人間関係と、吉宗の女性であるがこその配慮が、逆に将軍としての資質を際立たせたということを伝える効果はあったかもしれない。

個人的には、大奥総取締役が一向に大奥へと足を向けない将軍への不満を、将軍の側用人にまくし立てたときの応酬が、一番印象的だった。

「上様はいったい何を考えておられる!?」
「この国の行く末を」

私も最乗寺のこれからを考えなくてはならない立場にあるため、まったくもって耳が痛い。


築地本願寺にて「お待ち受け法要・女性のつどい」

2010-10-09 01:43:14 | 近況報告
昨日、築地本願寺にて、東京教区主催の「親鸞聖人750回忌大遠忌お待ち受け法要・女性のつどい」がお勤めされました。
法要の合間には、女性の集いならではの手作り市「ダーナ・ショップ」が39店も出店され、売り手の掛け声に答える買い手のやりとりが本堂内に響き渡って、とても賑やかな雰囲気でした。

神奈川組からは坊守会の会長をされている善然寺さんが中心となって、手作りのお念珠入れやお経本カバー、手打ち蕎麦を販売。
縫い物は有志の坊守方とご門徒のご婦人方が協力して作られ、お蕎麦は善然寺さんの蕎麦打ち会のメンバーが集って、早朝6時からお蕎麦を打って下さったそうです。

今回のお待ち受け法要のテーマは【あなたが伝える食卓】。

仏教と食についての講義や、映画『ブタがいた教室』の上映などを通して、「食」という生きる上では決して切り離せない行為を、仏教という視点で考える良いご縁となる…予定でした。

実際のところ、私は龍くんと一緒にお参りしたので、残念ながら会場の空気を味わう程度で中座。
眠いのと、いつもと違う空間にグズだし、グネグネ暴れる龍くんを横抱きにして退場しました。
(おかげで写真も撮れず)

次の機会を期待しても、次はなし。
もしかしたら50年後に…という期待は、明日とも知れぬ我が身の条理を思うと、なかなか大それた願いのようですので、やめておきましょう。
何ごとも一期一会。
龍くんとお参りにゆけただけで、素敵な記念になりました。

神奈川組の皆さま、何もお手伝いできず、申し訳ありません。
本当にお疲れ様でした。


授かりもの

2010-10-05 23:49:00 | 法話のようなもの

先日、高校時代からの友人とお昼を食べに行った。

彼女は妊娠4ヶ月に入ったばかりの妊婦さん。
結婚2年目にして、待望の子宝に恵まれたことを喜びつつ、つわりもなく何ら変化のない体調に、いまだ現実味を感じてはいないようだった。

「子供を作る」
「子供ができた」

彼女との会話に何度も出てきた言葉。
誰もが、なんの違和感も抱くことなく、普通に使っているだろう。
私も、これまで何の疑問も感じずに、普通に口にしていた言葉。

けれど最近、その考え方でいいのだろうかと思い直す。
だから、5月に行った初参式の際に、進行役でありながら最後に自分の思いを付け足した。


どうぞ、今後ご夫婦の会話の中で、「この子を作った」「この子ができた」という言葉をお使いにならず、「この子を授かった」「この子を恵まれた」という言葉を使うように努めてください。

遠からず子供たちが、ご両親の会話を理解できるようになったとき、自分の命を「恵まれた命」「授かった命」として受け止めているのと、「作った」「できた」というような命として受けとめているのでは、天と地ほどの差があると思います。

そして、ご夫婦自身もそうした言葉遣いの違いを通して、子供の命の受け止め方が違ってくるはずです。


子供は作るのではなく、授かるもの。
親が、子供は自分の所有物ではなく、仏さまから預かった大事な大事な命と受け止めることで、我が子への接し方も変わってくる。
そういう環境で育った子供が、自分の命を通して他の命の重みを知ることができるのなら、友達の命も、今まで気にも留めていなかったあらゆる命もまた、自分と同じ「授かった命」と受け止めることもできるのかもしれない。

言葉一つで全てが変わることはないけれど、何かはきっと変わるはず。
小さな心掛けは、ときに世界観をぐるりと変えるほどの大きな波を起こすこともあるということだ。

友人の授かった命が、この世に生まれ出でたとき。
その見えない目に、自分の誕生を心から願った両親の顔が一番に映ることを、ただ祈る。

きっと赤ちゃんは、親と出逢えた喜びに、大きな歓喜の産声をあげるのだと思うから…。

さて、私は最近、「二人目はまだ?」という親切な催促をよくいただくようになった。
有り難いのだが、こればかりは授かりものなので…、どうぞ仏さまにお尋ねください(笑)


今週の行事

2010-10-02 00:44:37 | 行事のご案内
さて、月が変わりました。
10月と聞くと、なんとなく今年も終わりに近づいたなぁという気がしてきます。

今週は、火曜日にあざみ野駅近くの西勝寺にて仏壮の勉強会が、木曜日にセンター北駅近くの長徳寺にて仏婦の研修会がありました。

仏壮とは「神奈川組仏教壮年会」の略。

入会者は神奈川組のご門徒さんで、男女を問わず、年齢は40歳代から上限なし。
仏教・真宗について学びつつ、懇親にも力を入れている会です。
現在は2ヶ月に1度、南区の宣正寺のご住職・早島大英先生が講師となり、『歎異抄』の勉強会を行っています。
神奈川組のいろんなお寺が会場に当てられているので、お寺巡りにいかがでしょうか?
11月には年に1度の仏壮行脚があり、今年は伊豆の伊東でお寺巡り&観光という日帰り旅行を楽しめる企画も控えています。

仏婦は「神奈川組仏教婦人会連盟」の略で、「めぐみ会」という名称があります。

こちらも入会者は神奈川組のご門徒さんで、もちろん女性であることが第一条件。
春秋の2回ほど、講師をお招きした研修会が開かれます。
今回は、弘明寺駅近くの善然寺の坊守様・長谷山美菜子先生による音楽法要の練習と、布教使さんによる法話をいただきました。

どちらも、ご門徒さんが中心となって運営されている会です。
本来ならば、神奈川組のではなく最乗寺の仏壮・仏婦を正式に設立するべきところ。
近い将来、皆さまのお力添えをいただけたらと考えていますので、その時はどうぞ宜しくお願いいたします。

仏壮も仏婦も会場となるお寺まで、最乗寺から車で送迎していますので、興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください。


追記…龍くんの熱は無事下がりました。
     けれど、鼻水は相変わらず滝のように流れ出て、部屋中を汚染してくれています。
          あと少し…頑張れっ、龍くん!