今日は午後から雨が降る予報だったんですが、何故か天気が良かったので、30数年ぶりで旧松山町(現在は酒田市)の總光寺へ行って来ました
まずは總光寺へ行く途中にある松山歴史公園へ寄り道です
山形県指定の文化財になっている「松山城大手門」
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大手門を入った中にあるお堀ではスイレンが咲き始めていました
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茶室「翠松庵」
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松山歴史公園から車で少し上っていくと曹洞宗のお寺「洞瀧山 總光寺 」がありますが、まずはこの寺のシンボルと言える「キノコスギ」が出迎えてくれます
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キノコスギについて説明板がありました
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結構な老木であることが判りますね
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この唯一無二の参道を進むと、酒田市の指定文化財になっている「總光寺 山門」が見えて来ます
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さらに進むと山門の全体像が見えて来ます
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總光寺は南北朝時代の1384年に開山したようですが、山門は三年の月日を費やし、1811年に建立されたそうです
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なかなかの造りですね
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山門をくぐると本堂が見えてきます
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本堂の中、そして本堂の裏側に見所がありますが、続きは次回です
老木なのに、若い木のように見えるんですね。手入れが良いからでしょうか、、、(^_^)
この山門は立派ですね(^-^*)
總光寺、松山城ともに山門がすごいです。
私にはよくわかりませんが、このあたりは古くから栄えた場所だったのでしょうね。
その理由は、米作の中心地?交通が便利?
その価値を高めているのは確かですよね
歴代の住職によって手入れされてきたということですので、それなりの規模のあるお寺
でなければ維持できなかったのかも知れません。
鶴岡の善宝寺もそうですが、近くにこういった場所があっても、あまり行く機会がないのは、「いつでも見れる」という思いが強いからでしょうか。
お城そのものは江戸中期末に作られた(勿論、天守や櫓はない)ということですが
初代の藩主は庄内藩の藩主酒井忠勝の三男だっようで、庄内藩から二万石を分与されたのは始まりとか。
近くを最上川が流れていますので、小藩とはいえ存在価値は高かったんでありましょうか。