酒田散歩シリーズですが、今回は酒田のシンボルとも言うべき「山居倉庫」を歩きます(ただし屋外だけ)
山居倉庫については「ブラタモリ」でも取り上げましたので、全くもって「今更何もない」という状況ではありますが
この1893年に建てられた巨大な米倉庫が観光地化したのは、平成16年に手前の2棟を観光物産館「夢の倶楽」として改修してからで
それまでは庄内米資料館だけはあったものの、米の倉庫としてのみ利用されていました。
まずは新井田川にかかっている「さんきょ橋」ですが、駐車場が夢の倶楽に隣接しているので、あまり渡る人はいないような気が・・
観光船も見えますね
ちなみに、ウチの母親は実家が農家だったこともあり、この倉庫に米を出荷しに来たそうです
現在の「さんきょ橋」は近年に作られたもので、戦前はこんな感じだったようです。
(先日紹介した「海洋センター」にこの写真が展示されていました)
一般的にはあまり紹介しない西側からの倉庫の全景です
一番西側にある一棟は「庄内米歴史資料館」として利用されています(入場は有料)
「さんきょ橋」の倉庫側、「このはしわたるべからず」とは書いていません
倉庫の反対側(新井田川の側)にある「東宮殿下行啓記念館」、くわしい来歴は知りません
昔はここから荷揚げ、荷下ろしをしたんでしょうか
「東宮殿下行啓記念館」のところから倉庫の反対側へ抜ける道があり、そこには「二重屋根」の説明があります
ここをさらに進むと、突き当りには「山居稲荷」があります
ここから左を見ると、写真やドラマの撮影で使われる倉庫裏側のケヤキ並木があります
一般的には駐車場(東側から撮影しますが、今回はあえて西側から撮影しています
新内橋から見るとこんな感じです
新井田川の対岸からはこんな感じですね
ちょっと定番すぎて面白味に欠ける散歩でした
山居倉庫については「ブラタモリ」でも取り上げましたので、全くもって「今更何もない」という状況ではありますが
この1893年に建てられた巨大な米倉庫が観光地化したのは、平成16年に手前の2棟を観光物産館「夢の倶楽」として改修してからで
それまでは庄内米資料館だけはあったものの、米の倉庫としてのみ利用されていました。
まずは新井田川にかかっている「さんきょ橋」ですが、駐車場が夢の倶楽に隣接しているので、あまり渡る人はいないような気が・・
観光船も見えますね
ちなみに、ウチの母親は実家が農家だったこともあり、この倉庫に米を出荷しに来たそうです
現在の「さんきょ橋」は近年に作られたもので、戦前はこんな感じだったようです。
(先日紹介した「海洋センター」にこの写真が展示されていました)
一般的にはあまり紹介しない西側からの倉庫の全景です
一番西側にある一棟は「庄内米歴史資料館」として利用されています(入場は有料)
「さんきょ橋」の倉庫側、「このはしわたるべからず」とは書いていません
倉庫の反対側(新井田川の側)にある「東宮殿下行啓記念館」、くわしい来歴は知りません
昔はここから荷揚げ、荷下ろしをしたんでしょうか
「東宮殿下行啓記念館」のところから倉庫の反対側へ抜ける道があり、そこには「二重屋根」の説明があります
ここをさらに進むと、突き当りには「山居稲荷」があります
ここから左を見ると、写真やドラマの撮影で使われる倉庫裏側のケヤキ並木があります
一般的には駐車場(東側から撮影しますが、今回はあえて西側から撮影しています
新内橋から見るとこんな感じです
新井田川の対岸からはこんな感じですね
ちょっと定番すぎて面白味に欠ける散歩でした
近くのスーパーというと恐らくは県内最大手の「○マザワ」だと思いますが
水を加えて型に入れる・・・、酒田の名物では思い浮かびませんが、粉で水を加えるというと、「だんごの粉」くらいしか思い浮かびません。
で、売店で土産を買おうとしたのですが、これはというものがありませんでした。そこで、何とか地元の品と思い、近く(?しっかり覚えてません)のスーパーを物色していたら、不思議な粉を売っていました。詳しいことは覚えていないのですが、水を加えて型に入れておくと固まり、お菓子になりました。おいしかったです。品物の名称、不明です。もう一度食べてみたいのですが、何か手掛かりはないでしょうか?
ま~、山居倉庫については数多く紹介されていますので、今更ワタシがどうこうといった感じではないんで
とりあえず別アングルでの紹介にしてみました。
昭和39年の新潟地震の頃、ワタシの父親が勤めていた会社がここから近く
父親から聞いた話では、地震発生後に新井田川の水が引いていったが、幸いにしてなにも無かったということです。
「さんきょ橋」や一般的にはあまり紹介されていない西側からの倉庫の全景なども紹介されていて、新鮮味を感じました(^-^;
うまいこと観光名所にしたのは施設の維持という点でも良かったのかも知れません。
こちらも一度行ったことがあります。
大きな区画で当時のままの建物が良く
残っていますね。
北前舟の寄港地としての繁栄がわかりますね