とんでもなく長い記事を書いた後なので、しばらく何も書く気が起きないだろうと思っていたのですが、どうもそうではなかったようで、自分のことながら呆れてしまいます。
何回も書いていると思うのですが、私自身は”日本酒そのものの将来”には楽観しています。
和食と同様に、若いときにその価値に気がついてなくても、いつか気が付くときが多くの人に訪れると思っているからです。
私が懸念しているのは、エンドユーザーの消費者が日本酒の「面白さと楽しさ」に気づいたとき、和食の世界とは違い、鶴の友のような「日本酒の面白さと楽しさ」を実感させてくれるきわめて貴重で大切な日本酒や蔵が、はたしてどれだけ残っているのか-------ということなのです。
誤解を恐れずに言うと、鶴の友のようなエンドユーザーの消費者にとって大切な蔵も、現在は続くか続かないかの”綱渡り”の状況にあります。
庶民の酒飲みが晩酌で毎日飲むとしたら、美味い酒を飲みたい気持が強くあったとしても、二千円を大きく超える価格では厳しいものがあります。
たまに飲むのなら五千円以上の大吟醸でも大丈夫でしょうが、毎日飲むとしたら二千円前後の価格がひとつの限界になります。
二千円の酒には、価値に比べて、きわめて安い二千円の酒もきわめて高い二千円の酒もあります------まさに”玉石混交”なのです。
”玉”と”石”が同じ価格なのですから、当然ながら”玉”のほうがかなり少なく、そして採算という点でも”玉”は”石”に比べ厳しいものがあります。
”石”だけを飲んでいると実感できないのですが、同じ二千円でも”石”と”玉”には実に大きな”差”が存在しているのです。
この”主観的事実”については、鶴の友について-2--NO2(http://blog.goo.ne.jp/sakefan2005/d/20071006)に引用させて頂いた、鶴の友の地元の内野育ちの”羊さん”の、短いが的確にしかも柔らかく「その本質」を指摘した達意の文章を見ていただいたほうが、私の”作文”よりはるかに分かりやすいと思われます。
”玉”の二千円の酒が、”ふつうのレベルの大吟醸”を超える美味さを持っていることは、実際にあることで特に珍しいことではありません。
現実に私や「吟醸会」の仲間達にとっては、自分達が三十年に亘って感じてきた”主観的事実”なのです。
おそらくは8,000~12,000円ぐらいはするだろうと思える大吟醸や純米大吟醸より、自分達がごくふつうに飲んできた〆張鶴 純 や千代の光吟醸造り、そして鶴の友特撰・別撰のほうが美味いのではないか-------それが、90回を超える「吟醸会」の中で、少なくはない数の大吟醸も飲ませて頂いた私達が感じてきた”実感”なのです。
それゆえ私や「吟醸会」の仲間達にとっては、「銘柄の名前が有名か、特定の名称であるか」ではなく、その酒や蔵が「”玉”なのか”石”なのか」が一番の”重大事”なのです。
私は昭和五十年代初めより、私なりにその蔵の酒を見させて頂くときに、その蔵で一番価格の安い”ローエンド”の酒と一番価格の高い”トップエンド”の酒を同時に飲ませていただくようにしてきました---------単におそまつで能天気なだけではなく、「酒の”さの字”も分からなかった」私にとっては一番良い”方法”だと思えたからです。
”ローエンド”はそれ以下にならない酒質の”水準”を示し、”トップエンド”は到達している酒質の”高み”を私に教えてくれたのですが、時間の経過の中でわたしは複数の蔵の酒を”ローエンド”どうし、”トップエンド”どうしで比べるようになっていったのです。
〆張鶴、八海山、千代の光を取り扱っていたためその三つの蔵の酒を”フルライン”で知っていた私でも、鶴の友の”酒質”を知ったときには「衝撃」を感じざるを得なかったのです。
鶴の友の大吟醸である上々の諸白、(昭和五十年代前半のそのときもそして現在もたぶん飲んだことがある人が極めて少ない)非売品の大吟醸の到達している”高み”にも驚いたのですが、”ローエンド”の上白(当時は2級酒)には驚きを超えた「凄さ」を感じたのです。
何回も書いてますので詳しくは述べませんが、しっかりとした味の厚みやふくらみがありながら〆張鶴や八海山に勝るとも劣らない”切れ”があり、しかも私が知る”ローエンド”の酒の中でもその価格が一番安かったのです。
おそまつで能天気な私は、鶴の友に最初に出会っていたらおそらくは、鶴の友の”凄さ”をまるで分からなかったと思われます。
〆張鶴、八海山、千代の光の酒質を知っていたがために、「矛盾が矛盾ではなくひとつの酒の中にごくふつうに存在している」鶴の友の”凄さ”を感じることができたと思われるのです。
”新潟の酒の神様”のような存在だった、嶋悌司先生(元新潟県醸造試験場長)の唎酒の”凄さ”を、垣間見せていただく機会が私にはありました。
当然のことながら、酒の研究者でもあり技術者でもあった嶋悌司先生の唎酒のレベルは、
酒の素人の私には理解不能なレベルであり、私が一生かかっても足元にも近寄れないと痛感させられました。
自分の酒に対する”知識と能力”のおそまつさに自分自身で呆れながらも、私は「酒を造るプロ」ではなく、駆け出しとはいえ「酒を売るプロの立場」の人間だから、(もちろん得ようと思ってもとうてい無理でしたが)酒造りのプロの水準の”知識と能力”は必要無く、「酒を売るプロの立場」に必要な”知識と能力”を身に着けることに努めるべきだ------とも痛感させられたのです。
「酒を売る立場の人間に必要な”知識と能力”」とは、おそまつで能天気な私がたどり着いた私なりの結論は、「その酒が価格に対して高いか安いか、価値があるのかないのかを判断できる”知識と能力”」ではないのかというものでした。
言い換えると、(当時の私はその難しさもまるで分かっていなかったのですが)その酒や蔵が”玉”なのか”石”なのかを判断できる”知識と能力”があればいい-------というものでした。
しかし、「そうだ、そうすべきだ」と思うのは簡単でも、それを実現するのはおそまつで能天気な私にとっては想像以上の”困難な大事業”だったのです。
現在の私個人は、その酒が「玉か石か判断する方法」はふたつあると感じています。
- そのひとつは、酒を直接比べてみて判断することです。
- ”プロ中のプロ”の嶋悌司先生のような唎酒能力があればその酒単体で判断できますが、残念ながら”造りの素人”の我々にはとうてい無理なことですが、”素人”でもAという酒とBという酒を直接同時に比べることで”ある程度の判断”が可能になるのです。
- 例えばAが軽トラックでBがスバルのレガシーとすると、AもBもそれしか運転しなければ「別に何とも」思いませんが、Aに乗った直後Bに乗ったら”その違い”は感じざるを得ないはずです。
ましてやAとBの”価格”が同じか、むしろAのほうが高かったら”考え込んで”しまうはずです。 - その際、Aが芸術品のような、インタークーラー付きの水平対向4気筒ツインターボ(ブースト圧可変)+スーパーチャージャーの660CCエンジンを搭載しているため(実際には存在しないエンジンですが)、Bより価格が高くても軽トラックは軽トラックなのです。
- ゆえに直接同時に比べることは「きわめて大事」なことだと、私個人は感じ続けてきたのです。
ふたつめは、
- 自分自身の判断、あるいは人のアドバイスで”玉”だと思える酒を飲み続けることです。
- 毎日でなくとも定期的にある程度の長期間飲み続けることで、自分の中に”基準”ができます。
- ”基準”ができると、目の前の酒と自分の身体が覚えこんでいる”基準の酒”と無意識に比べている自分に気が付くようになります。
- そうなると、「”玉”の中にもレベルの差があり、”石”の中にもレベルの差がある」ことにだんだん気が付いてきます。
- そしてそのうちに、”玉石混交”の場合は必ず”玉”を、”石”しかない場合でも一番レベルの高い”石”を自然に選べるようになっていく------私自身は私自身の体験でそう思えるのです。
言葉で書くと”難しい”ようにおもえますが、以上のふたつの”実行”は実は簡単でありしかも
「面白くて楽しい」ことであり、越えなければならない”ハードル”も低いのです。
上記のように、”玉石混交”の中で”玉”を見つけて選んでいくのはさほど”難しい作業”ではありませんが、その酒や蔵がなぜ”玉”であるのかの”理由を探る”のは私自身の体験では”難しい作業”だと痛感しています。
「その理由を”論理的”に探る」ためには、嶋悌司先生のような幅広い知識と能力と奥行きの深い”実体験”が必須であり、おそまつで能天気な私にはとうてい無理だからです。
しかしその点においても、私は「運が良かった、入り方が良かった」と思えるのです。
「日本酒の”にの字”も知らず」に人間関係先行の”流れ”で、新潟淡麗辛口に”接する”ことになってしまった私は、「その理由を”論理的”に探る」能力が皆無であったため「違う方法」をとらざるを得なかったのです。
「違う方法」といっても”意図的”にそうしたのではなく”結果として”そうなっただけなのですが、私自身が”玉”だと思っていた〆張鶴、千代の光、そして鶴の友-------その蔵や蔵元に接する機会をできるだけ多くし(蔵に行くことが単に楽しかっただけなのかもしれませんが)、その共通項を帰納法的に探ることで”玉である理由”を見つけようとしたのかも知れません。
そしてその「違う方法」が、とてつもなく長い時間がかかったにせよ「なぜ”玉”であるのか」の私なりの理解と、ありがたいことに今も続く新潟淡麗辛口の世界の皆様との「比較的濃密な人間関係」を造ってくれたように思えるのです。
現在の私個人は、あくまで私個人の考えに過ぎませんが、「”玉”であるかどうか」の判断の一番大きな部分は、人にあると感じています。
もちろん、酒の造りの技術的部分を担う杜氏や蔵人の皆さんの”お人柄や考え方”も大事ですが、致命的に重要なのは蔵元の「お人柄と考え方、そして何を一番優先するのか」なのではないかと感じてきました。
私が新潟淡麗辛口に出会った昭和五十年代前半とは違い現在は、残念ながら、「”玉”であり続けることと企業としての”存続”」は、ある意味で「正解の無い”矛盾”」だと私には思えてならないのです。
〆張鶴・宮尾酒造のような企業として成功した酒蔵も、企業としての当然の利益を毀損しても蔵元が優先すべきことを優先してきた鶴の友・樋木酒造のような酒蔵も、この「正解の無い”矛盾”」に対峙し続けてそのバランスを失わないようにご苦労をされてきた-------言い換えれば、”玉が玉であり続けた”のはきわどいバランスを蔵元個人の”ご苦心”で支え続けてきたからだと私には思えてならないのです。
そして蔵元個人の”ご苦心”にも限界があると私には思えてならないのです。
一人でも多くのエンドユーザーの消費者の庶民の酒飲みの皆さんに、「玉か石か判断する方法」を身近な酒で試して頂きたいと、私は切望しております。
〆張鶴や千代の光、そして鶴の友に限らず「”玉”の蔵や”玉”の蔵を目指して」いる蔵が、たとえ数が少なくても必ず存在しているはずだと思うからです。
今まで蔵元個人のご苦心で”玉”であることが支えられきた蔵であっても、「玉であることを守りながらの存続」が、現在は難しい時代になっています。
「”玉”であることを守ってきた蔵」ほど、「”玉”であることを守れなくなった」とき酒蔵の存続を選択しない時代になっているのです。
そんな時代だからこそ、”玉”の酒を、”玉”の蔵を正当に判断して頂けるエンドユーザーの消費者の庶民の酒飲みが、私は一人でも多く増えて欲しいのです。
それが実現できなければ、日本酒そのものは存続していても、私自身が「面白くて楽しい」と強い魅力を感じ大きな影響を受けた、失ったら二度と現われることの無い「”玉”の酒や酒蔵」に、(現在高校生の)私の息子の世代は出会うことが不可能になり日本人が受け継いできた良き伝統のひとつが失われることになる------との強い危惧を今私は感じています。
そして”失うこと”をほんの少しでも避けるために、思い上がりかも知れませんが、自分自身ができる範囲を”拡大”せざるを得ないことも、強く実感しているのです--------。
ブログ読ませていただきました。