今日も天気はイマイチでしたが、遊佐町にある「鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮」へ行って来ました
ここは上寺と呼ばれる地区で神社やお寺、宿坊が集まっています
これは二の鳥居で、ここを上って左側に本殿があります
出羽一之宮
三の鳥居をくぐると本殿です
大きさが伝わりませんが、横から見ると結構大きな社殿であることが判ります
「さざれ石」とは何でしょうか?
「君が代」に詠まれている「さざれ石」だそうですが、岐阜県で発見されていたとは知りませんでした
この急な階段を上ると昔拝殿があった場所へ行けるようですが、雨が降って来たのでパスしました
大物忌神社の隣にある龍頭寺、ユニークな仁王さんが目印です
宿坊を営んでいた場所がいくつかありますが、これは「南之坊」
「宝泉坊」
美しい庭園があることで知られる山本坊
タイミングとしてはイマイチでしたが、庭園の見事さは伝わるでしょうか
遊佐町の天然記念物に指定されている「山本坊のツバキ」
歌人として活躍した鳥海昭子さんはこの山本坊の生まれで、彼女の歌碑がありました
「季外れて咲くタンポポの小さゝよ、それでいいのよ、それでいいのよ」
鳥海山大物忌神社は三つあり、本社は鳥海山の山頂にあり、今回紹介した蕨岡の他に、同じ遊佐町の吹浦にもあります。
その中に、「矢部駿河守定謙」という人物が出てきましたが、全く知りませんでしたので、ネットで調べてみました。
江戸後期の旗本で、奉行を務めた人なのですね。
没後は、庄内藩復領の恩人として祭神に祀られたとか。
それにしても、「さざれ石」の発見が昭和36年だったとは、、、!
こんな古いいわれのある石が、昭和36年まで発見されていなかったのですかね、、、?
でも、どうして、三重県の何某さんが、岐阜県のさざれ石を、山形県の神社に奉納したのでしょう(^^;
さざれ石自体、どうってこともない地味な石です。ころがっていても気が付きません。なぜこの石を有難がるのか理解できません。多分、小さな石が長い年月の間に固まって大きな石(岩)になったからでしょう。国民統合の象徴?
伊吹山麓には、他にもっと見栄えのする石が多くあります。揖斐川支流の河原を探し歩くと、名石を発見することが出来ます(^.^)
この場所へは40年ぶりに行ったんですが、今回新たな発見でした。
昔と違ってネットで調べられるので、まったく知らなかった人物について知ることができますよね。
この宿坊の多さが物語っているように感じます。(今は静かな部落ですが)
「さざれ石」の件、岐阜県・・という表記があったので
遅生さんなら詳しいかも知れないと思い、取り上げてみた次第です。
地元ではなんてことない石なんですね・・・
ま~、「君が代」の歌詞の意味なんてのは学校では教えませんので
「さざれいしの・・・」が「さざれ石の」
ということ自体知らないのが現実です。