Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

酒田をちょっと散歩 28(今町界隈)

2020-09-09 21:27:21 | 散歩
 このところ9月とは思えない暑い日が続いており、散歩どころではないんですが
とりあえずちょっとだけ紹介したいと思います。

江戸後期、酒田には三カ所の遊廓街があり(茶屋と呼ばれた)、文化10年に今町に37軒、船場町に36軒が公認され、さらに文化4年には高野浜(現在の新町)にも何軒かが
公認されています。この三カ所の遊廓街は「酒田町三遊所」として諸国に名を知られていました。
その後、明治27年の庄内地震で今町と船場町の遊郭街が大きな被害を受けたことから、遊廓はすべて新町へ移転しています。
さて、そんな今町界隈をちょっとだけ歩いてみました。
まずは通称「今町の弁天さん」と呼ばれる厳島神社です

今町はその昔は酒田三遊所の筆頭だったようで、花柳界のあつい信仰をあつめたのがこの神社だったようです
↓は厳島神社の狛犬さんです

続いては子守地蔵尊の横にある共同井戸、現在はコンクリートで蓋がされています

その向かいにあるレトロな佇まいの「池田鶏肉店」

地持院横の細い小路

そこを抜けた所にある、これも恐らく共同井戸ですが、こちらはまだ木製の枠が残っています

ここをさらに進むと、御厄介になりたくない裁判所の横に出ます

今町の大きな交差点(変形五差路)の北側にある「善導寺」


ついでながら、時代ははっきりしないものの新町の遊廓の賑わいの判る画像です。

(画像は無断借用です、スミマセン・・・)

北前船で栄えた江戸時代、米商人が大きな財を得て繁栄した明治時代、当時の酒田は今では考えらえないほど繁栄していたことが判りますね。




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
酒田の人さんへ (Dr.K)
2020-09-10 10:17:19
酒田は、江戸時代は北前船で栄え、明治時代は米商人の財で繁栄したんですね。
かつての遊郭街などが、その面影を今に伝えますね。
何時の日にか、また、栄えるかもしれませんね。その時は、今度は何で栄えるのでしょうか、、、?
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Unknown (遅生)
2020-09-10 17:31:47
花街が3つもあったとは、さすが酒田ですね。

鶏肉屋さんのフライドチキンをかじりながら、こういう町をぶらぶらする・・・ディープな旅ができそうです。
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Dr.kさんへ (酒田の人)
2020-09-10 23:07:55
若い頃は興味のなかった郷土の歴史ですが、調べていくと興味深いことが多いようです
今のところ酒田は他の地方の市と同じで人口減が進んでおり
かなり厳しい状況になりつつあるようです。
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遅生さんへ (酒田の人)
2020-09-10 23:10:21
花街が三カ所もあった時代に生まれたかったような、そうでもないような・・・
いずれにしても、金持ちの旦那衆が結構居たということなんでしょうか。
古い町の痕跡を探すのは楽しいですが、徐々に失われて行くのも現実のようです。
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