「古伊万里」のカテゴリーで書いていますが、今回の品は伊万里ではなく、「大聖寺」です
遅生さんのところで大聖寺伊万里の豪華な8枚組が紹介されていたので、「よっしゃ!、大聖寺を掲載するにはこのタイミングしかない」
という訳で登場することと相成りました。
いわゆる「元禄写し」でありまして、下の画像で判るように「花銘」まで写してあります
この品、買った時は無傷だったんですが、「大聖寺」ということで雑に扱った結果、一箇所ホツを作ってしまったという
まったくもって不幸な運命を辿ってしまいました。(すまんことで・・・)
さて、この品ですが元禄時代に焼成された本歌が存在しておりまして、その品は小木先生の
「新集成伊万里」の257頁に「松竹梅菊花文皿」として掲載されています。
なかなか上手に作られた写し物ですが、本歌は直径が24cmの八寸皿であり、ウチの大聖寺よりひと回り大きく
さらに、見込み周囲の染付の部分の発色があからさまに違っています。
全体に本歌の持つ品の良さが感じられないような気もしますが、ホツは自分で直して普段使いという道を辿りそうです。
(しかしワタシは不器用なので道は険しそうですな・・・)
遅生さんのところで大聖寺伊万里の豪華な8枚組が紹介されていたので、「よっしゃ!、大聖寺を掲載するにはこのタイミングしかない」
という訳で登場することと相成りました。
いわゆる「元禄写し」でありまして、下の画像で判るように「花銘」まで写してあります
この品、買った時は無傷だったんですが、「大聖寺」ということで雑に扱った結果、一箇所ホツを作ってしまったという
まったくもって不幸な運命を辿ってしまいました。(すまんことで・・・)
さて、この品ですが元禄時代に焼成された本歌が存在しておりまして、その品は小木先生の
「新集成伊万里」の257頁に「松竹梅菊花文皿」として掲載されています。
なかなか上手に作られた写し物ですが、本歌は直径が24cmの八寸皿であり、ウチの大聖寺よりひと回り大きく
さらに、見込み周囲の染付の部分の発色があからさまに違っています。
全体に本歌の持つ品の良さが感じられないような気もしますが、ホツは自分で直して普段使いという道を辿りそうです。
(しかしワタシは不器用なので道は険しそうですな・・・)
でも、こうやって本歌の図録と見比べてみても、やはりなかなかの物ですね。どっちがどっちかわからないです。
私なら、確実に手をだして、立派な桐箱しつらえて、秘蔵品にするでしょうね(^+^;)
画像からだけでは、大聖寺とは分かりませんね。
どちらが本歌なのか分かりませんね。
このよう、図録に載っていると、むしろ、図録に載っているものとそっくりなのだから、本物のの古伊万里に違いないと思い込む方が多くなるんでしょうね。
染付と色絵の釉薬の色あいが違いますね。
こうして並んでみると良くわかりますね。
出来の良い品はなかなかのもので、値段も安いですから生活骨董ではイケるように思います。
とは言え、妙に豪華な器というのは普通に」料理を盛るには向かないようにも感じます。
この品を最初から「大聖寺」として扱っていた四国の業者さんは
そういった点では良心的であったとも言えるように思います。
ワタシがこの品を入手したのは20年近く前で、まだ伊万里も大聖寺も良く判っていない頃でしたので、「伊万里」と表示されていたら
ずっと伊万里だと思っていたかも知れません。
ここまで見事に写されているということは、大聖寺に本歌があったということになるんでしょうか。
いかにして元禄古伊万里が大聖寺にもたらされ、そしてそれの写しが何故大量に作られたか
経済的な理由が大きいようには思いますが、興味をそそられる部分です。
図録(本歌)の写しを持っておられるなんて、なかなかありませんものね。
大聖寺の赤や藍色は、濃い色合いのものが多く、このお皿は優しい色を出していて、品よくまとまっていると思います。裏が可愛い。
何分にも伊万里の図録は結構しますんで、古本で安く入手したものです
まさか自分の持っている大聖寺の本歌が掲載されているとは思わず、「あれっ、どっかで見た皿」というのが最初の印象でした
ミーコさんのところでは大聖寺について勉強した覚えがあります。(太明庵時代だったでしょうか)
確か、どれが大聖寺かを当てるクイズがあったような・・・
あの頃は今よりずっと伊万里に情熱を持って接していたように思います。