Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

酒田をちょっと散歩 25(船場町の旧家)

2020-07-05 22:45:20 | 散歩
暫くぶりの散歩シリーズですが、今回はチョイネタです
昔、船場町にはワタシの勤務先の会社の事務所があり(現在は惣菜と鮮魚の加工センターがあります)
本部が移転するまでの5年間、毎日通っておりました。(19歳~23歳の頃です)
そんな訳で特に興味を惹かれる場所ではなかったんですが、ちゃんと歩いてみるといろいろと発見があることに気づきました
そこで今回は、船場町の旧家(通りを挟んで隣同士ですが)を2軒紹介したいと思います。

まずは昔から写真館をしている、その名も「秋野写場」の建物です

上の画像は母屋ですが、このお宅は広い敷地があり、同じ敷地内には別の大きな木造の建物があります

母屋の後ろには大きな土蔵がありますが、今はこんな状態です。こういった建物を維持するのは極めて大変であろうことは想像できますね


続いては通りを挟んで西側にある、「荒木米穀店」さんです

このお宅はアカデミー外国語映画賞を受賞した、「おくりびと」のロケでも使われましたが
敷地内には↓のような立派なお社があります。一般のお宅でここまでの建物は珍しいのでは・・・

建物の西側にはこのようにタブノキが植えてありますが、これは海に近いことから風よけを目的としているんだと思います


ちなみに、日和山公園に、「荒木彦助」という明治~大正期に活躍した郷土の偉人の銅像があります

この方はの活躍や功績はコチラのサイトで詳しいですが
ワタシは以前から荒木米穀店さんと荒木彦助さんの関係について知りたいと思っていました。
荒木米穀店はウチの会社の取引先ですし、御主人とも面識があるんですが、直接聞くわけにもいかず、どうしようかと思っていました。
そこで先日、荒木米穀店とも親戚関係のあるウチの会社の会長さん(御年96歳)に、恐る恐る聞いてみました
すると会長さんは、「荒木彦助さんは昔の清水屋デパート(現在のパイレーツビル)のところで米の取引をしていた人で、荒木米屋さんはその分家だ」、と教えてくれました。
さらに会長さんは、「あの銅像は戦時中に金属の供出で一回なくなったんだが、戦後に復活させることになって、俺が発起人をやったんだ」
と、なにやら楽しそうに話してくれました。
いやはや聞いてみるもんだな、と改めて思った次第です。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.kさんへ (酒田の人)
2020-07-06 22:48:05
「写場」なんですよね~
ちなみにネットで「写場」を検索するといくつかヒットしますんで、いまだに「写場」と名乗っている写真屋さんが
そこそこ存在することが判りました。
昔のことはお年寄りに聞くのが早道なのは確かですが、勤務先の会長さんとなると
意外にタイミングが難しく、やっと実現した次第です。
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遅生さんへ (酒田の人)
2020-07-06 22:42:31
古い家を維持していくのはとても大変なのは素人目にも判りますよね~
日常的に暮らすために二階を増築したんだと思いますが、建て替えという選択肢を取らなかったのは
やはり古い家に愛着あったからなんでしょうね。
故玩館のリフォームの様子を遅生さんの著書で再見させていただきましたが
やはりただ事ではないエネルギーと費用が必要であることを再認識しました。
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酒田の人さんへ (Dr.K)
2020-07-06 16:03:03
なるほど、写真館の名前が「秋野写場」ですか! 「写場」とは、そのものズバリのネーミングですね(^^;

酒田には、まだまだ、いろいろと古いものが残っているんですね。

明治~大正期に活躍した郷土の偉人の「荒木彦助」という方と荒木米穀店との関係が分かってよかったですね(^-^;
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unknown (遅生)
2020-07-06 06:24:21
どこか懐かしい風景ですね。
特に、一枚目の写真、明らかに母屋に二階を増築しています。こういうのは珍しいですね。願わくば、全体がマッチするように改修して欲しかった。
かく言う故玩も、最上部に通風、採光、眺望を兼ねた展望楼を付け加えればよかったと、10年たった今でも悔やんでいます(^^;
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