さて今シーズンは、久しぶりに、仕込みの時期の國権(南会津)を訪ねることになりそうです。
その目的のひとつは、私達の”吟醸会”のベース基地の東屋のテルさんのご長男の光っちゃんと國権の仕込みを一緒に見せてもらうことにあります。
私にも経験があり分かる部分が多いのですが、親の仕事、特に自営業は、息子にとっては子供のころから見ているため”好ましい”ものではないのですが、同時に理屈ではなく肌の感覚で分かってきた面もあり、いつの間にか”跡継ぎ”になってしまっていることに、微妙に”不本意な部分”も残ってしまうのです。
たぶん”酒を語るコミニュティ”としては「吟醸会」は、手前味噌ですが、けっこう優れているのではないかと思われますが、光っちゃんにはやや”抵抗”があり入り込みにくかった面もあったようにも思われます。
京都の料理学校、そして店での修行を終えて帰ってきてからの数年間は、父親の”鮨職人”としての部分には共感を覚えても”酒”の部分には、なかなか親しみを感じられなかったのかも知れません。
しかし最近は、光っちゃんと酒の話をする機会が増えています。
テルさん始め「吟醸会」のメンバーと國権酒造とは”半分親戚のような”長いお付き合いがあり、仕込みのシーズンに蔵を訪ね絞ったばかりの”ふなぐち”を”馬鹿話”を肴にして飲むという「恒例行事」があり、それに運転手として「参加させられて」から、酒に対する親しみと興味が幾分沸いてきたようです。
私自身ももちろんそうですが、光っちゃんは「鮨店の跡継ぎ」であって酒造りの職人ではありませんから、自分の立場で必要な知識があればいいのではないかと思われますが、”能書きや理屈”だけではなく自分の肌で感じたものがなければ(自分自身が面白くて楽しいと感じていなければ)、酒の面白さも楽しさも光っちゃんを通じては相手に伝わらないのも”事実”だとも思われるのです。
自分が面白くて楽しいと感じているから、酒と酒にまつわることをより知りたくなり、それを人にも伝えたくなる--------それを”拡大再生産”し続けているうちにふと気がつくと、「自分には縁が無いし敷居も高い」と思い込んでいた”日本の文化や伝統”が身近なところにある自然なものに見え始めている------それが日本酒の最大の”魅力”であり”最大の”価値”だと私は思っています。
そのことに比べれば、幻しだからとか希少品だからとか造り方が”特殊”だからということは、
私個人の中では優先順位はあまり高くありません。
〆張鶴や鶴の友のように、その酒を飲むことが面白くて楽しいと感じる人が古くから数多く存在した結果としての”逼迫状況”もありますが、逼迫して入手困難な酒だからそれを飲むことが面白くて楽しいかは”別問題”だからです。
若いころは、造り方や酵母、原料米などの”データ”は私自身にとっても重大なものでしたが
今は造る人の”気持”がどれだけその酒に入っているのかが一番大事なもののように思えます。
神戸に大黒正宗という酒を造っている蔵があります。
大震災以前に約二万石の製造石数があった蔵が、多くの施設を失いご家族の中にも震災の犠牲者がおられた状況の中で、震災前の100分の1の石数であっても造り続けることを”選ばれた”尋常ではないと思われる蔵です。
酒に関しては、新潟淡麗辛口が”本籍地”の私にとって灘はまったくの空白地帯でしたが、新潟淡麗辛口でできた”人の縁”で、くわしいことは何も分かりませんでしたが名前は知っていました。
〆張鶴や千代の光、國権そして鶴の友とは違い蔵元を直接には知りませんが、人の縁が数年前に尼崎の山本酒店山本正和さん(山本さんにも直接お会いしたことはないのですが----)につながったことで、大黒正宗という酒と蔵をより知ることができるようになったのです。
大黒正宗がどんな酒であるかは、山本さん始め大黒正宗の特約店や熱狂的ファンの皆様のブログを見ていただければ-------と思っています。
山本酒店ブログ 「街の酒屋のつぶやき」
(http://www.geocities.jp/sake_yamamoto/)
私は、その達意の文章を引用させていただいている新潟市の”羊さん”以外のブログには
あまりコメントをさせていただいたことはないのですが、昨年の12月末に開設された蔵の公式ブログの大黒正宗ブログ(http://blog.livedoor.jp/daikokumasamune/)にコメントをさせていただきました。
私が直接知ることのなかった安福啓子専務の、「通院」、「震災から14年」というふたつの
”率直な気持”が入った記事を読み流すことができずに、私の立場では失礼にあたるのではないのかとは思ったのですが、コメントを書かせていただいたのです。
このふたつの記事は、北関東に住む”部外者”の私にも大黒正宗という酒に込められた蔵元の”気持”を十分に知らしめています。
エンドユーザーの消費者、特に神戸や兵庫県の庶民の酒飲みにとって大黒正宗は”ありがたい酒”ですが、新潟市の鶴の友と同じように、蔵元が「込めた気持を守り続けながら酒を造る」ために払う”犠牲”が大きくなり続ければ、残念ながら飲めなくなる日がいつか来てしまいます。
このような”気持”を造る酒に込めている蔵はきわめて”貴重”だと思っていますが、自然保護と同様に「恩恵を受ける側が恩恵を与えてくれる側が存在し続けるためのコスト」を負担しなければ”残らない時代”になっているのです。
北関東の住民で、ときおり大黒正宗を飲ませていただいているだけの”部外者”の私にとっては、”自分の分”をわきまえていないとは思うのですが、「込めた気持を守り続けながら酒を造る」ことの大変さは、30年お付き合いさせていただいている鶴の友(樋木酒造)を見てきて、
自分がお世話になるばかりで何も貢献できていないことも含めて、”痛感”せざるを得ないのです。
ありがたいという感謝の気持と一年でも長く酒を造り続けて欲しいという希望を私が感じさせていただいている鶴の友は、いつも大変さと背中合わせの小さな蔵ですが約800石(一升瓶換算で8万本)の販売石数があります。
しかしそれでも職業としての”貸借対照表”を見れば、止めてしまったほうがよっぽど楽なのです。
その鶴の友以下の販売石数でしかない現在の大黒正宗が、今後20年、30年と造り続けていくためには、今の熱狂的な蔵にとってありがたいファン層を大切にしながらも、今のファン層以外の地元神戸、兵庫県を中心にしたエンドユーザーの消費者に、大黒正宗を知ってもらう試みが必要になってきているのではないか-------”部外者”の私個人にはそう感じられてならないのです。
原酒が大黒正宗の”根幹”であるという”こだわり”を守りながら、加水しても大黒正宗らしさを失わない15~16度(個人的には15.5~15.8度くらいかと”根拠”はありませんがそう感じています)の、味の幅とふくらみを残しながらも冷やで”切れ”の良い本醸造、純米の「慎重で計画的な開発」がその試みの”核”になるのではないか-------個人的にはそう感じています。
大黒正宗について勝手なことを書かせていただきましたが、”部外者”の私であっても20年後、30年後に飲ませていただけるように、神戸、兵庫県のエンドユーザーの消費者の中に大黒正宗を支える人が一人でも多く増えて欲しい------それをお願いしたいだけなのです。
さて、光っちゃんとの國権行きですが、私にとっても仕込みを見るのは5~6年ぶりになりますので楽しみにしています。
私の経験でもそうでしたが、初めて仕込みを見ても「何が何だか分からない」はずです。
何も分からなくても、特に若いときに、見ていたことは後々の”財産”になります。
見ていたからこそ、「なるほどそういうことだったのか」とあとで分かることが多いのです。
そして蔵との”キャッチボール”の回数が増えれば増えるほど、分かることが多くなりさらに面白くて楽しくなってくるのですから-----。
そしてテルさんが、國権酒造の細井泠一社長とも30年近いお付き合いの”歴史”があり昭和50年代半ばの八海山や〆張鶴そして伊藤勝次杜氏の純米生酛が、造られるのを実際に見てきた”得がたいキャリア”を持つ、相手に自然に素直に「酒の面白さと楽しさ」が伝わる貴重な”酒飲みの先達”であることに、光っちゃんが気がつく”きっかけ”になるような気もしていますがそれも私にとって楽しみなのです-----------。
國権について--NO3に続く